「鶴の恩返し」に秘められたコード
日本人なら、きっと誰もが知っている「鶴の恩返し」。
このお話に関する解説というか、解釈の一つが、佐藤さんの本『「悪」の進化論』にでてきた。
引用すると、
”この自然界には掟がある。
助けてもらった鶴は、助けてくれた人に恩返しをしないといけない。しかしそこにはコード(掟)があって、姿を見られたら戻らないといけない。
この話の舞台を現代に置き換えてみると面白いよ。
親切な男だと思って、恩返しにいったら、妻の稼ぎにたよりっぱなしの、とんでもない DV 男だった。お酒も飲む。女郎屋にも行ったりする。
それを見越して、鶴は「絶対に中を覗かないで」というルールを作る。
とやはりこの男はこの約束も守れない。
そこで鶴としては恩返しをすべし、という縛りから自由になって帰っていくという物語になるんじゃないかなと想像したりもする。”
鶴は、恩返しから自由になるために、男に出来ないだろうと思われる約束をさせた。鶴は、泣く泣く男の家をでたのではなく、「あ~、せいせいした。とんでもない男だった」といって帰っていった、という解釈。
男も、約束を破ったのは自分だから鶴のことを恨めない。
鶴も、とりあえずの恩返しはしたんだから、もう男の元を去ってもいいだろうと思える。
笑える!
深い。
深すぎる。
さも、「あなたが約束を守って下さらないから、、、私はあなたのおそばにはいられません。。。」みたいな振りをして、実は計画的、正当な脱走だった、と。
う~~~ん。
深い。
鶴の恩返し、最後は、鶴が去って行ってしまって終わる話だったろうか?
それとも、男が改心する話だったろうか。
きっと、去ってしまって、おしまいだったんだろう。
だから、ひとによっては、悲しい別れの話に思えたり、鶴が自由の身になれたハッピーエンドに思えたり。
真相は?
と、いくつかネットで検索してみると、鶴が恩返しに行ったのは、老夫婦の家だった??
昔話って、いい加減に覚えているものだ。。。
たしかに、おじいさんが鶴を助けた話だったか、、、。
そして、覗いてしまったのはおばあさん。
若い男の話にしたのは、佐藤さんのアレンジか?!
それが、現代風ってことか。
昔話を読み返すと、子供の時とは違う深読みをして楽しめるのかも、なんて思った。
桃太郎、浦島太郎、さるかに合戦、ちゃんと口述できるかと言われると、怪しい。
♪おこしにつけた、黍団子一つ私にくださいな♪
と、歌なら覚えているのだから、歌ってすごい。
そして、物語の最後の解釈は、読み手に任されているともいえる。
え??その終わり、どういう意味??っていうモヤっと感。
それが、自分で考える、ということにつながることもある。
だから、佐藤さんは、「小説をたくさん読め」と言われる。
なかなか、斬新な、鶴の恩返し。
受けた恩の恩返しはしたいけれど、もうその相手のそばを離れたい。
そんな時、自己正当化できる、相手が守れそうにない約束を作って、その相手の元を去る口実にする。。。。
実際の社会でも、あったりするかもな、、、なんて思う。
でも、そうして今の場所から立ち去ることが大事なこともある。
昔の恩義やら、感謝の念でがんじがらめになって動けないとき、始めの一歩は、現状維持を辞める一歩、かもね。
そして、恩返しをする相手の元を離れても、次の世代に「恩送り」することはできる。
返さなくても、次に送っていこう。
年を取るというのは、どんどん「恩」を送る相手が変わっていくことのように思う。
鶴の恩返しから、思考がぐるっと回転してしまった。
でも、面白い。
だから、読書はやめられない。
読書は楽しい。