『生き心地の良い町』 by 岡檀

生き心地の良い町  この自殺率の低さには理由(わけ)がある

岡檀(おか まゆみ)

講談社

2013年7月22日第1刷発行

 

山口周さんが Twitter で面白い、と言っていたのがふと目に入った。図書館で借りてみた。

 

感想。

うん、面白かった。

自殺の原因を調べる研究ではなく、自殺者が少ない理由を調べる研究。題材からして難しそうだけれど、岡さんは、自殺希少地域の一つである徳島県海部町海陽町(旧:海部町)にいって、地域の人からのヒヤリング、過去のデータ調査などに基づいて、その原因を探っている。

なるほど。と、面白かった。

そして、自殺予防に重要なのは「絆」とか「人のつながり」、なんていう簡単なものではない、もっと根本的なモノが見えてくる。

それは、強すぎない繋がりみたいなものであり、一人一人が「心地よい」と思える程度の幸せ、みたいなもの。

自分で、自分のことを「こんなもん」と思って認める強さ、みたいな感じ?

うまくいえないけれど、、、。

なるほどな、と思って読んだ。

たしかに、海部町の人たちのように生きていると、自殺は少ないかもな、と思った。



著者の岡檀さんは、和歌山県立医科大学保健看護部講師。慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科研究員。「日本の自殺希少地域における自殺予防因子の研究」で博士号を取得。

ということで、自殺する人が少ない徳島県海部郡海陽町に着目してその理由を探った論文に基づく214ページの単行本。

 

わりと、サラーーっと読める。

 

最後に、岡さんは、自殺をする人を責めるつもりはない。きっとゼロにすることもできない。それでも、できるだけ少なく出来たらいいと思っている、というようなことを書いている。

うん、共感。

 

目次
第1章 事のはじまり  海部町にたどり着くまで
第2章 町で見つけた五つの自殺予防因子 現地調査と分析を重ねて
第3章 生き心地良さを求めたらこんな町になった 無理なく長続きさせる秘訣とは
第4章 虫の目から鳥の目へ 全国を俯瞰し、海部町に戻る
第5章 明日から何ができるか 対策に活かすために

 

最初に彼女が着目したのは、自殺希少地域の一つであるこの海部町に自殺が少ない原因は、一般的に自殺危険因子と言われている貧困や健康の問題などが少ないのではないかということ。 でも調べてみるとそうではなかった。そして次に自殺予防因子が何か他と違うのではないかということに着目して、現地に調査に赴く。

 

そして、彼女が見出した海部町が他の近隣町と異なっている考え方。おおきく以下の5つ。

 

1 いろんな人がいて良い、いろんな人がいた方がいい。という考え方。

  海部町は、特殊学級設置への反対意見が多いという。色々な人がいるのがあたりまえだと。

 

2 人物本位主義

  肩書きや学歴のようなものは気にしない。

 

3 どうせ自分なんて、と考えない

 主体的に社会と関わる姿勢。自己効力感。

 

4 「病」は市に出せ

 うつ病であっても隠すようなことではない。近所にうつっぽい人がいればすぐに病院に行けと周囲が声をかける

 

5 ゆるやかにつながる

 隣の人に関心を持つ。監視をするのではない。



これら五つの特徴については、海部町の人たちに話しても、そうかもしれないと納得していただけた。

 

次に彼女が取り組んだのは、このような町の特徴がなぜ長く続いているのかということ。 

 

その特徴の一つには、一人一人が自分の考えを持ち、それを表明することが当たり前の文化になっているということ。同じであることを強要されないし、同調圧力のようなものもないのだろう。

 

例えば海部町は、赤い羽根の募金の募金率が凄く低いそうだ。何故なのか聞くと、「何に使われるか分からない赤い羽根の募金にお金を出そうと思わない」とはっきり意見を述べる。一方で神社の屋根の修理やら自分が出したいと思ったものにはお金をかける。みんなが募金しているから募金するのではなく、自分が必要と思うところにお金をかける。そして周りもそうする人のことを特になんとも思わないのだ。いろんな人がいてそれでいいという考えが文化として根付いている。 

 

その理由として、もともとの町の成り立ちとして血縁関係が浅い人たちが、材木供給のために集まってきた、という歴史があり、状況が変われば生活が変わる、というのが当たり前で、イデオロギーも人生も、「状況可変」があたりまえになっているから。だから、一つのルールのようなものに執着する必要もなく、変わっていくことを当たり前としてとらえる文化が根づいたのではないかと。

変わるのが当たり前で、一人一人が違うのも当たり前

 

変わっていくことが当たり前の文化では、監視は必要ない。そのかわり、関心というものが重きを持たれる。それは、お互いに関心を持ち合って、いざというときには助け合った方が長い目で見て得だ、という損得勘定もある、と。損得勘定は、あってあたりまえだ、と。

 

そこが、ゆるいつながり、が持続する要因になっているのではないかと。

 

次に彼女は、海部町の調査の中で比較対象とした自殺多発地域影響との違いを見ているうちに地理的な違いが気になるようになり、地理の観点からも調査を進める。

その結果見えてきた面白いことの一つは、住んでいる地域の傾斜度が高い、つまり山にあるコミュニティでは自殺率が高くなる傾向があるということだった。 高い平地ではなく、街そのものが傾斜の中にあるという場所。

 

彼女は、これは傾斜が直接的理由なのではなく、傾斜があることで病院や町内会など、どこに行くにもそれなりのハードルがあり、簡単に人が集まるという機会が平坦な町よりも少ないからではないかという考察に至っている。 

 

移動が簡単でないと、高齢者は出歩くのを控えて家にこもってしまう。あるいは、高齢者でなくても、だれかに車をお願いしないと簡単に出歩けないようでは、「迷惑をかける」とおもって、出歩かなくなってしまう。

海部町は、町のいたるところで人々がおしゃべりをしあっている姿があった。平坦な町は、だれでも外に出歩き、かつ、おしゃべりできるベンチのようなものが町のいたるところにあった。

 

傾斜地と平坦地は、人と出会って話す機会の量に違いがでてくるのだろう。そして、それが、つながりの頻度に影響を及ぼす、という考察。

たしかに。

傾斜度の高い街は、自殺率が高くなる。

たしかに、調査した数字を見るとそうなっている。

面白い。

 

とはいっても、彼女は、だったらみんな平地に住めばいい、と言っているわけではない。

そんな、簡単なことではない、と分かったうえで、間接要因を考察していて面白い。



海部町の人が、ゆるやかなつながりで繋がり合い、人に何かを強制したりしない理由を

町の人にきいてみると、

そんなことしたら、野暮やろ」と。

 

「野暮」なことはしない。

誰かに必要以上に干渉したり、あるいは無視したり、

そんな野暮なことはしない。

 

「野暮」なことをしないのが、真に賢いということなのかもしれない。 

 

ある集団が排他的にならないために必要な、「スイッチャー」という言葉が出てきた。
スイッチャーとは、集団が人の悪口などで全員が同意しているときに、さっと話題を変えたり、反対意見を述べられる人のこと。
あるいは、政治の場面などでも、全場一致で他の意見が排除されそうなときに、大事な観点をさっと述べられる人、っていう感じだろうか。

海部町の特徴ででてきた、「自己効力感を持つ」といのは、必要に応じてスイッチャーになれる勇気を持つ、ということなのかもな、と思った。

仲間内で、全員が「そうだ、そうだ」と言っているときに、自分は違うと感じたり、違和感を感じたら、きちんと自分の意見を言えるということ。

肯定感とも違う。
効力感。
うん、ちょっと、分かるような気がする。

肯定ではないから、自分の意見が否定されても、落ち込まない。
そうか、自分とは違う意見もいるのか、と思えばいいだけ。

まさに、いろんな人がいていい、いろんな人がいたほうがいい、という考え方。 

 

なかなか、新鮮味があって面白い本だった。

私も、自殺はなくしたいと思っている。

彼女の言う、自殺をした人を責めるつもりはない、というのも同感。

でも、悲しいから。

やっぱり、自殺はしてほしくない。

数十年前、何も語らずに逝ってしまった友人がいる。

何もできなかった自分を悔やんだ。

自殺までいかなくても、落ち込んだり、うつになったとき、

話せる場所を提供できたらいいな、と思っている。

どうしたらそうできるのかわからないけれど、、、、

少なくとも、ゆるいつながりを持ち続けることで、一人でも自殺を思いとどまってほしい、と思う。

 

生き心地の良い町、響きがいい。

心地よく生きるって、いいな。

いいと思う。

自分の空間を心地よくしよう。

自分の環境を心地よくしよう。

 

やっぱり、

自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。

 

それでいいことにしよう。

 

『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある』