『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』 by マイケル・ピュエット クリスティーン・グロス=ロー

ハーバードの人生が変わる東洋哲学
悩めるエリートを熱狂させた超人気講座
マイケル・ピュエット
クリスティーン・グロス=ロー
熊谷淳子 訳 
早川書房
2016年4月20日 
(The Path)

 

何かの書評で目に入って、図書館で借りてみた。

表紙の裏には
「自分探しをするな」
「ポジティブが良いとは限らない」
いまハーバード大学で、東洋思想の授業が絶大な人気を誇っているのはなぜか?
現代に当てはめた孔子孟子老子等の教えに、学生たちが熱狂している理由とは?”
とある。

 

目次
1 伝統から”解放された”時代
2 世界中で哲学が生まれた時代
3 毎日少しずつ自分を変える  孔子と〈礼〉〈仁〉
4 心を耕して決断力を高める  孟子と〈命〉
5 強くなるために弱くなる   老子と〈道〉
6 周りを惹きつける人になる  『内業』と〈精〉〈気〉〈神〉
7 「自分中心」から脱却する  荘子と〈物化〉
8 「あるがまま」が良いとは限らない 荀子と〈ことわり〉
9 世界中の思想が息を吹き返す時代 

 

感想。面白い。

面白いのは、東洋思想をアメリカでの出来事の解釈に当てて話が展開するから。私にとっては、礼とか徳とか言われても、とくに驚くべき教えでもないし、孔子孟子老子荘子、、だれの教えだったのかもどうでもよくて、普通に子供の時からそういうものだと教わってきた、、というのか、感じてきたというのか、、、。

 

よく、日本の小学校で、児童が掃除をすることが、海外では驚くべき教育方法だと言われる。日本の小学校で育ったら、教室を自分たちで掃除するなんて、なぜ?なんて疑問を持つ暇もなく、当たり前だった。
礼とか、仁とか、そんな難しいことを考えて掃除をしていたわけではなく、日常生活の中にそういう教えがあった。日常をきちんとすることが、日本の古くからの教えなのではないだろうか。

 

私にとっては、キリスト教の予定説(選ばれたものだから頑張る)もなければ、終末論を信じているわけでもないので、「自分探しをするな」という言葉の意味も、アメリカの学生がとらえるのとはちょっとちがうのかもしれない。
東洋思想では、自分探しはしないんだ、なんて教えられなくても、養老先生の「自分探しなんてやめちまえ」で、納得しちゃうし、ハーバードの学生とは文化的背景が異なるよなぁ、とつくづく思った。

megureca.hatenablog.com

 

また、『異端の人間学』のなかで、アメリカの新自由主義の幼稚性、ということが佐藤さんの言葉で語られていて、加えて『「悪」の進化論』でかたられていた「自国が戦地にならなかったことで、人間の理性の限界に疑問をもたなかったアメリカ」が、そのまま、今も続いてる感じが、紀元前の中国の思想家の話を新鮮に感じるアメリカになっているというのか、、、と、ちょっと、違う視点でみてしまって、面白い、と思った。

megureca.hatenablog.com

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私にとっては、東洋思想を学ぶ本、というより、アメリカ人が東洋思想をどうとらえているか、っていう本として面白い。

全体に、そんな感じがしながら、おもしろいなぁ、とおもいつつ、さらー-っと読んだ。早川書房の本にしては、さらー-って感じ。

 

孔子と言えば論語。礼と仁。説明するまでもないだろう。他者に対してふさわしい行いを日々の生活の中で実践する。お願いします、と、ありがとうございます

 

孟子は、理性と感情と両方の重要性。かつ、自分に影響を与えることも自分ではコントロールしきれるものではない。与えられた命を大事にするということ。
偉大な人物とそうでない人との違いは、やみくもに感性のみや知性のみに走るのではなく、「理性+感情」である心に従う能力だと。
知識を蓄えつつも、感情にも磨きをかける。そして、敏感に世界に反応できるようになり臨機応変な対応ができるようになる。道理にかなった正しい判断を下せる力こそ「権道」。


老子は、支配ではなく、つながりで世の中を収めるという「道」。強さで強さを制することで力が生まれると考える代わりに、全く異質な事柄や状況や人の間のつながりを理解することから真の力が生まれる、と考える。あからさまな強さでなく、自然に誰も疑問を持たないような世界を作り上げるのが真の影響力。
著者らは、ここでアメリカの歴代の大統領をあげる。

 

リンカーン。有名なゲティスバーグ演説
government of the people, for the people, by the people.
「人民の、人民による、人民のための政治」
自分だって、奴隷を使っていたくせに、、、、アメリカは全ての人が平等に作られているという命題に掲げられた国家であることを、暗に唱導するために語った。今では全ての人が平等であるというのはアメリカ建国の理念だった、と一般に考えられている。

 

ローズヴェルトは、ニューディール政策を実行した。世界恐慌の最中、経済を再建し、困っている人々を助けるために大きな政府が必要だと考え、新しい改革を打ち出した。当時、合衆国最高裁判所はそのような構想は合衆国憲法に反すると異を唱えた。しかし結果的にはこれは実行された。累進課税最高税率は、90%にまで至った。 この財源により、大規模な公共インフラ事業と徹底した教育制度を構築することができた。

 

レーガンは、ローズベルトの行ったニューディール政策アメリカ経済を救うどころか後退させたとした。 そして大きな政府から小さな政府へ。新自由主義へと移行していく。

3人それぞれ大転換を図ったわけだが、 それは力によって押さえつけたのではなく、人々の繋がりを大切にしたことで成し遂げられた、と。老子の思想に沿っていたのだと。

過去をこのようにとらえ直しているところが、面白い。

 

著者らは、『五行』とは、仁・義・智・礼・聖であり、このバランスが大事なのだと語っている。そして、どれかが突出しそうになったら、他にも気を配り、絶えず変化するものに自分自身も変化しながら修行していくのだと。それが真の恒常性となり、より安定した状態に到達でき、感情的にあちらこちらと揺さぶられなくなるのだと。 そして、その結果、〈神〉が損なわれずに体内を流れるようになる、と。ここで〈神〉という言葉が出てくるあたりが、アメリカだなぁ、、、、という気がする。

「神は、心の中にある」。シュライエルマッハーの思想は現代にもある。

megureca.hatenablog.com

 

荘子も同じく「道』を説く。

日本人は、剣道、書道、茶道、華道、、、道って、特に説明しなくても、あぁ、道ね、、、っていう共通概念があるように思う。変化するものと一体化する。
東洋の輪廻転生という円の時間観と、キリスト教の直線の時間観。ちがうのだけれど、世の常は変化し続ける、、そこは共通なのかな。

 

最後の方に、孔子の言葉がそのまま引用されている。
「吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う
七十にして、心の欲する所に従って矩をこえず。」

 

そして、 「伝統」にとらわれるのではなく、今を生きればよいのだ、と。

 

もともと、中国から発生したこのようなものの考え方、組織の在り方は、様々な国の制度のもとにもなっている。でも、中国は、ヨーロッパに出現したような資本主義にはならなかった。その不思議さをマックスウェーバーも理解しようとした。そして、中国では超越論的な原理が欠如していて、それが制約になっていると結論づけた。儒教プロテスタント主義は、大きく異なる哲学的な基盤を築き上げ、その結果、中国は世界に順応し、西洋は世界を変化させようとする、と論じた。さて、21世紀の今、マックスウェーバーが今の中国をみたら、何というのだろうか。

でも、確かに、中国が中国でありつづけているのは、不思議といえば不思議だ。中国共産党の成せる技なのか、、、。

 

東洋思想の解釈は、色々だ。自分に都合よく解釈することもあるかもしれないし、教訓的に解釈することもある。思想家によっても、考えは異なる。それでも、これらを一冊の本にまとめたのは、これらの多様な、それでいて東洋的である思想を自分の人生に応用せよ、ということ。
著者らは、ただ、自分の運命を受け入れることをすすめているわけでもない。実社会と日々の生活の中で、受け身から抜け出し、自分の生きる世界を変化させていくことが大事だと説く。絶対の法則、画一的な宇宙の秩序などない。だからこそ、
「そんなものなどないと考えた時、自分の人生はどうなるのか」を考えてみよ、と。

日常の生活のほんのささいなことから、そこから、あらゆるものを変えていく
ささいなことに、目を向ける。
それが、アメリカ人からみた東洋哲学の解釈なのかな。

 

なかなか、興味深い、アメリカ人の東洋哲学の解釈の本、って感じ。
面白い。 

 

やはり、哲学と宗教は切り離せないのだ。

そして、歴史と哲学も切り離せない。

学問というのは、どれ一つとして独立していない。

という、ことに五十にして気づく。

まだまだ、学成り難し、、、だわ。

 

読書は楽しい。

 

『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』