『キネマの神様 The Name above the Title』 by  原田マハ

キネマの神様
The Name above the Title
原田マハ
文春文庫
2011年5月10日
(単行本 2008年12月 文藝春秋刊)

 

原田マハさんの本だから読んでみた。文庫本で簡単に読めそうだからと、図書館で手にした本。
2020年、同じタイトルの映画の撮影途中に、志村けんさんがコロナに倒れてしまう、ということがあったが、本作とは関係ない物語のようだ。
映画を愛する人の物語、という点では一緒なのかな、、、
と、思ったら!!なんと、やっぱり、山田洋二監督は、本書を読んで映画を作ったのだそうだ。そして、あまりに内容を変えて映画化する事を原田さんが了解してくれるのか不安だったものの、原田さんが快諾してくれたのだと。
その逸話は、『キネマの神様 ディレクターズ・カット』に詳しい。私は、偶然、『キネマの神様』を読み終わった後に、『キネマの神様 ディレクターズ・カット』をみつけてしまったのだ。キネマの神様に呼ばれた気がした。これはまた別途、覚書にする。

 

本書裏表紙の紹介文には、解説をかいた片桐はいりさんのコメントが引用されている。
”39歳独身の歩は突然会社を辞める、が折しも趣味は映画とギャンブルという父が倒れ、多額の借金が発覚した。ある日、父が雑誌 「映友」 に歩の文章を投稿したのをきっかけに、歩は編集部に採用され、ひょんなことから父の映画ブログをスタートさせることに。”映画の神様”が壊れかけた家族を救う、奇跡の物語。 解説・片桐はいり
と。

 

感想。
おもしろい!
いけー-!がんばれー-!と、応援したくなる。そして、ちょっぴり悲しい。でも、ハッピーエンド。ストーリーは、片桐はいりさんの解説通りで、ホントに奇跡の心温まる物語。


これは、映画好きにはたまらない物語。色々な映画の話がでてくる。なんせ、主人公、歩は元大手ディベロッパーで都市型シネコン開発を手がけていた映画好き。そして、その父親はギャンブラーだけれど、戦中満州にいた時に映画に目覚め、79歳でも名画座「テアトル銀幕」に通い続ける、筋金入りの映画オタク。そして、映画ブログにおける映画愛バトルが展開される。そんなお話。

 

私も、名画座には、高校から大学のころ、よく行った。なんせ、2本立てやら、3本立てやら、、一回中に入れば、どれだけ長時間でも中に居座れた。映画の中身より、あのまったりとした空間、居眠りしてしまってよく内容を覚えていないのだけれど、なんだか満足するあの感じ。結構好きだった。

 

以下、ちょっとネタバレありつつ、感想と内容の覚書。

 

私が本ストーリーに共感を覚えるのは、主人公、歩(あゆみ)の経歴にもある。元大手企業の管理職。自慢の娘だったはずなのだが、身に覚えのない濡れ衣で仕事を干されて、会社を辞めてしまう。自分がすすめてきたプロジェクトが、他の人に乗っ取られてしまう。。。左遷されてまで会社に居座るより退職を選んだ歩。先は何も決まっていないのに。歩は、なぜやめたのかは両親に詳細を伝えたわけではないけれど、やめたことをなかなか言いだせないでいるくだりが、ちょっと、その気持ちわかる、、って感じ。

共感をおぼえるのは、会社の辞め方ではなく、立派な肩書をなくしたことで両親にもうしわけなくおもっている歩
私の場合、50過ぎまで働いたし、両親も「好きにすればいい」と退職に対してなにも反対しなかったのだけれど、やはり大手企業の部長という肩書を、ぽいと捨ててしまうことに、ちょっと両親に申し訳ないような気がした。両親は、まったくそんなこと思っていないかもしれないけど。私の心の中の逡巡は、本当は自分でも怖かったのかもしれない。肩書をなくすということが。フーテン2年もしていると、もう、肩書なしが当たり前だけど。

人がどう思うか、ではなく、自分は何がしたいか、の方が大事だしね。
サラリーマンをやめると、肩書は瞬時になくなるけれど、重ねてきた経験は無くならない。
つくづく思う。
肩書なんて、幻想みたいなものだ。肩書をいつでも捨てられる人は、きっと、強い。


そして、会社をやめた歩は、自分の書いた映画愛あふれる文章から、映画関係のライターの仕事への縁ができて、無事に無職を抜け出す。
やっぱり、自分が好きなことで仕事ができるって、いいことだなぁ、と思う。この話の展開、好きだ。
がんばれー、歩!!って感じ。

 

物語の中心は、歩の父親(丸山郷直・まるやまさとなお)が映画ブロガーになって活躍することに移行していく。歩の務める会社「映友」の社長の一人息子、興太が、引きこもりのパソコンオタクで、ブログを管理していた。その息子の目に、インターネットが何かもよくわかっていなかった父の投稿が目に留まり、そこから縁が繋がっていく。父親は、自分の映画愛と共に、歩のかいた文章をそこに綴ったのが、歩が「映友」で働くことになるきっかけだった。そして、歩の父、「ゴウ」の映画ブログを「キネマの神様」というタイトルで興太が大々的に売り出す。映画の低迷とともにこのところ経営悪化していた「映友」にとっては、「キネマの神様」は、再起復活のきっかけにもなっていく。

また、不本意な形で会社をやめた歩には、ちゃんと心の通じる後輩もいた、という設定もいい。後輩の清音は、歩が会社を辞めた後、会社のやり方に反感をもったこともあって、会社を辞めてアメリカの恋人のところへ駆け落ちのようにいってしまう。歩と同様に映画が大好きだった清音は、アメリカで「キネマの神様」をみて、「ゴウ」は歩ではないかと思って、歩に問い合わせる。正直に、父親だ、と伝える歩。
そして、清音は「キネマの神様」のブログを英語に翻訳することを提案する。

そして、「キネマの神様」ブログは、英語にしたことでアメリカでも爆発的人気となり、ブログ上でのゴウとローズ・バッドと名乗るアメリカ人とのやり取りが大人気となる。

今回は、ネタバレはここまで。もっともっと楽しい展開が進む。ゴウとローズ・バッドの友情にも展開。

 

大手企業をやめた娘。
ギャンブラーでダメ男だけど映画愛にあふれる父親。
ダメ夫だけど、ついつい面倒をみてしまう母親。
先輩の歩を慕って、翻訳を申し出る後輩。
引きこもりの社長息子。
一人で名画座を経営する、これまた映画オタク男。

だれもが、いいキャラなんだなぁ。

 

そして、本書の最後にある、片桐はいりさんの解説もいい。
みんな、映画愛にあふれている。

 

映画も小説も、作者は描きたいものはあるワンシーンだけで、そのための修飾が99%なのかもしれない、なんて思った。

そして、映画も小説も、それをどう解釈するかは観客や読者にゆだねられている。
だから、楽しいのかもしれない。
正解なんかない。
不確実性を楽しむというのか。

どう解釈しようが、自分次第。

それが楽しい。

 

本書には沢山の名画がでてくる。
でも、やっぱり「ニュー・シネマ・パラダイス」。
もう一度観なおしたくなった。

 

小説は、世界を広げてくれる。

自分なりの解釈が要求される分、ちまたにあふれる自己啓発本より、よほど頭をつかうかもしれない。なんてことに気が付く今日この頃。

 

やっぱり、小説もいいね。

読書は楽しい。

 

『キネマの神様』