『砂の女』 by  安部公房

砂の女
安部公房
新潮文庫
昭和56年2月25日発行
平成15年3月25日53刷改版 
平成21年6月5日65刷


ずっと気になっていた本。図書館で借りてみた。

 

ヤマザキマリさんが、『国境のない生き方』(2015)のなかで紹介されていたのが、最初に気になったきっかけだった気がする。『たちどまって考える』(2020)のなかでも、本なら安部公房!といっていて、私が最初に読んだ安部公房の作品が、『けものたちは故郷をめざす』だった。戦後に大陸から日本への帰国をめざした男の話なのだけれど、なかなか、頑健で強烈な作家、ゴツゴツした人、というイメージだった。
そして、本書は、多くの言語にも翻訳されている、まさに、名作と言われている。いつかいつか、、、と思っていて、だいぶたってしまったが、読んでみた。


裏表紙の説明には、
砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして穴の上から男の逃亡を妨害し二人の生活を眺める部落の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開の中に人間存在の象徴的姿を追求した書き下ろし長編。20数ヶ国語に翻訳された名作。」
と。

 

感想。
うわぁぁぁ、、なんだこれ。
あとからじんわりじんわり、すごい作品だ、、、、という感じ。
面白いとか、楽しい、ではない。
推理小説のように、どんどん引き込まれて止まらなくなる、、、感じ。
文庫本で、268ページ。
行きの電車の中、ドトールコーヒーで休憩しながら、帰りの電車の中で、ほぼ読み切ってしまった。


ちょっと、次元が違うかもしれないけれど、先日、アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」と似ている。後からじんわり来る感じ。あとから、場面をたどって思い出しながら、あぁ、、、なんとまぁ、、、人間って、、、。って。読んでいる間、見ている間は、もどかしさばかりがつのる。そして、読み終わった後、見終わった後、何とも言えないむなしさ、あきらめ、でも希望、、、。。人間って、それでも生きていくんだ。って、そんな感じ。


人間存在の象徴的姿
そういうことなのかもしれない。

タイトルの次のページの一文が、読み終わってから見直すと、強烈。

「罰がなければ、逃げ出す楽しみもない」

 

以下、ネタバレあり。

 

作品は、”八月のある日、男が一人、行方不明になった”という一文から始まる。


行方不明になったのは、31歳、仁木順平。妻がいて、教師をしていて、昆虫採集が趣味の一人の男。
そして、妻は、男が行方不明になった理由がわからないまま7年たって、民法第30条によって、男の死亡認定をうける。

物語開始数ページのうちに、男は死亡認定を受ける。

妻にとってのはなしは、ここで終了。

 

そして、場面は、男が昆虫採集に出かけた夏にもどる。

本作品の最後には、「失踪に関する届出の催告」と「審判」の書。

男が死んだことになった世界で生き続ける妻。

自分が死んだことになっていることを知らない世界で生き続ける男。

それが、人間の世界ということなのか。

 

男は、昆虫採集に行っただけだったのだ。失踪するつもりなどなかったのだ。
でも、立ち寄った砂丘の部落で、なぜか監禁される形で閉じ込められることになる。

狙っていた昆虫を採取することができずに、さてどうしたものかと砂丘を歩いていた男は、地元の人間らしき老人に声をかけられる。そして、宿を紹介してもらう。
それは、崖の下のような場所に、砂に埋もれて今にも壊れそうな一軒の家で、一人の女が主だった。縄梯子を降りていくようにと言われ、男は崖の下へ降りていく。

崖の下の家は、宿ではなくその女がすむ普通の家だった。
いや、普通じゃなかった。
家じゅう砂だらけ。砂を掻き出さないと、家の中も砂だらけ。家の周りも砂を掻き出さないと家がつぶれてしまう。

一晩の辛抱だ、と思っていた男は、翌日の朝に縄梯子はきれいさっぱりなくなっていて、自分が崖の上へ戻る手段がないことを知る。

 

毎晩毎晩、女は砂をかく。
水も、電気もない。
水と食料は、崖の上から時々供給される。

自分は客だと思っていた男は、客ではなく、女と一緒に砂搔きをさせるために老人らに監禁されて、崖下の家に閉じ込められたことをさとる。


体力も消耗する。こんなこと、やってられるか。俺は、教師だ、自宅に帰るんだ、と叫んでみても、崖の上に上がる手段もない。
砂かきをさぼれば、水や食料の供給が止められる。。。

女がどうやって崖の上の連中と連絡を取っているのかもよくわからない。

新聞が欲しいといえば、ボロボロの数日前の新聞が届けられた。

焼酎も届けられるようになる。

いつか逃げてやろうという男の抵抗、女の無抵抗、そんな日々が続く。

どうあがいても、命は崖の上の老人たちに握られている。

 

一度は本気で脱出を試みたが、気が付けば蟻地獄のような砂に埋もれ、老人らに「なんでもするから助けてくれ」と懇願する。

だれも、ここから出ていくことはできないのだ・・。

気が付けば、10日、1か月、半年、、、。

男は、ただ、生きて、砂搔きをして、女と寝る生活をすることに、さして疑問も持たなくなる。。。女は身ごもる。
ある日女は、腹痛をうったえて、崖の上へ運ばれていく。
それを見送る男。
女を運び上げた縄梯子は、下ろされたまま。
登っていけば、逃げ出せるチャンスかもしれない。
登ってみた。

でも、崖の上に上がってから、崖の下を見下ろし、逃げる必要はないのかもしれないと思う男。

 

”逃げるてあては、またその翌日にでもかんがえればいいことである。”

 

THE END

 

なんて、話だ、、、、。


人間というのは、慣れてしまえば、外の世界と閉ざされていても、それはそれで幸福を感じるということなのか。次の女がいれば、妻のことも忘れてしまうのか。。。

希望が失われた中にいると、それに慣れてしまうということなのか。

 

部落の人たちは、掻き出した砂を非合法にコンクリート屋に売り飛ばしてお金を稼いでいた。海水交じりの砂をコンクリートに使えば、建材としては大問題だ。それを指摘する男に対して女は、「そんなの私たちの知ったことではない」と言い放つ。

 

自分の世界がよければそれでいい、そんな人間の身勝手さを、いつものまにか受け入れている男。

 

人間のたくましさなのか、ふてぶてしさなのか、慣れるということへの恐ろしさなのか。

 

多くの言葉に翻訳されているとのことだが、それぞれの国では、どういう感想だったのだろう、と、気になる。

フランスでは最優秀外国文学賞を受賞したらしい。ケセラセラの世界観か??

 

タイトルの後のページの一文、

「罰がなければ、逃げ出す楽しみもない」

 

読み終わって、見返すと、どしんと重くのしかかるような感じ。

すごい話を書いたもんだ、と思う。

 

安部公房って、なんだか、、すごい。

明るい希望の本ではない。

でも、ぐいぐい引き込まれる物語。

自分が男の立場だったら、、、やっぱりあきらめちゃうのかな、、とか。いや、もっと何か手立てはあるだろう、、とか。

 

う~~ん。

おもしろい。

重かったけど、面白い。

 

やっぱり、読書は楽しい。

 

 

砂の女』 安部公房