『道徳教室』 by  髙橋秀美

道徳教室
髙橋秀美
ポプラ社
2022年3月14日 第1刷発行

 

養老孟司さんがご自身の YouTube の中で面白い本として挙げられていたので読んでみた。
確かに面白かった。ゲラゲラ笑うというのではなくシニカルに面白いというのか。

 

著者の髙橋さんは、1961年横浜生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞受賞。その他著者もたくさんある。
私は、多分、初めて読んだ。

養老先生曰く、色々と、ルポをして書いているところが面白い、とおっしゃっていた。

本書は、「道徳」がテーマなのだけれど、その発端は、2018年度から小学校で始まった「特別教科 道徳」という、「道徳」が教科になったのか!という気づきから。そもそもこの「道徳」というテーマを発案したのは、編集者でもある彼の妻だったとのこと。小学校で道徳が強化され 、SNS などを見ると世の中が道徳化しているといういい知れぬ不安を感じたという。ちょうど還暦を迎えた高橋さんは、改めて生まれ直すつもりで小学校1年生の教科書読んでみることから道徳を学んでみた、ということで本書の執筆にいたったと。

小学校での「道徳」授業の調査のために、学校に赴き、小学生と対話してみたり、先生とはなしたり。実に真っ白いキャンバスをうめるかのように自分の知識を再構築していこうとする高橋さんの問いかけが面白い。

本書は、「道徳」がテーマであるけれど、学校での授業の話にとどまらない。話は、社会経済活動、ウーバーのようなシェア活動AIをつかったロボットの導入、スマートフォンの使いこなし、エコバックの意味、NHKとは、眞子さんの結婚記者会見と多岐にわたる。

どれも、なるほどなるほど、そこまで自分の身体をはって検証したのか!と、その行動力に思わず納得!って感じ。

ところどころに、歴史的人物の言葉も散りばめられていて、見識ぶりもうかがえる。

なかなか、面白い本だった。
へぇ、こういう人いたんだ、と、新たな発見。
やっぱり、最新刊は内容が新しいので面白い。

 

小学校で道徳の授業というのは、イジメ撲滅のために始まったそうだ。たしかに、かなしくなるいじめの報道は後を絶たない。かといって、へぇ、、、道徳を科目にするというのも、はたして効果があるのか??わからないけど。

 

道徳の教科書の冒頭には、道徳とはなにかが説明されている。

「どうとく」では、
よりよく いきる ために
たいせつな ことに ついて、
みんなで かんがえるよ。
(『しょうがく どうとく いきる ちから1』 日本文教出版

と。

 

ほかにも、教科書はいくつかあるらしい。
そして、各教科書に共通するのは、「わたしの よい ところ」というテーマだそうだ。
いわゆる、自己肯定感をあげよう、ということなのか?

高橋さんは、日本の教科書は「みんな仲良く楽しい」が前提になっている、と指摘している。

ドイツでは、「一人でいる」ことの価値を尊重する。
まえにMegurecaでも書いたことがあるけれど、「誰も相談できる人がいなくて自殺する」という日本の若者の話をきいて、アメリカの大学生が笑った、という話がある。

megureca.hatenablog.com

みんな、っていったいだれだ???
だれにも肯定される必要がどこにある???

 

本書のなかからドイツについての話を引用すると、

ドイツでは一人で考える。一人で自分自身について考え、自分ひとりでは生きていけないことに気づき、家族や共同体、国家、宗教について考える。論理的というか体系的な展開で、その中で「決断する」「嘘をつく」「争いを解決する」などの行為について考える。さらには「貧困」や「美しさ」、「世界の始まりと終わり」についても考えたりする。「公平」についても気持ちではなく、「公平な方法で。人々がうまく共生することができるように、法律が存在しています」と現実に目を向けさせ、「(ルールと法律は)私たちが注意を払い、他の人の反応を予測し、評価する手助けになります」とまで教示した上で、子供たちに考えさせるのである。 
ドイツの教科書は見るからに考えが展開していく。読んでいるだけでも賢くなる感じがするのだが、「みんなで考える」日本の道徳は、頭がふやけていくような感覚に襲われる。何もかもが「みんな」を主体としているようで、これでは考えるというよりみんなの中での自分の位置づけに逡巡しているだけではないだろうか。”

ちょっと、ここに共感してしまった。
なんともいえないけれど、「みんなで考える」というのは、みんなそれぞれ、なのか、みんなでいっしょに、なのか、それによって随分と異なる気がする。

「みんなそれぞれ」ならばいいけれど、「みんないっしょに」となると、危険な香りを感じてしまうのは、私だけだろうか。


高橋さんが小学生に色々インタビューしているものが面白い。ある小学生は、道徳授業はお面白いと言い、「道徳は『だから』で、国語は『す』だから。」と言っている。
道徳なら、「約束だから、やりましょう」のところが、国語になると「約束です、やりなさい」という感じということらしい。『だから』のほうが楽しいそうだ。
ふふふ。ちょっと、面白い。

 

〇〇だから、しかたがない、って感じも無きにしも非ず。

 

芥川龍之介の言葉が引用されている。
「道徳の与える損害は、完全なる良心の麻痺である」

あぁ、、、なるほど。
人の心を麻痺させるのが道徳。
たしかに、高橋さんの言う通り、すごい、毒薬かもしれない。


本の半分くらいは、学校での道徳授業にまつわる話で、途中から世の中を道徳的に見てどうなのか、という話にうつっていく。

ハラスメントという言葉を聞くようになって長いが、そもそもハラスメントとは認定行為であって、その主体は認定者になる。
よく言われるように、セクハラだって、同じことを言われたりされたりしたとしても、Aさんならよくて、Bさんならセクハラになる、、、と最初に言いだすのはされた側。そして、第三者が、Bさんの行為はセクハラですね、と認定するとセクハラになる。被害者も加害者も、第三者が認定して、はじめてセクハラの被害者と加害者になるということ。
それを、高橋さんは、「結局、両成敗」という言い方をしている。確かに、少しある。
ハラスメントの場合、そこには権力を行使して、という強者と弱者の立場があるのだが、弱者が強者を訴える時にも、結局はそれ以上の権力にうったえることになる。権力に頼るのだ。。。
せちがない社会だ。。。

ハラスメントは、許しがたい。でも、ハラスメントだといって訴えることだけが解決手段というのは、それもまた違うような気がしていた。そんなモヤモヤを、すこし解消してくれたのが以下の高橋さんの言葉。

いじめると逮捕される。告発すれば逮捕させることができる。実にパワフルな警告なのだが、これは問題の解決というより権力への依存にすぎず、世の中の恨みははれるより、かえってつのるような気がする


そうなのだ。
法律を整備するとか、会社の中にホットラインをつくるとか、それは確かに対処法としては正しいのだろうけれど、根本治療になっていない。
いじめを起こさせない社会、ハラスメントを起こさせない社会、そっちが大切なのだろう。
で、いじめを起こさせないために、「道徳」の科目化。
そうなのかねぇ???
ちょっと、なんか、違う気もするけど。。。。
なにもしないよりは、ましなのかな。

 

ハラスメントの他にも様々なテーマが道徳の観点から高橋さん流に語られる。

AIの話の中で、面白い指摘があった。
AIとは、Articificial Interigence。直訳すれば、「人工知能」。Artificialは、Naturalの対義語で、自然ではなく「人工的」ということだけれど、そもそも、知能とは人工的だろう、というのが高橋さんの指摘。あ、たしかに。
言語や記号も人がつくった人工的なものだし、論理や数式も人工的。人工的ではない知能は知能ではないわけで、AIなんて勿体を付けずに、「知能の機械化」とすればいいのではないか、と。
確かに、そういわれればそうだ。
「知能の機械化」であれば、「シンギュラリティーなんてありえない」というのもすっと理解できる。
AIの専門家に言わせると、やはり所詮人間がインプットしたデータ、ビックデータだって過去のデータ、それをつかって計算をしているAIが、真に新しい創造をするわけがない、ということのようだ。
そうだよ、そうだよ、やっぱり、所詮はアルゴリズムだよ。

 

イギリスでは、「アイサイドウィズ」という選挙の際に自分の好みを入力すると、コンピューターがかわりに政党を選んでくれるアプリがあるという。500万人が利用しているという。むむむ。アルゴリズムに、判断をゆだねていいのか???
まぁ、参考にしたくなる気持ちはわかる。私も、使ってみたい。でも、アルゴリズムを作っている人が、どこかの政党の回し者である可能性もなくはない、、、。
わたしは、判断は自分でするぞ!!


この、アプリの話から、
本書の中に、カントの言葉がでてきた。

君の規律がいついかなる場合でも同時の法則として普遍性をもち得るような規律に従って行動せよ

昨日の、『フランスの高校生が学ぶ10人の哲学者』にもでてきたカント

megureca.hatenablog.com

規律にしたがって、行動せよって。

 

そして、このようなアプリが提供してくれるのは規則だから、スマホは道徳のツールだったのか!!と。
かつ、Facebook(いまは、Meta)やInstagramも、アプリに規則をつくってもらい、「観主観性」を作り出すコミュニケーション手段だったのか!と、。。。

カントの西洋の「道徳」が、デジタル技術を生み出したのか!

と話を飛躍させているところがおかしい。

ほんとに、どの話題も、真面目に皮肉っているというのか、真剣にルポしているからこその面白みを感じる。

 

眞子さんの結婚記者会見の発言も、思わず、う~~~なるほどぉ!!そう来たかぁ!!って。

ついでも、菅元総理の発言に、なぜこんなにもイライラさせられるのか、、など。

これは、また、別のネタとして、次回、覚書しておこう。

 

なかなか、情報満載。

やっぱり、ルポって面白い。

文体も独白というのか、口語調なところもあって、読みやすい。

 

面白い人だ。 

他の著書も読んでみたくなった。

 

読書は楽しい。

 

『道徳教室』