『豊饒の海(一)春の雪』 by  三島由紀夫

豊饒の海(一) 春の雪
三島由紀夫
新潮文庫
昭和52年7月30日発行
平成14年10月15日 54万刷改版
平成17年10月15日 66刷
(この作品は昭和44年1月新潮社より刊行された )

 

先日 、知人と映画mishima : a life in four chapters」の話題になった。三島由紀夫の人生を、『金閣寺』『鏡子の家』『奔馬』(『豊饒の海』第二部)の三つの三島文学を劇中劇として映像化したもの。緒形拳が、三島役。いつか、見てみたいと思う。
金閣寺』『鏡子の家』は、すでに読んだけれど、『奔馬』は読んだことがなくて、読んでみようと思ったのだけど、『奔馬』は『豊饒の海』の第二部である。読み始めたら、やっぱり、第一部を読まないと、、、と思って、先に本書、『春の雪』を読むことにした。

 

表紙裏の紹介文には、

「維新の功臣を祖父にもつ侯爵家の若き嫡子松枝清顕(まつがえ きよあき)と伯爵家の美貌の令嬢綾倉聡子(あやくら さとこ)のついに結ばれることのない恋、誇り高き青年が禁じられた恋に命を賭して求めたものは何であったか? ーー大正初期の貴族社会を舞台に破滅へと運命づけられた悲劇的な愛を優雅絢爛たる筆に描く。現世の営為を超えた混沌に誘われて展開する夢と転生の壮麗な物語『豊饒の海』第一巻。」

文庫本で、467ページ。
なかなかの厚み。
主人公の清顕のボンボンぶりに、ちょっとイライラしながらも、一気読み。
甘ったるい、恋愛物語ともいえる。かつ、親が子供の結婚を決める時代の今では考えられない不自由な恋愛時代。しかも、侯爵家伯爵家の二人の恋愛だから、本人たちの想いの通りにならない。。これは、悲劇の物語なのか?読み終わって、たいした悲劇じゃない、、なんておもってしまった。

 

以下、ネタバレあり。

 

物語は、清顕が18歳の場面から始まる。主な登場人物は、清顕とその両親。清顕は、父親は、幕末にはまだ卑しかった家柄を恥じて、嫡子の清顕を幼い時に公卿の家に預けたりしていた。預け先の綾倉伯爵の令嬢が聡子。二人は、幼い時から一緒に育ってきた、まさに、幼なじみ。
清顕の学校の同級生として、本多繁邦(ほんだ しげくに)が登場する。容姿端麗、ボンボンの清顕には、繁邦くらいしか友達がいない。家には、飯沼という書生が繁邦の家庭教師兼世話係のようについている。まったくの、ボンボンだ。
清顕の自宅で開催される宴には、多くの貴族、要人が集まる。庭、池つきの、豪邸である。
聡子は、すっかり美しい女性に成長し、客人として清顕の家で開催される宴にやってくることもある。
幼なじみで、恋だの、愛だの、、という中ではないはずだった。聡子は清顕より2歳年上で、いつも上から目線だし、幼いころのあれもこれも知られている聡子なんて、恋愛対象じゃないはず、、、だった。
認めない、自分が聡子のことを好きだなんて。。。

聡子は、綾倉家のお姫様で、宮家との縁談がすすむ。紹介人はほかでもない清顕の両親。
父親に、「聡子の結婚に依存はないか?」ときかれて、「私には関係のないことです」と答える清顕。。。

そして、縁談はどんどん進む。
清顕は、聡子に「私が遠い所へいっても、かまわないのか?」ときかれても、「僕には関係ない、、、」と突っぱねる。

でも、気が付いてしまう。
自分は、聡子が好きだ。恋してる。

そこからは、ボンボンのわがまま大爆発。
もちろん、両親には悟られないように、本多、飯沼、聡子の世話係である蓼科(老女)を巻き込んで、聡子と逢引きを繰り返す。

そして、聡子の結納の前に、聡子の懐妊。。。
清顕の子であることが、両家の両親に知られる。
もちろん、許されない。
清顕にはどうしようもない。というか、聡子をうばって逃げようなんて言う甲斐性もない。。
密かに堕胎するために、大坂につれていかれる聡子。聡子も分かっている。清顕と結ばれることは絶対にないのだと。奈良の月修寺の御門跡のところへ「お輿入れと綾倉家を離れる別れの挨拶に行く」、という名目で、西に向かう一行。大阪で知り合いの医師から処置を受け、付き添った公爵夫人(清顕の母)と伯爵夫人(聡子の母)は、一安心。

そして、公爵夫人は東京へ戻り、聡子と伯爵夫人は奈良の月修寺へ。聡子は、そこでそのまま髪を下ろしてしまう。遁世の意思を固めてしまった。もう、俗世へは戻らないという。なんとか聡子を連れて帰りたい伯爵夫人に対し、門跡は聡子の意思を尊重すべしという。
いったん、聡子をおいて帰京した伯爵夫人は、夫に事の成り行きを説明する。
一時の気の迷いで、落ち着けばきっと正気を取り戻すだろうと、松枝家に説明し、両家の両親らはカツラをかぶれば、結婚式は無事に済ませられるだろうなどと言って、笑い合う。

 

聡子は、結局、寺から出てくることは無かった。


それを知った清顕は、本多に借金をして聡子の元へ駆けつける。新しい人生のために両親に用意された海外留学を前に、家出して奈良の月修寺を訪ねる。しかし、これまでの成り行きを一切合切聡子からきいている寺の門跡は、決して清顕を聡子にあわせることは無かった。何度も何度も門をたたき、たとえ、寺の門前で、雪の中何時間と待とうと。失意のうちに、清顕は病に伏せ、出かけられないほどに衰弱する。知らせをうけた本多は、清顕を見舞い、清顕の代わりに寺へ詣でる。しかし、門跡は首を縦に振ることは無く、本多に、因陀羅網(いんだらもう)の話等を聞かせる。
因陀羅は、インドの神様で、この神がひとたび網を投げると、すべての人間、この世の生のあるものは悉く、網にかかって逃れることはできない生きとしいけるものは、因陀羅網に引っ掛かっている存在だ、そんな話。
衰弱しきった清顕をつれて東京へ戻る本多。電車の中で清顕は胸が痛いと言って瀕死になり、書置きのつもりの手紙を本多に渡す。母親に、自分の書いてきた「夢日記」は本多に渡すようにと、ふるえるような文字で書いてあった。

そして、「今、夢を見ていた。又、会おうぜ。きっと会う。滝の下で」清顕は本多にいうと意識を失う。二日後、松枝清顕は20歳で死んだ。

 

The End

 

と、結ばれない物語。 

 

私には、婚約した聡子に、今更やっぱり好きだったという清顕の子供っぽいところが腹立たしい。清顕の世話係である書生の飯沼は、松枝家の女中と恋仲になって、追われるように松枝家をでることになるのだが、年上の飯沼に対する清顕の態度も色々と子供じみている。本多に対しても、都合のいい時だけ友人として頼っている感じ。

 

なんで、こんなバカな清顕に、聡子は心を許したのか、、、。

結局、幼なじみという愛着だったのではないだろうか??

しかも、先に一人で死んでしまうなんて、清顕はどこまでも自分勝手だ。

こういう男、好かん!!と思ってしまう。

 

と、実はこの二人の逢引きをてつだった聡子の世話役である蓼科も結構な狸。。。若い二人は、結局は蓼科の個人的な公爵への復讐のために、利用されたようなものではないのか?そのあたりの仕込み方が、三島由紀夫人間性をむき出しにした書き方。

若い二人は、大人たちの都合で、振り回された挙句の悲劇。そうとも読める。

 

面白かったかと言われると、文章としては確かに面白い。

テンポの良さ、人間関係のややこしさ(三角関係だったり、横恋慕だったり)、なるほどねぇ、という展開。

決して、爽やかな気持ちになる本ではない。

 

さて、ウィキペディアによると、

豊饒の海は、『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語で、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成る。最後に三島が目指した「世界解釈の小説」「究極の小説」である。最終巻の入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した。」という事だそうだ。

 

実は、そうとは、知らずに読み始めた。

あと、3巻、読んでみようと思う。

ちょっと、重いのかもしれない。

ぼちぼちと読んでみようと思う。

 

ま、やっぱり、読書は楽しい。

 

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豊饒の海(一)春の雪』