『石垣りん詩集』  伊藤比呂美編

石垣りん詩集 
伊藤比呂美
岩波文庫
2015年11月17日

 

岩波書店の「図書」に広告がでていて、気になったので図書館で借りてみた。

 

石垣りんさん。詩人。
1920年生まれ。21歳から25歳のあいだに太平洋戦争を経験している。
14歳で高等小学校を卒業し、日本興行銀行に就職して、55歳で定年退職。
2004年、84歳で亡くなった。
詩は、10代のころから書き始めていたそうだ。

私が初めて石垣りんさんの詩とであったのは、50歳を過ぎてからだと思う。
まっすぐに、心に突き刺さるような、心の声。

 

第二次世界大戦を生き抜いたりんさんだったら、今のウクライナへのロシアの侵攻をどう表現するのだろう、、、。と思った。

詩集なので、あっという間に読めてしまう。
あえて、音読して、ゆっくり読むといいかもしれない。
そうすると、一つ一つが重すぎる気もする。

戦争に関する詩、家族に関する詩、どちらも、重い。。。

戦争でも家族でもない詩を覚書。

 

タイトル:定年

”ある日
会社がいった。
「あしたから来なくていいよ」

 

人間は黙っていた。
人間には人間の言葉しかなかったから。

 

会社の耳には
会社のことばしか通じなかったから。

 

人間はつぶやいた。
「そんなこといって!
もう40年も働いてきたんですよ」

 

人間の耳は
会社のことばをよく聞き分けてきたから
会社が次に言うことばを知っていたから

 

「あきらめるしかないな」
人間はボソボソつぶやいた。

 

たしかに
はいった時から
相手は会社、だった
人間なんていやしなかった。”

 

 


40年働いた銀行をやめたときの詩。

勤続30年でサラリーマンをやめた私にもちょっと心に響く。
やめたら、会社はただの他人。
なんだかんだ言っても、ただの他人。

社員は、ただの労働力であるのは、マルクス資本論の時代から変わらない。

 

退社後に何かあったらここに連絡してと言われた連絡先は、1年したら部署として存在しなくなり、相談できる組織は消滅した。

嫌いでやめた会社ではなかったけれど、愛着も薄れた。

残念ね、と思った。

 

りんさんの詩を読んでいると、

こんな風に、心の叫びを文字にできたら、楽になれるのかもしれない、と思ったりもする。

 

家族、戦争に関する詩は、結構、強烈だ。

少ない文字で、必要なことしか書かないから、ストレートで、心に響く。

ドキっとさせられる言葉が並ぶ。

 

も一つ、覚書。

タイトル:表札

 

”自分の住むところには

自分で表札を出すにかぎる

 

自分の寝泊りする場所に

他人がかけてくれる表札は

いつもろくなことがない。

 

病院へ入院したら

病室の名札には石垣りん

様がついた。

 

旅館に泊まっても

部屋の外に名前は出ないが

やがて焼き場の罐にはいると

とじた扉の上に

石垣りん殿と札が下がるだろう

そのとき私がこばめるか?

 

様も

殿も

付いてはいけない、

自分の住む所には

自分の手で表札をかけるに限る。

 

精神の在り場所も

ハタから表札をかけられてはならない

石垣りん

それでよい。”

 

 

面白いな、と思った。

自分の名前に「様」とか「殿」とかついているとこそばゆい。

自分で書いた名前ではないから、だれかがつける「様」とか「殿」

いらないよね。

 

申込書とか、あらかじめ「様」と書いてある空欄に自分の名前を書くことがある。

宅急便の宛先もそうだ。

「様」を二本線で消す。

これって、日本の習慣なのだろうか?

英語だと、Mr. Mrs. Ms. Dr. があらかじめ書かれていて、〇で囲むことがある。

これは、そこに男とか女とか、別の情報があるからわからなくはない。

 

メールでも、毎回「様」をつけられると、なんだかな、、、と思うことがある。

顧客ではなく、普通に知り合った仲なら、「さん」でいいじゃないか、、と思う。

 

毎日の生活の中で、ふと疑問におもったり、違和感をかんじたことを短い言葉で表している石垣りんさんの詩。

 

たまに、こういうシンプルな文章に触れると、自分の思考も少しシンプルになる気がする。

 

詩集も楽しい。

 

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石垣りん詩集』