『たゆたえども沈まず』 by  原田マハ

たゆたえども沈まず
FLUCTUANT NEC MERGITUR
原田マハ
幻冬舎
2017年10月25日 第1刷発行 

(初出「パピルス」2014年12月号~2016年8月号、「小説幻冬」2016年11月号~2017年9月号 。
この作品は史実を元にしたフィクションです。架空の人物に特定のモデルは存在しません。)

 

史実というのは、フィンセント・ファン・ゴッホとその弟の生涯のこと。そして、架空の人物というのは、本書に出てくる美術商の日本人のことだと思われる。本書は、ゴッホとその弟テオドロスのお話。

 

Amazonの紹介文を引用すると、

”誰も知らない、ゴッホの真実。

天才画家フィンセント・ファン・ゴッホと、商才溢れる日本人画商・林忠正
二人の出会いが、〈世界を変える一枚〉を生んだ。

1886年、栄華を極めたパリの美術界に、流暢なフランス語で浮世絵を売りさばく一人の日本人がいた。彼の名は、林忠正。その頃、売れない画家のフィンセント・ファン・ゴッホは、放浪の末、パリにいる画商の弟・テオの家に転がり込んでいた。兄の才能を信じ献身的に支え続けるテオ。そんな二人の前に忠正が現れ、大きく運命が動き出すーー。『楽園のカンヴァス』『暗幕のゲルニカ』の著者による
アート小説の最高傑作、誕生!”

と。

 

原田マハさんの『フーテンのマハ』で、ゴッホが好きになりすぎて、ついには、ゴッホ終焉の地、オーヴェル=シュル=オワーズにも足を運んだ、という話が出てきた。

megureca.hatenablog.com

原田さんは、もともとはそんなにゴッホが好きではなかったけど、ゴッホが貧しさと精神が蝕まれていく中でも、どれほどの情熱をもって絵を書き続けたのか、ということを知ってからは強く惹かれるようになったという。

 


私も、ゴッホの絵はそんなに好きな方ではなかった。SOMPO美術館で、1987年におよそ53億円で当時の安田火災海上保険が購入した「ひまわり」の実物を見た時にも、53億円!という値段ばかりに気を取られて、あんまり感動する感じではなかった。ガラスケースの向こうで、比較的小さなキャンバス。たしかに、ひまわりの太陽いっぱいの元気な感じと、普通の人ではこうは描けないという感じに、感動した。でも、好き、って感じではなかった。
だけど、本書の装丁になっている〈星月夜〉のような、青っぽい絵を別の展覧会で見た時に、うわぁぁぁ、、と吸い込まれるような感動を覚えた。好き~~~って感じじゃないのだけれど、目が離せなくなる感じ。見る機会があるなら、全部見たい!っていう感じ。やっぱり、ちょっと、好きなのかも。

 

本書は、あの強烈な絵を描くゴッホがどういう経緯で画家になり、どうして弟のテオが兄の金銭的面倒をみつづけることになったのか、そして、ゴッホが拳銃で自殺した後、それを追うようにテオまでなくなってしまう、、、そういういきさつのお話。そこに、原田さん得意のフィクションが重なり、浮世絵をパリにひろめた日本人画商が登場する。そして、その日本人こそがゴッホの才能をみいだした一人であるという物語。

 

原田さんの『風神雷神』もそうだけれど、実在した画家とその画家にまつわるエトセトラ、どこまでが史実で、どこからがフィクションなのかわからなくなってくるのは、そのストーリーが本当に起きたことかのような、生き生きとした描写、そしてそうであってもおかしくないだろうと思えるような歴史的背景が、しっかりしているからだ。

megureca.hatenablog.com


原田さんのこの手の小説は、本当に面白い。
絵画が好きな私には、たまらなく面白い。

ゴッホだけでなく、印象派がまだアカデミーに芸術として認知されていなかった頃のパリが、ちょっと身近に感じられるような、そんな一冊。

どこまでが史実なのか、わからないけれど、史実かどうかなんて、どうでもいいか、という気になってくる。

 

本書のストーリーは、最初は、1962年のオーヴェール=シュル=オワーズが舞台。そこで日本人のゴッホ研究者が言葉をかわしたのが、実は、ゴッホの弟テオの息子フィンセントだった、という設定。読者だけが、そのことを知る。その男がうっかり川に流してしまった手紙の文章で。

手紙には、
”1890年1月11日 パリ
親愛なるテオドルス

あなたのお兄さんの絵を、いずれ必ず世界が認める日が訪れます。
強くなってください。私もこの町で、ジュウキチとともに闘っています。

あらん限りの友情をこめて
ハヤシ タダマサ”

 

それは、彼が幼いころに他界した父親の遺品の中にあった手紙だった、と。


そして、舞台は、1886年のパリへ。
加納重吉が、学校の先輩であり、いまではパリで美術商をしている林忠正を訪ねるところから始まる。パリに憧れ、フランス語を猛勉強してパリにやってくる。絵画が得意なわけではなかったのだが、林に鍛えられて一緒に画商を営む。
そして、同じくパリで美術商をしているテオを通じて、その兄、ゴッホの作品にであう。粗削りで、まだまだ、美術界にはその価値を認められていなかったゴッホだったけれど、重吉も林も、ただならぬ何かを見出す。
あちこち放浪していたゴッホは、お金はない、酒は飲む、どうしようもない兄だったけれど、テオは兄の才能を信じてゴッホを支援する。そして、そのテオを支えたのが日本人二人だった、という話。
浮世絵を愛し、日本にいきたいというゴッホに、フランスの中にあなたが行くべきところがあるはずだ、といって、アルルへ行くことをすすめたのは林で、ゴッホゴーギャンとうまくいかなくなって、耳を切った話、そこへ駆けつけるテオと重吉と林、、と史実とフィクションが入り混じる。

 

ゴッホの最後は、拳銃で自分の頭を撃ちぬいた自殺だったけれど、物語の中ではその拳銃は、もともとはテオのものだった。そのテオは、自分の息子にフィンセントと名付けるほど兄を最後まで愛して、兄を追うように逝ってしまう。
ゴッホ37歳、テオ33歳の生涯だった。

 

物語の最後は、テオの妻がまだ価値の認められていないゴッホの作品をすべて相続し、夫が信じたようにゴッホの才能を信じて、これから幼いフィンセントと生きていこうとする姿が描かれる。

印象派の多くの画家たちは、その生涯のうちには才能を認めてもらえず、苦労の日々をおくった。その時代のパリを感じられる、そんな作品。絵の世界にどっぷりつかれる感じ。面白かった。

一気読み。

 

また、『風神雷神』でもそうだったのだが、本書でも海外で活躍する日本人が、その土地の言葉をどれほど一生懸命学習したのか、という話が出てくる。
やはり、その土地の文化を深く理解するには、その土地の言葉を理解することは大事なんだなぁ、と、絵画とは違うテーマも感じてしまった。

 

絵の世界、日本と外国との交流の世界、言葉の壁、文化の違い、色々なテーマが潜みつつ、原田さんの絵の愛情あふれる一冊。実際の作品に会いに行きたくなる、そんなお話。まさに、アート小説だ。

 

タイトルにある、たゆたえども沈まず、そして、FLUCTUANT NEC MERGITURとは、パリを流れるセーヌ川のことだ、と話の中ででてくる。しばし、増水して氾濫しても、また元に戻る。シテ島も、沈まずいつまでもそこにある。そういうこと。

人生も、たゆたえども沈ます。

沈んでも、かならずまた水面に顔をだす。

そういうもの。

人生は、川の流れのように、ってね。

 

やっぱり、読書は楽しい。

 

『たゆたえども沈まず』