禅の言葉 『過去のこころ 現在のこころ 未来のこころ』

過去のこころ 現在のこころ 未来のこころ

今朝教えていただいた、禅のひとこと。

 

修行中のある禅者が、旅の途中である餅屋に立ち寄り、そこで店主の老婆から問いかけられた。

老婆は、
「もしあんたが答えることができれば、ただで餅をあげましょう。もし、答えられなければよそへ行きなされ」
と言ったあとで、「お経に『過去心不可得(過去の心は今はない)、現在心不可得(現在の心もすぐ去ってしまう)、未来心不可得(未来の心はまだ来ない)』とあるが、あなたは一体どの心で餅を食べるのか」
と質問した。

 

過去の心はもうない、現在の心もさっと過ぎ去ってしまう。未来の心はまだ出会っていない。
禅者は、餅を売る老婆に「ぐう」の音も出ず答えることが出来なかった。

 

過去のこころ、現在のこころ、未来のこころ、
これらはいずれも存在しない。
こころに、時の概念が存在しないということ。

時間にとらわれすぎるな、ということ。

 

今の私たちの生活でも、「時」を考えることは大事だけれど、とらわれすぎてもいけない。

 

ミヒャエル・エンデの「モモ 」は、それを教えてくれる一冊として、紹介されていた。
(時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語)

 

人間は時間に縛られている。
そのため自由で開放されたこころが持てない。

そんなことは、ないだろうか?

 

昨今いわれる、生産性、という言葉の意味を考えるための今朝の一言だった。

 

働き方改革のゴールは・・楽しく時間を忘れて働くことでは? 
働き方改革がめざすべきは、物的生産性、金銭的価値をわすれて、楽しく働くことでは??

生産性って、なんなんだ?
企業の現場には、それ以外の価値もあるのでは、
というお話。

 

そういう、考え方もあると思う。

大量生産、大量消費の時代は、速く・たくさん、が素晴らしいとされた。

でも、もう、その時代は変わった。

 

幸せの定義が人それぞれであるように、生産性の定義も人それぞれであってよいのだと思う。

 

趣味で色々勉強していると、「それやって、儲かるの?」と聞く人が少なからずいる。儲かることだけが生産性の高いことではないと思う。

ただ、やっぱり30代、40代、50代、、、体力のある働き盛りは、たくさん稼ぐのは良いことだと思う。だって、やっぱり、お金がないとできないこともたくさんあるから。

 

いったん、ある程度お金ができたら、あとは、ぼちぼち、、、と働くくらいでいい。

収入につながらない時間がたくさん持てるのは、私にとっては結構幸せなのだ。

時間にしばられない生き方ができるのは、結構幸せだ。

あれがしたい、これがしたい、いっぱいやりたいことがあるから。

 

こころには、時間の概念がない。

こころが満たされるのに、時間を考える必要はない、ということかもしれない。

一日のうち、一瞬でも幸せを感じる時間があれば、それでいいのかも。

 

幸せも、生産性も人それぞれ。

自分のペースでやっていこう。