ルース・ベイダー・ギンズバーグ アメリカを変えた女性
ルース・ベイダー・ギンズバーグ、アマンダ・L・タイラー 著
大林圭吾、石新智ら、計9名による訳
晶文社
2022年2月5日 初版
Justice, Justice Thou Shalt Pursue:A Life’s Work Fighting for a More Perfect Union (2021)
(正義、汝が追求すべき正義)
ルース・ベイダー・ギンズバーグ。2020年に87歳でなくなってしまったけれど、アメリカの偉大な女性の一人。2018年には『RBG 最強の85歳』でその人生が映画になった。観ようと思ってみていないのだけれど、、、。
平等のために人生をかけた女性。かっこいい。素敵。可愛い。そんな女性。
そんな彼女の最後の著書、読んでみた。彼女のロークラークをしていたアマンダ・L・タイラーとの共著。日本語版は、なんと9人の訳者。いくつもの判例や彼女の講演が掲載されているのだが、おそらく、それぞれの判例に関する法曹知識がないと、一般の読者には分かりにくいということで、注釈を充実させてくれながら完成した一冊なのだと思う。一般の人が読んでも十分に楽しめる内容だけれど、法曹界の人には本当に勉強になる一冊なのではないかと思う。様々な判例の根拠なども掲載されている。
表紙の裏には、
「アメリカ連邦最高裁史上二人目の女性裁判官であり、2020年9月18日に87歳で亡くなるまでその任を務めた、ルース・ベイダー・ギンズバーグ。平等の実現に向けて闘う姿勢やユーモアある発言で、国中の尊敬と支持を集め、ポップカルチャーのアイコンとまでなった ”RBG ”の生涯と業績をたどる。
1970年代に弁護士として関わった性差別をめぐる三つの裁判の記録と、連邦最高裁判官として四つの判決で書いた法廷意見や反対意見を自身のセレクトで収載。また、長いキャリアと家族生活について語った最晩年の対談と三つの講演を収めた。 RPG 最後の著作。」
アメリカの連邦最高裁裁判官は、ひとたび就任すると終身だ。だから、RBGも80を過ぎても、コロナの期間であっても、法廷と向き合い続けた。その情熱がひしひしと伝わってくるエピソード満載。
RBGのことをよく知らない人のために、日本語版の本書には、 「はじめに 本書を読む前に」(大林啓吾)という項と、最後に、「日本語版刊行に際して」(水田宗子)という項がある。ここから先に読んでもいいかもしれない。
私も、RBGについて詳しいわけではないので、これらの項目も、新鮮であり、驚きをもって読んだ。へぇ、ほぉ、そうだったの!!と。
判例や反対意見については、まったくもって共感の嵐。
平等というのは、ルールを作ればよいのではない。それを実践しないと意味がないのだ。そして、社会の変化によって求められる制度も変化する。
1990年代に社会人になった私にとっても、アメリカでルースが起こした様々な変化は、追い風になってきたと思う。
男女平等、古くて新しい。今でもまだまだ課題はたくさんあるとおもうけれど、一歩ずつ、少しづつでも変わっていけば、ルースの言う通り、
「今日のマイノリティーは、未来のマジョリティー」に変えていけるのだ。
勇気のでる一冊だった。
RBGについて覚書。
ルースは、1933年3月15日にニューヨーク市のブルックリンで生まれた。両親は共にユダヤ系の移民であった。 母親は、ルースが高校卒業する前に他界してしまうが、共働きであり教育熱心だった母を見て育ったルースは、家庭と仕事を両立するという信念を母から教わった。
1933年といえば、ドイツではヒトラーが首相に就任し、アメリカではルーズベルトが大統領に就任した年だ。アメリカで初めて女性の参政権が認められるようになったのが1920年。1930~1950年代は、まだまだ女性や黒人が社会に進出し活躍することが求められている時代ではなかった。そんな時代背景だ。
ルースはコーネル大学を首席で卒業したあと、学生時代に出会ったマーティンと結婚した。 マーティンはハーバード・ロースクールに通っていたが、途中で兵役に服する。その間ルースは一人で育児をし、夫が戻ってくると彼女もハーバード・ロースクールに入学した。 しかし学生時代にマーティンは癌になってしまう。ルースはロースクールに通いながらマーティンを看病し、マーティンは無事に癌を克服する。ハーバード・ロースクールを卒業したマーティンは、ニューヨークの弁護士事務所に就職することになり、ルースはコロンビア・ロースクールに移籍する。1959年、ルースはロースクールを修了した。
しかし、時代は女性が法曹界で活躍するのは、至難のことだった。就職先はなかなか見つからないし、やっとみつかっても男性より安い賃金を提示されたり。ルースは、就職活動を通じて、男女差別を痛感するとともに、平等問題に強い関心を持つようになる。
結局、弁護士事務所への就職ではなく、大学教員の道を選ぶことになる。
そして、ラトガーズ大学で10年務めたのち、1972年にコロンビア・ロースクールに移り、そこで、女性初の終身在職権を得た。
ラトガーズ大学でも、男女の賃金差があった。それを学部長に何故なのかと聞いたとき、
「彼には、養わねばならない妻と二人の子供がいるんだよ。君にはニューヨークの弁護士事務所に稼ぎのいい夫がいるだろう」、と言われたという。。。そういう時代だったのだ。
同一賃金法は制定されていたものの、社気に浸透していないのが現実だった。
ルースは、大学で教える傍ら、アメリカ自由人権協会(ACLU)の女性の権利プロジェクトを主導し、性差別問題に立ち向かった。
ルースが立ち向かったのは、女性の権利擁護だけではない。男性に対する差別にも立ち向かった。
1980年、ジミー・カーター大統領によって連邦高裁裁判官に任命され、1993年、ビル・クリントン大統領によって連邦最高裁裁判官に任命された。そして、数々の歴史に残る裁判、名言をのこしてきた。
日本人にも馴染みのある有名な裁判といえば、「レッドベター事件」ではないだろうか。
2007年、グッドイヤー・タイヤ&ラバー会社に対して、レッドベター(女性)が起こした賃金差別に関する裁判だ。その詳細は、本書にも詳しいのだが、長年エリアマネージャーをしていたレッドベターが、ある日、偶然に拾った紙切れから、自分が仕事を教えた若い男性より自分の賃金が低いことに気がついた。自分がマネージャーなのに、だ。
「これまでよく働いてきたし、市民権法第7編について聞きたいことがある。裁判所に訴えよう」と決めた。彼女は、陪審員の評決の大半を得て、連邦地裁で勝った。しかし、最高裁は、差別行為から180日以内に雇用機会均等委員会に異議を申し立てなくてはいけないので、申し立ては遅すぎる、とした。
それに対して、RBGは法廷で、「本日の法廷意見の判断に反対する」と、声明をあげたのだ。賃金の差異は、長年の積み重ねで大きくなっていく。それを180日で、というのは無意味だ、と。そして、ルースは「法廷意見は女性が狡猾な方法で賃金格差の被害にあってきたことを理解していないか、それについて無関心なのではないか」と歯に衣着せずに法廷で語った。このメッセージをうけて、連邦議会が法改正に動き出す。
その後、アメリカでは、オバマ大統領が「リリィ・レッドベター公平賃金法」に署名することになる。
この裁判は、日本の雇用形態、賃金形態にも影響したと思う。男女雇用均等法が施行されたのちにできていた一般職・総合職という形で男女の雇用形態を変えることで、女性の賃金をさげてきた慣習をやめ始めた企業が増えたように思う。不景気で、就職氷河期の流れもあったと思うが。
法律だけあっても、いまでもあらゆる場面で機会の不平等も生じているのが現実だが、それでも、「女性の賃金は男性よりも安くていい」という当時の常識を覆した。
女性の権利獲得には、過去に沢山の人たちの闘いがあったのだ。波風立てたくないと、多くの女性が黙っているなかでも、声をあげる人はちゃんといる。そういう人に、私たちは助けられているのだ。その闘いは、今でも続いていると思うけど。
私も、波風立てたくないと、だまってしまった一人だったな、、、とちょっと胸が痛い。それなりに、課長、部長、と昇格させてもらったのだからいっか、、、と。30年で積み重なった賃金格差は、退職金の計算で驚くほどの差になった。
いまさら、恨み言言ってもね、、、、とおもって口をとじている。
本書の中で何度か、RBGが法廷でも引用したサラ・グリムケの言葉がでてくる。
「私は、女性を優遇するようにと言っているのではない。男性の皆さん、私たちの首を踏みつけているその足をどけてください」
そして、女性保護だといって考えられてきた多くの制度は、実際には、男性の仕事を女性の競争者から保護していたのだ、と。
また、女性のための制度が、男性はうけられないという差別の解消にも働いた。
ルースが夫マーティンと一緒に勝訴した、モーリッツ裁判では、女性ではなく男性への差別のために闘った。モーリッツは生涯独身で母親の介護をしていて、同じ境遇の女性なら受給できたはずの介護費用について税額控除が認められなかったことに対する、裁判。
他にも、シングルマザーなら受けらえる制度を、シングルファザーではうけられないという不平等など。
あげれば、きりがない。
ちなみに、今、アメリカで大問題になっている中絶にかんする1973年ロー対ウェイド判決について、ルースは、中絶の権利の法的保障には賛成であるが、「あまりに広範囲な射程を有する法理を打ち出したため、強い反発を呼び、かえって中絶をめぐる法と政治を不安定化させてしまった」と論じている。
また、営利企業に宗教的制約を持ち出すことにも懸念を表明している。雇用主の個人的宗教観念が、従業員の権利を脅かしていはいけない、と。
日本ではちょっと、イメージしにくい案件だけれど、アメリカでの平等を語るとき、宗教を抜きには語れないというのが、よくわかる。
宗教のために、バースコントロールの権利が奪われるって、日本では考えにくい。
当たり前と見過ごしている日常に、たくさんの差別があふれている。それが現実だ。だからといってそれを放置するのではなく、たとえ裁判では勝てなくても、明確な「反対声明」を出す。それがRBGのRBGたるゆえんだ。
ルースをささえた夫のマーティンも、ユーモアセンスのあふれる素敵な人だったようだ。
ルースが結婚当初、義母におしえてもらった幸せな結婚の秘訣は、
「時々、ちょっとだけ聞こえないふりをすることですよ」だった。
ルースは、この教えをマーティンに対して実行する必要はなく、世間に対して実行し、幸せな結婚生活を満喫していたようだ。
素敵な家族だ。
時代を変えていくのは、最初は誰かの小さな一歩だったりする。
そうやって、少しずつ社会は良いほうに変わっていくはず。
だから、小さな、小さなことでも、こつこつと続けてみよう。
ルース・ベイダー・ギンズバーグ。
彼女が活躍できる場をつくった人たちもすごいと思う。
だれもが活躍できる「場をつくる」のが、私たち大人の責任だ。
自分ができなくても、できる人のための場を作る。
私も、作ってもらった。
その感謝を忘れず。
恩返しできないときは、恩送り!
未来に、恩を送ろう。