『豊饒の海(三)暁の寺』by  三島由紀夫

豊饒の海(三)暁の寺
三島由紀夫
新潮文庫
昭和52年10月30日発行
平成14年11月15日42刷改版
平成24年10月25日58刷
(この作品は昭和45年7月新潮社より刊行された)

 

豊饒の海(ニ)奔馬が、昭和44年2月刊行。およそ一年半後の続編。

(三)まで読み進めて、豊饒の海』の主人公が、本多繁邦だったのだ、、、という事がわかる。かつ、豊饒の海というのは、アジアをさしていたのか、、、ということがなんとなくわかる。
感想、あらまぁ、そうなるの、、、。という感じ。

 

裏表紙の説明には、
「〈悲恋〉と〈自刃〉に立ち会ってきた本多は、もはやは若き力も無垢の情熱も残されてはいなかった。彼はタイで、自分は日本人の生まれ変わりだ、自分の本当の故郷は日本だと訴える幼い姫に出会った・・・。認識の不毛に疲れた男と、純粋な肉体としての女とのあいだにかけられた壮麗な猥雑の世界への橋、、、神秘思想とエロティシズムの迷宮で生の源泉を大胆に探る『豊饒の海』第三巻」
とある。


以下、ネタバレあり。

 

第一巻で19歳だった本多は、第二巻で38歳、第三巻では、47歳になっている。かつ、第三巻は一部と二部に分かれていて、二部ではさらに年をとって本多は57歳。第一巻で、清顕を失い、第二巻で清顕の生まれ変わりと思った勲を亡くし、、、次に誰を生まれ変わりとみるのか?、、、という感じで、第三巻が始まる。

 

情熱を失った男は、なんとなく怠惰に生きている感じがする。三島はそれを、「あますことなき失敗をし、他人の救済をあきらめた男」と表現している。第三巻、二部では、本多はただのエロおやじになっている。。。一体、豊饒の海って、どういう話なの??という感じがするが、読み進めてみた。

 

第一部は、舞台がバンコクとインド。弁護士の仕事でバンコクを訪れていた本多は、仕事は難なく片付け、顧客にアテンドされてバンコクを観光する。泊ってるホテルは、オリエンタル。オリエンタルホテルと言えば、バンコクでは最も由緒あるホテルの一つ、と言っていい超高級ホテルだ。目の前にメナム川が流れ、対岸にはワットアルン、暁の寺がある。様々な映画の舞台にもなっているホテル。
本多は、弁護士として歓待されているが、観光に付き合ってくれる五井物産社員の俗っぽさに辟易している。そんな中、かつて清顕と一緒に過ごしたタイの王子たちのことを思い起こし、彼らにあえないものか?とリクエストしてみる。王子らは海外に行っていて会う事はかなわないというのだが、ゆかりのお姫様がいるというので王室に謁見にいく。
そこにいたのは、月光姫(ジン・ジャン)パッタナディット殿下の末娘だった。当時7歳。ジン・ジャンは、自分は日本に帰りたいのだとか、まるで清顕の生まれ変わりのようなことを口にする。遊びに行った先で水浴びをするジン・ジャンの脇腹に三つのほくろをみつけ、本多はジン・ジャンが清顕の生まれ変わりだと思い込む。
バンコクに飽きた本多は、一人でインドへの旅を申し出て、インドをめぐる。そこでは、生と死が隣り合わせで、川は命が生まれるところであり、また死への入り口でもあった。。。ベナレスで目にした、火葬。命は、日常の中で燃え尽きていた。
インドのくだりは、本多の物語というより、三島の仏教感がつづられている。
インドからバンコクに戻った本多は、最後にジン・ジャンに挨拶してタイ国をあとにする。
真珠湾攻撃が始まった年だった。本多にとっては、戦争は自分が活躍する場ではなく、「これからの自分の人生が決して輝かしいことになることなく終わる、、という利己的で憂鬱な確信のとりこになった。」とある。
戦時中、本多は余暇を輪廻転生の研究にあて、自分の時代錯誤的な快楽に喜びをむさぼった。本多の輪廻転生への興味は、月修寺(聡子が仏門に入った寺)の門跡の話をきいたことにさかのぼる。のち、「マヌの法典」を読む。
第一部は、輪廻転生、仏教の解説、唯識阿頼耶識、の解説のような感じで終わる。また、老いた蓼科を登場させている。戦争で焼け落ちた旧松枝家の前で、本多と蓼科は再会する。老いた蓼科は、人は老いるという事の象徴のような感じ。

 

第二部は、本多57歳。妻の梨絵は、子供をうまないままに年をとり、ちょっと、とうが立った女っぽく描かれている。対照的に、活動的で美しく、吉田茂にもマッカーサーにも対等に口をきけるという隣人、久松慶子という50歳女性が登場する。本多の理解者。
物語の中心は、17歳になって日本に留学にきたジン・ジャン。本多は、弁護した案件の報酬として、3億6千万という金を手にして、大金持ちになり別荘まで持つようになっている。金を手にしたこと、年を取ったことで、本多の心は偏屈な爺さんに近くなっていく、、、。三島が、そう描こうとしたのか、私がそう感じるのかは分からないけれど、17才のジン・ジャンをなんとか自分の思うようにしたいという本多。それを手伝う慶子。
はなしは、エロティックというのか、、、。え、こういう話なわけ?という方向に進んでいく。
結局、ジン・ジャンは若い男にも興味を抱かず、慶子に抱かれる・・・。
慶子は、そういう女だった。
本多は、それをのぞき見するのが趣味、、、ということが妻、梨絵にもバレる。。
何という展開?!と思っているうちに、様々な人間が宴を繰り返した本多の別荘は、火事で焼け落ちる。。昭和27年のことだった。


昭和42年、本多は、米国大使館にまねかれて、タイのプリンセスだという人に出あう。本多は、ジン・ジャンだと思った。別荘火事の事件の後、タイに戻ったジン・ジャンが、15年の年月を経て、再び日本へ来たのだと。そんなそぶりを見せないプリンセスにジン・ジャンを知っているか、と聞いてみると、「知っているどころか、私の双子の妹です。もう亡くなりましたけど」と。

ジン・ジャンは、20になった春、コブラにかまれて亡くなっていた。

The END


なんだなんだ?!この展開は?!?!
という、第三巻、第二部の展開。 

 

暁の寺、というタイトルだから、バンコクを舞台にした話が続くのかと思ったら、そうではなく、バンコクは第一部、本多が幼いジン・ジャンに出会う場所だっただけ。

でも、途中、物語の進行とは別に、輪廻転生や仏教に関する解説のような部分が多く、その象徴として『暁の寺』、というタイトルにしたのかもしれない、という気がした。

 

私は、5年間バンコクに赴任していたので、オリエンタルホテルは何度も行ってるし、泊っている。本多がオリエンタルホテルに泊まっていたというのは、贅沢なバンコク滞在(ある意味、無駄なまでに贅沢)を意味するということ。そして、作品中にもかかれているのだが、タイ人は、「オリエンテン」と発音する。しかも、語尾をあげて、「オリエンテン!」そういう文字化されていないバンコクの雰囲気、よくわかるのがちょっとうれしかった。

もちろん、赴任中は、ワットアルンに何度も訪れている。そして、「三島由紀夫の『暁の寺』の舞台になったお寺ですよ。」という案内を聞いたし、してきた、、、。読んだこともないのに。今回、本書を読んで、いうほど、暁の寺のことは書かれていない、、、ということがよく分かった。塔は細かい陶器タイルで装飾されていて、それはそれで美しい。作品中には、その描写がちょっとあっただけ。

”一層の欄干は茶、二層は緑、三層は紫紺であった。嵌め込まれた数知れぬ皿は花を象り、あるいは黄の小皿は過信として、その周りに皿の花びらがひらいていた。”

 

それにしても、第三巻、本多が、この先、つまらない老人になっていく予感のような一冊。

さて、第四巻は、どうなるのか。

これが、三島由紀夫の遺作なのだと思うと、作品を書きながらどの時点で切腹自殺を決めていたのだろうか??という思いがわいてくる。

 

輪廻転生を信じて、切腹自殺したのだろうか?

老いるとか、醜くなるとか、それが耐えられなかったということなのだろうか?

第一巻では、本多の友人である松枝清顕が死ぬ。

第二巻では、本多が清顕の生まれ変わりとおもっている飯沼勲が死ぬ。

第三巻では、やはり、清顕の生まれ変わりとおもっている月光姫(ジン・ジャン)が死ぬ。

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清顕→勲→ジン・ジャン。

みんな、若くして、死んでいく。

一方、本多は、年老いていく。

さて、次はだれが清顕の生まれ変わりで出てくるのか、、、。

 

う~ん。

分からないなりに、不思議な本だ。

読書は、やっぱり楽しい。

 

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豊饒の海(三)暁の寺』by  三島由紀夫