『脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克』by  中野剛志・中野信子・適菜収

脳・戦争・ナショナリズム
近代的人間観の超克
中野剛志・中野信子・適菜収
文春新書
2016年1月20日 第一刷発行

 

暇つぶしに流していた中野信子さんのYoutubeで、本書のことを話していたので、図書館で借りて読んでみた。
2016年だから、第二次安倍政権中の本。

安部批判が半端ない、、、って感じの本だった。

 

著者のうち、中野信子さん以外は、私はしらなかった。
鼎談。

中野剛志(なかのたけし)さんは、1971年生まれ、批評家。東京大学教養学部卒業後に通商産業省(現経済産業省)に入省。京都大学工学研究科大学院准教授など。別に、信子さんの夫ということではないみたい。作品中に子供の話が出てきたから。信子さん、子供はいないと思う。

中野信子(なかののぶこ)さんは、1975年生まれ、脳科学者。

適菜収(てきなおさむ)さんは、1975年生まれ。評論家。ニーチェの研究家。

 

近代的人間観の超克、というサブタイトルは、近代のものの考え方はもう通じないから、新しい価値観を持て、ということらしい。昭和のおじさん、おばさんを滅多切り、、、って感じ。私も切られている側の世代かな、と感じた。
全体に、人の批判が多くて、ちょっと読んでいて疲れた。

 

文春新書って、こういう本を出版するんだ、、、と、ちょっと思った。
なんで、こんなに人をバカよばわりするんだろう?と思って、「適菜収」を検索したら、人をバカ呼ばわりすることで有名な人だった。。。。それって、ちょっと残念な人な感じ。何かを批判したり否定するのと、バカ呼ばわりするのは違うでしょ・・・。

 

表紙の裏には、
”「ナショナリズムは危険なもの」「知性で殺し合いは回避できる」「人を見た目で判断してはいけない」
これらは、近代の迷妄にすぎません。
脳科学、社会科学、哲学の若手論客が人間の本質を鋭く突いた白熱の討論10時間”
とある。

3人それぞれの視点からの、社会への解釈が語られる。
中野信子さんの、セロトニンドーパミンなどの脳内物質の話は、相変わらず面白い。
左翼とは?ナショナリズムとは?ポピュリズムとは?と、語られていく。

 

目次
序章 近代的人間観を捨てよ!
第一章 ナショナリズム  なぜ快楽なのか
第二章 国家と体制 なぜ自由は苦痛なのか
第三章 ポピュリズム
第四章 暴力
おわりに 近代を越えられるか

 

ストレートな物言いで話が展開していくので、思わず正しいことを言われている気がするけれど、いわゆる声の大きい人の意見的な感じもする。
冷静に読み進めれば、そうだね、そういう解釈もあるね、という感じ。3人とも、知識は豊富なのだろうから、色々な話に展開してくのは面白い。
社会における人間の様々な行動や選択の話が、脳科学の話になり、なぜ人はそう行動するのか、信子さんの脳科学者としての突込みが入る。

 

「人は見た目で判断してはいけない」というのは、なんとなくモラル的な感じがするし、一般に信じられているけれど、そもそも、人は見た目で判断する。動物は、危険を見た目で察知するという話。
指名手配犯、凶悪犯人の写真10枚と、社会福祉活動家の写真を10枚くらべたら、きっとだれでも、どっちが凶悪犯の写真グループか分かるはずだと。
たしかに、言えている。
だから、見た目で人を判断してはいけないなんていうのはきれいごとで、みんな見た目で判断するんだ、という話。そして、左翼は丸めがねをかける、と、偏見きわまりない意見まででてくる。靴のかかとが減ったまま平気で履いているとか、、、。読み始めて、そこで、なんだかなぁ、、、とおもってしまった。
人をグルーピングするな、、、と感じた。

 

でも、なるほど、と思う話もたくさんある。理性だけでは社会は成り立っていかないという理論は、共感するし、大衆と呼ばれる人々は知能の問題でなく自分の価値判断の基準を失ってしまった人、という表現は少しわかる気がした。

大衆のことをコケ下ろしている感じなんだけど、きっと三人とも自分は大衆ではないと固く信じているのだろう。


信子さんの、内向的と言われる人ほど行動は自律的で、外交的と言われる人ほど行動は他者に依存している、という見方もなるほどな、と思った。


宗教とナショナリズムに駆り立てられると、人間は知性を鈍らせ、死をもいとわない。
一方で、知性だけが発達すると、人類は子孫を残す確率が低くなるので、知性を鈍らせるものは社会に必要なのだ、と。信子さん曰く、知能が高い個体ほど繁殖しないという現状があるそうだ。高学歴ほど子供が少なくて、「ヤンキーの子沢山」こそが人間として適応的だと。

 

また、知性だけでなく「聖的なもの」が社会の維持には必要で、宗教やナショナリズムは「聖的なもの」なのだと。日本にとっては、「天皇」は一つの聖的な象徴であり、そういう意味で日本国を維持継続するには、天皇制はあったほうがいい、という理論。なるほど。

 

お祭りのようなものが地域の一体感をつくるのは、知性ではなく聖的なものへの共同幻想かもしれない。たしかに、知性だけの世界って、なんだか殺伐とする気がする。


トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』が引用されている。
人間は信仰をもたなければ隷属を免れず、自由でありたいなら宗教を信じる必要がある、と。人によって、宗教に値するものは違うのだろうけれど、自分の自由意思で選択しているというのは幻想であるというのはわかる。


ズバッと断定的にモノをいう政治家が人気になるのは、人は、自分で意思決定しなくて済むような状況の方を好むからだと。自分の意思というより、脳がラクをしたいから、そいう人になびいてしまうのだと。

 

各宗教に関する話もでてくるのだが、そこは、3人ともあまり宗教を語れるほど理解しているわけではないのでは??とおもいたくなる節がある。

 


なぜ戦争はなくならないのか?という話で、信子さんがオキシトシンの話をする。女性が子供を産むと増えるといわれる、愛情ホルモンのオキシトシン。そのオキシトシンが戦争を引き起こしているかもしれない、という説。人は、安心するとオキシトシンが出る。人は集団でいることの快感をしっているので、社会的に行動する。誰かと一緒にいることでオキシトシンが出る。そして、集団が大きくなるとその快感を助長するのが構成員の誰かを排除することになっていく、、、と。
いじめがなくならないのもそのためだと、他の著書でも言われていた。

国のために戦う、、、て、一つの愛情表現ということか。
特定の集団に対するだけの、、、、。

やっぱり、一致団結には仮想敵を作るのが一番ということなのか。。。

いま、火星人が地球に責めてきたら、ロシアもウクライナに侵攻している場合じゃなくなるのかな、、、なんて。


適菜さんの発言で、
自分の無知と知性の限界に気づくのが『賢い人』」というのがでてきた。いい言葉だと思う。だが、さて、彼は自分自身は賢い人とおもっているのだろうか??? 

少なくとも、自分が無知とは思っていないのだろう。

 

様々な情報が織り交ぜられているので、勉強になることも多い。

ただ、全体にただよう人をバカにした感じがちょっと疲れる一冊だった。

ま、でも、色々知っているのね、と思う。

 

確かに時代は変わっていくし、20年前の常識で考えてはいけないのかもしれないけれど、、、急にアクセルを踏めばびっくりして転ぶかもしれない。リスクだらけだ。少しずつ、社会は変わっていくものなのだろう。

本書の全体のトーンとしては、共同体を再構築する社会への変化が必要だという主張のようだ。そこは、共感する。

超克というより、緩やかなる変化でいいのだと思う。

 

変化を拒んでは成長できないし、価値観を見直すことは必要だと思う。

そういう意味で、新しい視点を見せてくれた一冊。

ま、良いことにしよう。

 

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『脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克』