「悪」の進化論
同志社大学講義録
ダーウィニズムはいかに悪用されてきたか
佐藤優
集英社インターナショナル
2021年6月30日 第1刷発行
昨日の続き。
第5講では、神に対する考え方の変遷から、スターリンがいかにダーウィニズムを悪用したかということ。ヨーロッパもロシアも、宗教なしには社会の変遷、歴史は語れない。
スコラ哲学の時代、アリストテレスは「質料」と「形相」という概念で物事を理解しようとした。質料は、ものの原料になっているようなもの。木の机なら、木が質料で机が形相。パンなら、小麦粉が質料でパンが形相。小麦粉なら??小麦と小麦粉??と、だんだ質料がわかりにくく、際限なくなっていく。13世紀になって、トマス・アクィナスが「第一質料とは神である」と言った。
そして、18世紀のフリードリヒ・シュライエルマハーは、「神は心の中にいる」といった。かつ、「現代は、学問が、専門化・分化しているから、一人の人間がその全体に通暁するのは不可能だ」とした上で、哲学部の強化・拡充を求めた。その後、各国で様々な教育の仕組みができていく。必ずしも、哲学の強化が伴わず、専門化にすすむこともあった。そして、「神は心の中にいる」という言葉が「自分の心の声に忠実であれ」となり、科学の発展につながった。
科学技術の発展に大きくつながるとともに、「自分の考えは神の御意思なんだ」という人も出てきた。それが積み重なって、第一次世界大戦では、大量殺人兵器である機関銃や毒ガスが使われて沢山の人が亡くなった。これを見たヨーロッパの知識人たちは、人類の理性に疑問を持ち始めた。
そこから、ハイデガーの実存哲学等が生まれる。
この時、アメリカは自国が戦地になっていなかったから、人間の理性に疑問を持たないままの社会として存続した。それが今のアメリカの社会にもそのまま残っている、という。それが端的に現れているのがトランプの支持者たち、と。
ロシアの哲学者であり革命家でもあるボクダーノフは、「社会の専門化こそが人間の進歩を阻んでいる」といった。
専門化は人を保守的にしてしまい、パラダイムシフトができなくなってしまうから。
また同時に、専門以外のこととの関係性を理解しようとしなくなると、ナチスの「アイヒマン」になる、と。ハンナ・アーレントが『エルサレムのアイヒマン』の中でいった「悪の凡庸性」。アイヒマンは、ナチスによるユダヤ人大量虐殺に大いに関わっていた。実際にやっていたのは、収容所への移送最高責任者。鉄道のダイアグラムの専門家だった。本人は、鉄道の専門家であって、「大虐殺」をした自覚がない。その、まったく罪の意識をもたないアイヒマンをアーレントは、「悪の凡庸性」と言ったのだ。これは誰にも受け入れらたわけでなく、イスラエルでは大問題になって、『エルサレムのアイヒマン』はしばらく禁書だったらしい。人は、悪を犯すのは、大悪人でないと納得できない?のか。普通の人が、あんな恐ろしい悪を犯すなんて、、、、誰もが知らない間に悪に加担する可能性をいっているのが、怖いともいえる。原爆だって、研究者たちは世の中に役立つ原子力として研究してきたわけで、原爆を作るためではなかった、、、はず。。。。そこに、専門家の危うさがある。
テクノロジーは、平和目的にしか使ってはいけない、と自分に常に言い続けないと、想定外が起こりえるのが社会・・・。
自覚のない大罪を犯すのは、専門に特化して社会への影響を考えられなくなってしまったひと。恐ろしい人体実験でしられる、731部隊の石井四郎陸軍中尉も、そういう一人。オウム真理教でサリンをつくった科学者もそうだろう。
佐藤さんは、自然科学系を学ぶ人は、自分が所属した組織が、反社会的なこと、倫理に反することを求めてきたときに、どうするのか?を考えておくこと、と学生に語っている。サリン事件もしらない学生世代に、どう響いたかな?でも、とても大事。
また、そういった高度な学問はやはりこれからの国を背負っていく若者の場であり、大学は若い人のための場だ、ということをおっしゃっている。定年後の「お達者クラブ」でやってきて、「俺の若いころは」とかいうのは最悪だ、、、と。いたたた。
それは、そうだ。
年寄りは、若者の学ぶ場をかき乱してはいけない。
社会の矛盾は色々ある。それを学ぶには、小説がよい、と。特に夏目漱石は、色々な読み方ができるから何度でも読んでみればよい、と。
講義の話題は、マルクス、エンゲルスの話から、無神論の話へ。そして、無神論の話からドーキンスの話へ。
ドーキンスは、『利己的な遺伝子』が日本でもベストセラーになった。「心のウィルス」や「ミーム(文化の遺伝子)」を持ち出して、神なんかいないし、すべては遺伝子や刷り込まれたものなんだ、と無神論と繋がっている。『利己的な遺伝子』は、当時私も読んだのだけれど、バイオテクノロジーを専門とする私には、まったく科学的根拠のない話で、びっくりした記憶がある。遺伝子とつくからサイエンスの話かと思ったら、思想の話で、個人的には何じゃこりゃ、ととんでも本の一冊、くらいにしか思わなかった。
ちょっと面白いのは、佐藤さんはドーキンスの本を直接持ち出して講義をするのではなく、ドーキンス批判をしたマクグラスの『神は妄想か』を引用しながら、ドーキンスとマクグラスの考え方を説明している。話のすすめ方として面白い。アメリカでは『利己的な遺伝子』は、神を冒涜しているとみる人もいて、それなりに論争になっていたようだ。日本人には、キリスト教に由来する神の考え方があまり一般的ではないから、神はいないと言われても、違和感がなかったのかもしれない。そうね、ドーキンスさんのいう神はいなくても、日本には八百万の神はいますから。。。って。
そして、合理主義のはなしから、行動経済学へ。
集合的無意識の話から、ユング、フロイト、唯識、阿頼耶識、末那識の話へ。
阿頼耶識は集合的無意識のようなもので、末那識が自己への執着や自己へ都合よく解釈する意識。そんな話に展開していく。佐藤さんの話が、東洋思想につながるのが面白い。
そして最後に、「ライプニッツ研究」が不可欠だ、と。
ライプニッツのモナド論。世界はモナドで成り立っている。
モナドはあらゆるものの素であり、相互に独立して、それでいて全体を予定調和している、と。現在の多元論の考え方の基本。
話が、様々な方面に広がるので、3日間の講義、消化不良を起こしそうな感じだ。
佐藤さんの話は、多元で多元で、あれもこれも、、、沢山の点がでてきて、あとからそれが線でつながって、、、。
いやぁ、満腹な一冊だった。
世の中を自分の都合で解釈してしまえば、間違うかもしれない。その一つが、ダーウィンの進化論を自分に都合よく解釈したナチスやスターリン。一面で物事をとらえるのではなく、モナドで、多次元で考えなさい、そういう教えの本だった。
だから、あちこちに話が展開したのだろう。
講義を聞いた学生も、本を読み直すことで改めて気が付くこともあると思う。本にするって、すごいことだ。
本書をマインドマップでまとめようとすると、A1一枚みたいなすごい広さになりそうな感じ。
ただ、佐藤さんの思考をかたっているのではなく、思考の材料をこれでもか、これでもか、と提供してくれている。そんな感じ。
分厚く、存在感のある一冊。
おもしろかったぁ。
佐藤さんの思想にすべて共感するわけではないけれど、やっぱり、面白い。
読書は楽しい!