観見(かんけん)二つの目
今日教えていただいた、禅の言葉。
宮本武蔵の五輪書(水之巻 第三節)にでてくる言葉。
『鬼滅の刃』の”水の呼吸”は、ここからきているのでは?という話もあるらしい。
”観見二つの目
観(かん)の目は全体を観て、見(けん)の目は局所を見る。
観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見ること、兵法の専らなり。
敵の太刀を知り、聊(いささ)かも敵の太刀を見ずと云事、兵法の大事なり。
目の玉動かずして、両脇を見ること肝要なり。
か様のこと、急がしき時、にわきまへがたし。
此書付(このかきつけ)を覚え、常住此眼付(じょうじこのめつけ)になりて、何事にも眼付(めつけ)のかはらざる処、能々(よくよく)吟味有べきものなり。
観の眼強く、見の眼弱く、うらやかにみるべし
柳生新陰流伝書”
意味:
なにかを見る時、二つの「みる」がある。
観察の「観」と、一か所を凝視するときの「見」。
敵の太刀は、当然、視野に入れておかないといけないけれど、それをじっと見てはいけない。それが、兵法の基本。
目の玉を動かさないで、放心、ぼぉ~っと周りも見る。
でも、そんなことは、いざという時、いきなりはできない。
したがって、この事を常日頃からしっかり覚えておくこと。
常日頃、日常生活の中でも、こういう眼付、観見(かんけん)二つの見かたを、同時にもってすごすこと。
ポイントは、観の目(全体を見る目)を強く、見の目(一か所を見る目)を弱く、力をいれずに、ゆったりとした心で、見ること。見るとは言っても、キョロキョロでもなく、じっとでもなく、強弱のバランスが大事、ということ。
一眼(目)を動かさず、局所と全体を同時に観(見)る
一般論で言えば、
全体と個、
組織(社会、世界)と個人、
公益と私益、
論語と算盤。
全体というものを見る必要性の教え。
人間は、どうしても、自分、自己利益を考えてしまう。
それは、本能だし、持つべき。
でも、それだけでなく、「論語と算盤」。両方大事。
ごもっともです。
しかし、同時にそれを見るのが難しいのだ。
さすがに、50歳も過ぎて、日々、私利私欲に生きているわけではない。
かといって、常に、世のため人のため、と思っているわけでもない。
言葉として「観見二つの目」って、初めて聞いた。
五輪の書、むか~~~し、読んだことはあるけれど、たいして記憶に残っていない。
「観見二つの目」。たしかに、大事だ。
個人的には、全体と部分ということもそうだけれど、
長期視点と短期視点を同時に考えることを大事にしたい。
今日の快楽なのか、将来の快楽なのか。
今だけ良ければいい、ではないはず。
だから、今の快楽だけには溺れない。
将来の快楽につながると思えば、今の苦しみも又快楽。
ま、それに気が付くのには、それなりの人生経験が必要なんだよね。
「観見二つの目」って、執着しない、っていうことにもつながるのかもしれない。
なんて、思った。
長期視点、全体視点で見れは、ちっぽけな自分がよくわかる。
地球的視野で、なんてちっぽけなこと言わないで、宇宙的視野で考えてみよう。
自分は、どんだけ、ちっちゃいことに一喜一憂しているのか。。。
ま、それでも楽しんでいるからいいのだけど。
で、それでも、ちっぽけなりに、頑張る。
今、やるべきことを頑張ろう。
と、話は時事になるが、
なんでも、昨日、東京都の小池知事が、北朝鮮のミサイル攻撃があった場合を念頭に、都内の地下鉄の駅や地下道あわせて109箇所を緊急一時避難施設に指定したらしい。
なんだかなぁ。。
観るというより、見るだなぁ。。。。って感じがした。
まぁ、都知事としては、都民を守るためになにかしなきゃ、って思ったのかもしれないけれど。
ウクライナも気になる。
ミャンマーも気になる。
アフガニスタンも気になる。
でも、まず自分の生活考えなきゃな。
ね。