樹木たちの知られざる生活
森林管理官が聴いた森の声
ペーター・ヴォールレーベン
長谷川圭 訳
早川書房
2017年5月20日 初版印刷
先日、NHKのラジオを聞いていて、森の中で木と木がコミュニケーションをとっているという話題のなかで紹介されていた本。気になったので、図書館で借りてみた。
『オーバーストーリー』(リチャード・パワーズ)の中にもそのような話が出てきて、ちょっと気になっていた。
木と木のコミュニケーションかどうかはわからないけれども、ユーカリの木は自分の側では幼木が育たないようにしているとか、木が揮発性物質をだすことで虫を避けたりするとか、一般的に言われていることもあるから、お隣の木同志がコミュニケーションをとっていても不思議ではない、という気がしていた。
そして、本書を読むと、やっぱり、木ってすごいんだ!と、ちょっとうれしい気持ちになった。ちゃんと、コミュニケーションしていたんだ。周りの木へ、根っこを通じて栄養を届けたりもするらしい。森は木と木が協力しあってできているのだ。森にどっぷりはまってみたくなる一冊。
木は、倒木になってもある意味生きている。
木造建築が数年程度では朽ちていかないのだって、木のすごい生命力だ。
呼吸している。
やっぱり、木ってすごい。
自然ってすごい。
なんだか、自然のすごさに晴れ晴れとした気持ちになれる、そんな一冊。
表紙の裏には、
”世界的ベストセラーが待望の邦訳。樹木たちの密やかな生活の「真実」が明かされる。
春から初夏には、新緑に心を洗われ、秋には紅葉に目を奪われる。そして色鮮やかな花に癒され、新鮮な空気を与えてもらう。
わたしたちは、樹木とともにあり、様々な恩恵を受けている。樹木は身近で尊い友人なのだ。しかし、どれだけ彼らのことを知っているのだろうか。
樹木たちは子供を教育し、コミュニケーションを取り合い、ときに助け合う。その一方で熾烈な縄張り争いをも繰り広げる。学習をし、音に反応し、数を数える。動かないように思えるが、長い時間をかけて移動さえする。
ドイツで長年、森林の管理をしてきた著者が、豊かな経験で得た知恵と知識を伝える、樹木への愛に満ちた名著”
著者のペーター・ヴォールレーベンは、1964年ドイツ生まれ。子供のころから自然に興味を持ち、大学で林業を専攻する。卒業後、20年以上、ラインラント=プファルツ州営林署で働いたのち、フリーランスで森林の管理を始める。本書は2015年にドイツ語で出版。ドイツで70万部をこえるベストセラーに。34か国語に翻訳。アメリカでもニューヨーク・タイムズ紙で絶賛され、ベストセラーとなった。
ということらしい。
しらなかった。
たしかに、これは、読んでいて気持ち良い一冊。ベストセラーになるのが、わかる。
著者が、実際の森の中で経験したこと、発見したことが語られている。そこには、樹木への尊敬の念なのか、親しみの気持ちなのか、なにか、心が温まるような感じがする。科学的データに基づいているサイエンスの本というよりは、彼の確かな観察眼に基づいた事実、と言ったらいいだろうか。だから、観察日記のような、、、しかも、何十年にわたる観察の結果、彼がみいだしたもの。そこに、すこし、科学的説明が補足されている。
難しい説明で書かれているわけではないので、だれでも楽しく読める一冊。自然がすきなら、樹の不思議が知りたいなら、とっておきの一冊。
大木が、どうやって水を木のてっぺんまで吸い上げているのかは、実はよくわかっていないそうだ。たしかに、毛細管現象だけでは、地上何mまでも水を吸い上げることはできない。葉っぱの蒸散作用はあっても、それだけでも説明がつかないそうだ。たしかに、当たり前に大木を見上げてきたけれど、どうやってあんなてっぺんまで水を吸い上げているのか、、、すごい。大木に耳をあてると、水の流れが聞こえるって。ごー--って。
木にとって、光も栄養も必要だけれど、何より重要なのが水であり、水と木のなぞは、まだまだ深いらしい。
落葉の仕組みについての説明も面白い。
落葉は、木にとっては気候に対する優れた防衛手段だという。葉を落とすことによって、木々は余分な物質を葉っぱに含ませて身体から追い出そうとする。いってみれば、デトックスか?!木にとって、秋から冬にかけて葉を落とすことは能動的な行為であり、冬眠に入る前に済ませておかなければならない。翌年もつかう栄養は、葉から幹に取り込んで、樹木は葉と枝のつなぎ目に分離層をつくり、風が葉を吹き落してくれるのを待つのだと。葉を落とすことで活動期から、休息期に入ることができる。睡眠不足が人間にとって大問題なように、樹木にとっても冬眠期にゆっくり休むことは大事なこと。
すっからかんに葉っぱのおちた落葉樹から、春になって新芽がでてくると、まさに命の息吹を感じる。冬眠しながら、ちゃんと春へのエネルギーを蓄えている。樹木ってすごい。
今年、我が家のベランダでも、すっからかんの枝だけになった薔薇の鉢植えがあったのだが、春になったら、ちゃんと新芽がでて、花が咲いた。うれしくなった。
植物は、えらい。
何も言わず、私たちを喜ばせてくれる。寒い、ベランダでも文句も言わず、、、、。春にはちゃんと芽吹いて、私たちの目を楽しませてくれる。
新緑の季節にワクワクしない人はいないだろう。
あ、、、花粉が、、、という人はいるかもしれないけれど、やっぱり、新緑は目にまぶしい。
ちなみに、樹木はそもそも睡眠が必要なのか?という疑問を解消するために、24時間光を照らし続けたらどうなるか。答えは、樹木にとってはうれしくない。24時間、光合成をし続けることは樹木には喜ばしいことではなさそうだ。睡眠不足、とでもいおうか。1981年、アメリカのある都市で立ち枯れたナラを調査したところ、その4%は、夜間に点灯している人工の光が原因だったという発表があるという。
樹木も、睡眠が必要だし、場合によっては冬眠も必要、ということらしい。
植物も。生き物なのだ。
生き物には、休養が必要、休養が大事。
ドイツの森林の話、なんだか、懐かしいような感じがした。
子供のころによく遊んでいた実家の裏の森を思い出した。森の奥に、外国人の老夫婦が住んでいた。小学生の私たちには、なんだか怖い外国人だった。だから森の奥まではいって遊ぶことはめったになかった。でも、時々、小川の上流をめざして奥までいっちゃったりして、ばったりおじいさんにあうと、あわてて逃げ出したり。。子供たちの間では、魔法使いなんだとか、色々かってに想像して言っていた。その森は、樹木も美しいが、小川も綺麗だった。小川と言っても、水が表面を流れているくらいで、水底まで簡単に手が届くくらいの小さな水のみち、って感じ。サワガニやドジョウが居たりして、水も綺麗だった。
実はその森は、その夫婦が購入した私有地だった。日本語を話しているのを聞いたことがないし、どこでどうやって生活を成り立たせていたのか知らなかったのだが、あるとき、突然その森が、「ウイトリッヒの森」という名前の市の公園になった。その夫婦は、故郷のドイツの森と似ているのが気に入ってその土地を購入し、自分たちが居なくなった後も森として残してほしいから、という理由で市に譲渡した、ということだった。ご夫婦が亡くなってしまったのか、故郷に戻られたのかは覚えていないけれど、森はそれから30年以上たった今も、「ウイトリッヒの森」として、豊かな緑で私たちの目を癒してくれる。もちろん、小鳥たちの声も。
こわそうなおじいさんだったけど、故郷を懐かしみ、森を愛するひとだったのだ。
なんだか、懐かしく思い出した。
本書の中で、ドイツの憲法の一節が紹介されている。
「動物、植物、およびほかの生体を扱うときには、その生き物の尊厳を尊重しなければならない」
ドイツって、独特の自然と芸術を愛する文化があるのは、ここ、憲法にも表れている。
これは、道端の花をむやみに摘むことだって許されない、ということでもある。著者は、このような考えかたは他の国にの人々にはあまり理解されないかもしれないが、動物も植物も、両者を隔てなく道徳的に扱うことは大切だ、と言っている。
森林は、私たちのすぐそばにある自然であり、まだまだ冒険したり、秘密をみつけたり、たくさんのことができる。ドイツも日本も、森林が多いというのは共通だろう。
森林を大事にしないとね。
緑に恋焦がれつつ、なぜ、私は今も都市でのマンション生活を続けているのだろう。。。と、ふと思う。
まだ、どっぷり森林につかれない、まだ、まだなのよ。。。
今は、まだ都市でやりたいことがある。
森林は、時々訪れる場所でいい。
でも、大事にしたい、と思う。
読んでいるだけで、心が落ち着いてくるようなそんな一冊だった。
コーヒーを飲みながらというより、ハーブティーでも飲みながら、って感じ。
やっぱり、読書は楽しい。