『ヘヴン』 by  川上未映子

ヘヴン
川上未映子
講談社
2009年9月1日 第1刷発行

 

先日、アメリカで翻訳されることになったという川上さんの『すべて真夜中の恋人たち』を読んでいるとき、本書が英ブッカー国際賞の最終候補に残ったというニュースを聞いて、図書館で借りてみた。

megureca.hatenablog.com

 

2009年というから、10年以上昔の本が、今頃、、、。

 

まったく、どういう本か知らずに読み始め、1ページ目を読んですぐに理解した。
イジメ
学校でのイジメの話。

 

お話は、
”4月が終わりかけるある日、筆箱開けてみると鉛筆と鉛筆の間に立つようにして小さく折り畳まれた紙が入っていた。広げてみるとシャープペンシルで〈私達は仲間です〉と書かれてあった。薄い筆跡で魚の小骨みたいな字でその他には何も書かれていなかった。
(中略)
手紙は嫌がらせ以外には考えられなかった。しかしどうして今さら彼らがこんなよく分からないことをするのか理解できなかった。僕は頭の中でため息をつき、そしていつもと同じように暗い気持ちになっていた。”
とはじまる。。。

 

最初の段落を読んだだけで、どよ~~ん、と暗い気持ちになって、一度、本を閉じた。

読むのをやめようかな、、、と思った。

 

改めて、どんな本なのか、Amazonの紹介文を引用すると、

芸術選奨文部科学大臣新人賞・紫式部文学賞 ダブル受賞

<わたしたちは仲間です>――十四歳のある日、同級生からの苛めに耐える<僕>は、差出人不明の手紙を受け取る。苛められる者同士が育んだ密やかで無垢な関係はしかし、奇妙に変容していく。葛藤の末に選んだ世界で、僕が見たものとは。善悪や強弱といった価値観の根源を問い、圧倒的な反響を得た著者の新境地。”
と。

 

まぁ、せっかく借りてきたし、最後に〈僕〉は、救われるに違いない、、という希望をもって、読んでみることにした。

 

たしかに、ラストは、美しい。
〈僕〉は、イジメの世界とは違うもので、新しい世界に感動する。
そういうものがたり。

 

〈僕〉以外の登場人物には、あまり救いがない。あえて言えば、〈僕〉のお母さん(ただし、お父さんの再婚相手)も、〈僕〉とともに美しい心の人であったということに、救われる。

いじめっ子は、救われない。。。というか、そもそも、いじめっ子の人生なんて、僕には関係ないのだ。どうでもいいのだ。いじめっ子がこの先どうなろうと、僕は僕の人生を歩んでいく

そんな物語。

人間の浅はかさ、弱さ、強さ、、、、。
後味がいいのだか、わるいのだか、、、。
世の中には、悪も善もある。
そういうもの、、、という、つれなさ。。。

 

彼女の作品から受ける印象は、「世の中、こんなものよね」という、ちょっと 投げやりなような、でも、どうやって生きていようが、人は生きていることに意味があるというのか。
深く意味なんて追求しないで、自分の欲求に耳を傾けよう、、、というまっすぐさというのか。

ワクワクしたり、ドキドキしたり、、、明るいストーリーではない。でも、読んでいると引き込まれる。静かな波にすべてが飲み込まれる、そんなもんだ、、、っていう、やるせなさというか、、、曇り空な感じ。

でも、本書のラストで、〈僕〉は、目をみひらいて、目に映るなにもかもが美しいことを知る。ラストシーンは、青空
そんな物語。

 

以下ネタバレあり。

主人公の〈僕〉は、中学2年生。二ノ宮とその取り巻きにイジメられている。彼は、小さい時から斜視で、それは生みの母親と一緒だった。
「ロンパリ」「気持ち悪い」といってイジメられている。
ある日、差出人不明の手紙には、「会いたい」「クジラ公園でまっています」と書かれていた。
勇気をだして、行ってみると、そこで待っていたのは、同じクラスの女子生徒コジマだった。彼女は、汚い身なりをしていると言われて、クラスの女子にいじめられていた。
クジラの置物があるから、クジラ公園。二人が初めて言葉を交わした思い出の場所となる。
コジマは、「君の目が好きだ」と言った。

 

二人は、手紙を交換し、時々、学校以外でも会って話をするようになる。もちろん、いじめっ子たちには、見つからないように、こっそりと。


夏休み、コジマが僕をつれていってくれたのが、彼女が「ヘヴン」と名づけた作品のある美術館だった。
二ノ宮、そしてその取り巻き、いつも黙ってみているだけの百瀬、イジメは、どんどんエスカレートしていく。でも、先生にはばれないような巧妙なイジメ。殴っても、蹴っても、後が残らないようなイジメ方。。。

 

僕は、お母さんに学校でイジメられているとは言えなかった。言ったら、楽になるかな、とは思うものの、お母さんを悲しませることは出来ないと思った。言えなかった。
今のお母さんは、僕が6歳の冬にお父さんが連れてきた。それまでは、おばあちゃんと暮らしていた。お父さんの再婚相手。そのお父さんが最近は家に帰ってこない。だから、僕はお母さんに優しくしてあげたかった。悲しませたくなかった。血のつながりがあるのはお父さんだけど、僕の心は、お母さんに寄り添っていたかった。

 

ある時、二ノ宮たちのイジメがエスカレートして、僕は鼻を大けがする。僕の頭に袋をかぶせて、僕をボールにしたのだ。
大量の出血。驚いた二ノ宮たちは、先生に見つからないように帰れよ、と僕に言って、現場から逃げ出す。
痛みで動けずにいた僕のところにやってきたのは、コジマだった。
見ていたのだと。でも、何もできなくて、、、と。
そして、先生に見つからないように血を拭いて帰る二人。。。

 

さすがに酷いケガで、お母さんには、自転車にぶつかった、と説明した。あまりに酷いので、翌日、病院に行った。
病院の先生は、「折れてはいない」といい、でもさぞかし痛かっただろうといって、痛み止めをくれた。折れていないから通院はしなくていいけど、また、一週間後に見せに来てと。

そして、一週間後、僕が病院にいくと、待合室に百瀬の姿を見つける。
一瞬、かくれた僕。
でも、あえて、百瀬の前に立ちはだかってみた。
僕に気が付いた百瀬は、病院から出て行く。
追いかける僕。

「なんで、僕をいじめるんだ」
はじめて、百瀬に口をきいてみた。
百瀬は、「意味なんてない」と答える。
百瀬は、「イジメられたくないなら、逆らえばいい。君はそうしないじゃないか」
という。。。。
そして、「君をいじめる理由なんてない。たまたまなんだ。」といって去っていった。。

看護師に呼ばれて、我に返り、診察室に向かう。
鼻の痛みはもうなくなっていた。
医師は、自分も若いときにケンカで鼻をけがしたことがあるから、鼻が曲がったままなんだと自分の鼻を指して笑い、
「鼻は大事にした方がいいよ」と言ってくれた。
そして、
「君の目、手術したら簡単に治るよ。」と聞かされる。
手術代、1万5千円で治ると。。。

お母さんに、話してみた。
「したいならすればいい。いつでも出来るってわかっただけでも、よかったじゃない。」
といって、手術をすすめるのでもなかった。

 

僕は、コジマが好きだと言ってくれた目だけれど、手術してみたい気持ちに揺れた。
そのことをコジマに話すと、「君は何もわかっていない」といって、口をきいてくれなくなる。。。

コジマと話をしたい、と何度も手紙を書いた僕。
そして、クジラ公園で再び会うことにする。

雨の日だった。二人はクジラ公園で再びおしゃべりをしていた。
気が付くと、二ノ宮、百瀬、とりまき、女子、、、たちが二人を取り囲んでいた。
ここで、セックスしろよ、といって洋服を脱げとせまる二ノ宮たち。
コジマを家に帰らせてくれと、懇願する僕。

コジマは、正気を無くしていた。自ら服も下着も脱ぎ捨てると、二ノ宮の前に立ちはだかる。あきらかに異様なコジマに足がすくむ二ノ宮。。。
コジマの制服は地面に脱ぎ捨てられ、雨に濡れてドロドロになっていた。
異様な中学生の集団に驚き、通りかかった大人が「なにしてるの!!」と止めに入ってくれた。大人に助けられた二人。。。。

もちろん、学校の知るところとなる。お母さんにも。。。

 

僕は、クジラ公園の事件のあと2日間、学校を休んだ。
お母さんは、
「学校なんか、行かなくていい」

ちょっとまえに、「お父さんとは、離婚することになるかもしれない。」と僕に言っていたお母さんは、僕の味方だった。

「行かなきゃいけないとか、もうないからさ。行かないでもいい。」
「高校はまたこことは違うから、いきたいなら進学するための方法を二人で考えよう」

そう言ってくれた。

そして、
「手術しなさい」
とも。

 

この前、僕が手術の話をした時にすぐに勧めなかったのは、僕の斜視は生みのお母さんと同じだということを知っていたからだったと。でも、僕がそれにこだわるつもりがないなら、手術をすればいい、と。

 

ラスト、僕は手術を受ける。
たった一日の入院で、1万5千円の手術で、僕の世界は変わった。

病院の先生は言った。
人間はふつうにしてたって、変わるものだし、その証拠に君の鼻もあんなに腫れていたけれど、今じゃすっかり治っている。目の手術もそのなかの一つ。新しい目にあっという間に慣れてしまって、そのうち自分が斜視だったことも思い出せないくらいなるよ。」


忘れる。
そして、新しい世界が始まる。

手術が終わって、ゆっくりと目を開けた時、それは、僕が想像もしていなかった光景だった。初めて、両目で物が見えた。

何もかもが美しかった。

しかし、それはただの美しさだった。
誰に伝えることも、誰に知ってもらうこともできない、それはただの美しさだった。


THE END 

 

物語の最後、いじめは学校に知られることとなったけれど、いじめ問題がその後学校でどうなったかは、描写されていない。

ただ、僕は斜視の手術をうけて、新しい世界を手に入れる。

お母さんと僕は、きっと、新しい世界で一緒に生きてく。

 

いじめっ子たちは、どうなったんだろう、と思う。

でも、関係ないんだ。

僕にとっては、いじめっ子たちのことなんて、関係ないんだ。

それでいいんだ。。。

 

そんな思いがした。

 

クジラ公園の事件は、僕がコジマを見た最後となった、とでてくるのだが、コジマがどうなったのかも気になる。

 

でも、それも、忘れちゃうことなのかもしれない。

 

忘却は、人間の特技である。

嫌なことは、忘れてしまえ!!

それが、本のメッセージかな?!?!

 

う~~ん。

楽しい本ではないけれど、僕、それでいいんだ!と言いたくなる。

そんな本。

なぜ、川上さんの本が海外で受けるのかがわからん、、、けど。

ひとは、ちょっと暗い面のある文学が好きなのかな?

 

そんなに好きな本ではなかったけど、読んでよかったかな、って気にはなる。

読書は楽しい。

 

 

『ヘヴン』