現代思想入門
千葉雅也
講談社現代新書
2022年3月20日 第1刷発行
新聞の広告でみかけて、気になった。読んでみた。
感想。
読んでよかった。
難しい現代思想について、一生懸命読者に分かりやすくかみ砕いて書いてくれているのがわかる。難しいけれど、比較的とっつきやすい一冊だと思う。
入門、ということで、本文は比較的分かりやすく書いてあって、必要に応じて参考文献が紹介されているので、もっと突っ込んで勉強したい人には、それなりの材料が用意されていて、かなり、親切な本だと思う。
著者の千葉さんは、1978年、栃木県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は、哲学・表象文化論。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。たくさんの著書もあるらしい。
目次
はじめに 今なぜ現代思想か
第1章 デリダ 概念の脱構築
第2章 ドゥルーズ 存在の脱構築
第3章 フーコー 社会の脱構築
第4章 現代思想の源流 ニーチェ、フロイト、マルクス
第5章 精神分析と現代思想 ラカン、ルジャンドル
第6章 現代思想の作り方
第7章 ポスト・ポスト構造主義
付録 現代思想の読み方
おわりに 秩序と逸脱
そもそも、「現代思想」とはなにか?
「現代思想」とは、1960~1990年代を中心に主にフランスで展開された「ポスト構造主義」の哲学。すでに20世紀後半の思想であり、ちょっと古い?けれど、日本では、「現代思想」と呼ばれている。
本書では、その代表者として3人が第1章~3章で紹介される。
ジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ミシェル・フーコー の三人だ。
著者は、現代思想を学ぶことで、複雑なことを単純化しないで考えられるようになる、と。単純に考えたい人にはむかないのかも?でも、単純化できない現実の厳しさを、より「高い解像度」でとらえられるようになると、思考の幅が広がるように思う。
私自身、なぜ40代後半から、思想や哲学の本を読むようになったかというと、それらの知識を得ることで、よくわからなかった世の中の流れや動きが、少し見えるような感じがしてきたから。そして、見えてくると、色々な点と点が繋がり始め、あぁ、複雑だけどシステムなんだ、と、まさに、ちょっと解像度が上がるような感じがするから。
とはいっても、まだまだピンボケだけど。。。ついでに最近では老眼まで、、、、。
解像度を上げる道はまだまだだ、、、。
いまだに、哲学者、思想家は、登場人物が多すぎて、名前とその人の思想がなかなか結びつかないけれど、本書はキーパーソンに絞って話を展開してくれているので、視点として分かりやすい。
また、こういった本に読み慣れていないのであれば、「付録 現代思想の読み方」から読むのがおすすめ。
私にとって、本書の一番のポイントは、この付録かもしれない。
とっつきにくい思想に関する本を、どう読むといいのかが示されている。
ありがたや、ありがたや。
いくつか、覚書。
”読書は全て不完全である。哲学書を一回通読して理解するのは多くの場合無理なことで、薄く重ね塗りするように「欠け」がある読みを何度も行って理解を厚くしていく。”
”不完全な読書であっても、読書であると言うか、読書はすべて不完全なのです。”
ピエール・パイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』(ちくま学芸文庫)がお薦めだと。ちょっと、気になる。いつか読んでみよう。
”現代思想を読むための四つのポイント
① 概念の二項対立を意識する
② 固定名詞や豆知識的なものは無視して読み、必要なら後で調べる
③ 格調高いレトリックに振り回されない。
④ 原典はフランス語、西洋の言語だということで、英語と似たものだとして文法構造を多少意識する。
そもそも、何かの思想が生まれてくるのは、それまでの思想を否定するあるいは疑問を持つところから始まることが多い。だから、二項対立。従来のどのような考えに対して、その人は異議を持ち、どのような新しい解釈を展開しているのかを読み取ろうとする、という感じだろうか。
話の焦点は何なのか?ってことだ。
固有名詞や歴史的出来事とか、確かにそれが分からないと何をいっているのか分からないことがよくでてくる。でも、そのたびに読み止まると、話の流れが見えなくなる。だから、ある程度流して読んでしまえ、ということ。
レトリックは、ほんとに、嵌ると嵌る。やたら修飾、形容が多かったり。個人的には、本当の主語と述語はなにか、を意識するようにしている。特に、翻訳の文章はそうだ。
原典がなにかというのは、結構文章の構造に影響するので、翻訳によっても分かりやすさや分かりにくさが大きく分かれるところ。意味翻訳なのか、ほぼ直訳なのか、だいぶ違う。
今回は、日本人の書いた本なので、それを意識する必要はないけれど、中で紹介してくれている様々な書籍を読もうと思ったときには、大事な点だ。
本書の中では、取り上げたそれぞれの人の考えが、詳しく説明されている。それをまとめて、現代思想の4つの原則をあげている。
1 他者性
2 超越理論
3 極端化
4 反常識
それぞれ、前の時代の構造主義で取りこぼされたものへの配慮、すくいあげようという方向性。
デリダは、概念について。何かを正しいとしたときに、そこから排除してしまったものが存在し、その排除されていたものへも思いをはせた。それを他者性と呼んでいる。
人が、何かを決断するとき、何かを選択するとき、選ばれなかったモノが同時に存在する。その存在を忘れてはいけない、というメッセージかな。
ドゥルーズは、存在について。世の中のあらゆるものは、それぞれ差異がある、ということを言っている。その差異こそが世界を作るモノ。パロール(話し言葉)とエリクチュール(書き言葉)にさえ差異がある。話し言葉は実体として直接的に存在し、本質的、自然なもの。書き言葉は、ひとたび書き手の手をはなれれば、間接的なものとなり、非本質で、人工的なものとなる。
でも、書くことで後世に繋がれていく。それは、どこまで行っても、プロセス。ずっと、繋がっている。すべてのことは、生成変化の途中である、と考えると、人生もつねに「何かの途中」であり、あらゆることを「ついで」にこなしている、というライフハックもあり、と。
人にとっては、パロールもエクリチュールも必要で、パロールのような自然しかない環境だと、制約がないためにかえって何をしていいかわからなくなる、ということ。
そして、
「本当の自分のあり方」を探求する必要なんてないのだ、いろんなことをやろうじゃないか、いろんなことをやっているうちに、どうにかなるよ、というメッセージ。
フーコーは、社会について。強い「権力」が発揮されると、世界は均一化の方向へ行く。権力が「正常」とみなしたものがマジョリティとなり、社会の中心をしめる。そして、厄介者、邪魔者は、「異常」とされる。でも、フーコーは、権力を持つものがそういう世界をつくっているのではなく、実は弱い者(支配される側)が、そうなることを無意識に望んでいるのだという。トランプ大統領の登場なんて、まさにその構造か?
権力は、逸脱した存在を排除、あるいはマジョリティに適応させることで社会を安定させる。生徒全員、同じ校則で拘束しようとするようなものか。しかし、近代という時代は、そういう権力の作動に気づきにくくなっていた。その歴史的観点が、今の管理社会を批判的にみるために必要な視点だという。
人間は、雑多なものである。フーコーは、それでよい、と言ってる。
ほか、ニーチェ、フロイト、マルクス、ラカン、カント、ショーペンハウアー、レヴィナス、、、色々な人の思想が紹介される。
新しい思想が流行るときは、それまでの思想では取りこぼされている人が多くなってきたときだ。そして、今はさらに、次の時代になっている。
そして、どのような思想が主流になろうと、結局は自分が今ここで何をするか。
考えるだけでなく、どう行動するか。
それが大事なんだというのが著者のメッセージ。
で、その行動の意味を解像度高く理解するために、思想を理解するということが役立つんだな。
まだまだ、だけど、なんか、ちょっとわかったような気になる一冊だった。
ま、読書はどこまでの不完全なもの、ということで。
そんな読書を楽しもう。