『部分と全体 私の生涯の偉大な出会いと対話 』 by W.ハイゼンベルク

部分と全体
私の生涯の偉大な出会いと対話
W.ハイゼンベルク
湯川秀樹 序・山崎和夫 訳
みすず書房 
1974年7月10日 発行
(ドイツ語原書:DER TEIL UND DAS GANZE)
(English title:PHYSICS AND BEYOND 1971)

 

『好奇心が未来を作る』の舩橋真俊の文章の中で、心が安らぐ本、というような感じで紹介していた。カルロ・ロヴェッリの本でもハイゼンベルクが度々引用されていて、気になったので図書館で借りてみた。

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1974年の本で、とても古めかしい。本のうしろには、昔の貸出カードの名残がある。
「54.4.10」のゴム印のあとは、昭和54年4月10日貸し出し、ということだろう。
紙も活字も、昭和そのもの。
訳者あとがきも含めて、403ページの大作、と言える。

 

感想。
物理学者の文章とは思えない、素晴らしい一冊。これは、物理の本かもしれないけれど、哲学の本である。
これは、サイエンティストを目指す若者に、是非読んでほしい
思いがけず、読みながら涙が出た。
ハイゼンベルク量子力学物理学者として活躍した1919年から1958年までの自叙伝。つまり、2つの大きな世界大戦の中での研究と戦争と友情と、、、。
活字は古めかしいけれど、文章はとても読みやすく訳されている。訳者の山崎さん自身がハイゼンベルク心から尊敬している物理学者だから、きっとハイゼンベルクがそのまま日本語にも残っている感じなのだと思う。

 

W. ハイゼンベルクは、1901年ドイツのヴュルツブルクに生まれる。ミュンヘン大学でゾンマーフェルトの下で物理学を学び、コペンハーゲンニールス・ボーア研究所に入りさらにゲッティンゲン大学ボルンと共同研究を行い、1925年、新マトリックス力学を創始した。同年、不確定性原理を発見。27年ライプチヒ大学教授。多体問題の研究から進んで、1928年強磁性の本質を明らかにし、29年にはパウリとともに場の量子論を発表。相対性量子力学をつくった。32年原子核中性子と陽子からなるという理論を発表。その他、宇宙線理論、超伝導の研究などにも業績を残している。1932年ノーベル物理学賞受賞。

つまり、量子力学のすごい人。

 

本書の中には、仲間の研究者との会話も多く出てくるのだけれど、必ずしも私もその理論が理解できているわけではない。ときに、哲学の問答のような、禅の公案のような、そんな会話もでてくる。でも、それが、読み物としても面白い。美しい自然の描写も、生き生きとしている。

 

目次
Ⅰ 原子学説との最初の出会い(1919~1920)
Ⅱ 物理学研究への決定 (1920)
Ⅲ 現代物理学における”理解する”という概念(1920~1922)
Ⅳ 政治と歴史についての教訓(1922~1924)
Ⅴ 量子力学およびアインシュタインとの対話(1925~1926)
Ⅵ 新世界への出発(1926~1927)
Ⅶ 自然科学と宗教の関係についての最初の対話(1927)
Ⅷ 原子物理学と実用主義的な思考法(1929)
Ⅸ 生物学物理学および化学の間の関係についての対話(1930~1932)
Ⅹ 量子力学とカント哲学(1930~1932)
Ⅺ 言葉についての討論(1933)
Ⅻ 革命と大学生活(1933)
ⅩⅢ 原子技術の可能性と素粒子についての討論(1935~1937)
ⅩⅣ 政治家が局における個人の行動(1937~1941)
ⅩⅤ 新しい門出への道(1941~1945)
ⅩⅥ 研究者の責任について(1945~1950)
ⅩⅦ 実証主義至上主義宗教(1952)
ⅩⅧ 政治と科学における論争(1956~1957)
ⅩⅨ 統一場の理論(1957~1958)
ⅩⅩ 素粒子プラトン哲学(1961~1965)

 

ハイゼンベルクが、仲間の学者たちと自然の中を散策しながら解明されていない量子の世界について語り合ったり、単純に自然を楽しんだり、ドイツの各都市だけでなく、ニールス・ボアとの共働研究のために渡ったコペンハーゲンでの話、さまざまな自然の描写も出てくる。

自然科学の研究に限らず、なにか未知のこと、これからの戦略などについて、仲間と語り合うというのはこの上なく幸せなことなのである。たとえ考えがちがっても、解明したいもの、目指したいものが一緒であれば、とことん話し合える仲間がいる。そういう仲間こそが人生の友であり、そういう仲間に出会えるというのは、本当に幸せなことなのである。まさに、偉大な出会い。
同じ意見をもっていることが仲間なのではなく、同じ目標をもっていることが仲間であり、そこに建設的対話が成立するというのは、素晴らしいことなのだ。
50歳をすぎると、それがよくわかる。


ハイゼンベルクは、そういう仲間にも恵まれた。家族にも恵まれた。戦争に巻き込まれたり病気になったりしたこともあったけれど、創造的思考が彼の人としての魅力を豊かにしたのだろうとおもう。

かれは、第一世界大戦で10代にして戦場にも駆り出されている。でも、やはり大学教授となってから第二次世界大戦に巻き込まれていく様は、もっと現実的であり、一人の学者として空しさや悲しさがせつない。

 

ドイツの大人たちはだれも、ヒトラーが正しいとは思っていなかったハイゼンベルクは、ヒトラーに傾注していく生徒たちを、止めることはできなかった。あるいは、ヒトラーに善がかけらも無いことを認めつつも、未来を失望し、軍に言われるがままに戦地に赴き、若い命を無くしていく教え子たちを止めることはできなかった。

その悲しみや・・・・。

 

仲間の学者たちの中には、アメリカに亡命する人たちもいた。でも、ハイゼンベルクは、ドイツにとどまることを決意する。

 

第二次世界大戦中、ハイゼンベルクや他の原子物理学者たちは、軍から原子核の研究のために「ウラン・クラブ」と呼ばれた研究所へ召集される。オットー・ハーンは、原子核分裂の理論を解明し、原子爆弾の可能性を明らかにする。でも、ドイツの研究者たちは、原子爆弾の開発は莫大な費用が掛かることもあり、決してそのようなものの開発に自分たちは加担しないと決め、軍をその気にもさせなかった。もしかすると、アメリカに渡った同僚たちは、ドイツでの開発が進んでいるかもしれないからと、躍起になって原子力爆弾をつくっているかもしれない、、、いや、きっと彼らもそんな人類の破壊につながることはしないはず、、、そんな思いで。

 

しかし、1945年、広島に原子爆弾は落とされた。
その知らせを聞いたオットー・ハーンは、あまりのショックに、自殺しそうなほど落ち込んだそうだ。
自分が、原子核分裂を解明しなければ、無辜の民が殺されることは無かった、、、と。

 

『未来のエリートのための最強の学び方』(佐藤優)の中で、宇野弘蔵湯川秀樹の「科学者は自発的な意思によって核兵器などにつながる研究はやめるべきだ」といった事を批判したのは、多分、正しい。科学者がやるべきなのは、それを正しく使う方法、使うと何が起きるかの良い点悪い点、一般の人がわかるように説明し、どう活用すべきかの方針を含めて示すことなのだ。だから、科学者は、哲学者でなくてはいけない。

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オットー・ハーンは、間違ったことをしたのではない。人間が使いかたを誤ったのだ。そういう点では、ドイツ軍は、原子核分裂は誤った使い方をしなかった。それは、戦後のドイツへの裁判において、有利に働いたそうだ。

そして、戦後には数多くの原子力発電所を作ることになる。さて、それは正しい使い方なのか、、、やはり、制御できないものを作ってはいけないのか、、、。
科学技術の永遠の課題かもしれない。
正しいか正しくないか、その時には正しいと思った、としか言いようがない。

 

心に残ったフレーズを覚書。

・現代物理学における理解するという概念について
”『理解する・わかる』というのは、とにかくごく一般的にいうと、それを使ってたくさんの現象を統一的、相互関連的に認識できるような表象や概念を所有すること、つまり『把握』できることだ。”

 

ニールス・ボーアと特別講義の後にハイベルクの丘を一緒に散歩したときのことについて
”この散歩は、私のそれ以後の学問的成長にとって、もっとも強い影響を与えたものであった。あるいは、私の学問的成長はこの散歩を機会に、ようやく始まったのだと言った方が適当かもしれない。”
 
仲間との対話で、思考が進化する感じ。すごくわかる。

 

アインシュタインの発表でさえ、政治的批判をあびる世の中になってきたことに対して
学問さえも真理のためでなく、むしろ利害得失のために利用されるのなら、いったいそれに努力することがそれだけの価値のあることだろうか。”

 

・新しい世界を切り開くということについて
コロンブスアメリカ発見の素晴らしいところは、既知の陸地を完全に離れ、それでも西へ西へと船を走らせるという決心であったに違いない。
同じように、科学における本当の新世界も、ある決定的な箇所において、今までの科学が土台としていたものを離れて、いわば虚空に飛び込む覚悟無ければ発見できないものである。”

実行することの大切さ。
創造的であることと、実行力があることは別物、ってこと。
じつに、大切。

 

・戦争がすすみドイツが苦境におち、孤立していく中で、ドイツの完全な破局を予測しつつ。
ドイツ国内でも個人の孤立化がはじまり、相互の理解が困難になった。ただ限られた親密な友人間だけは、まったく自由に発言する事ができたが、しかし、すべての他の人々に対しては、用心深い控え目な何かを知らせるというよりは、むしろ包み隠すような言葉遣いを用いた。”

 

・戦争と軍と国と、流れを止めることのできない嘆きの中で。
”人々がもう一度、何かをすることができるようになるまで、ただ待たねばならない。それまでは、人々は自分が生きていく小さな領域の中で、秩序を保たねばならない” 

 

偉大な物理学者も、戦争と軍の前では、流れを止めることはできなかった。でも、かれは、ドイツが再び平和に発展していくことを信じて、ドイツにとどまり、研究をつづけた。軍にも従った。

 

人生、タイミング。

 

本書の最初に、何枚もの写真が挿入されている。

山登りが大好きだったようだ。

ヨットも乗りこなした。

ピアノも上手だった。

 

すごい人だったんだな。

物理学も数学も、宗教や哲学と切り離せないということが、本書でもわかる。

 

学問の世界は広く、深い。

だから、楽しい。

 

素敵な一冊だった。

若者よ、こういうの、読んでほしい!

岡潔の本に近い感じ。

 

あらゆる真実は、自然の中にある。

それをわかるようにしたがるのが人間。

私たちには、まだまだ分かっていないことがたくさんある。

それでも、地球は回っている。

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『部分と全体  私の生涯の偉大な出会いと対話』 W.ハイゼンベルク