『道徳教室』 髙橋秀美 の続き。眞子さん・菅元総理の日本語

道徳教室
髙橋秀美
ポプラ社
2022年3月14日 第1刷発行

 

昨日の続きで、『道徳教室』からの覚書。

megureca.hatenablog.com

 

眞子さん発言と菅元総理

 

眞子さんについては、小室眞子さんと小室圭さんの結婚会見(2021年10月26日)での眞子さんの発言について。

髙橋さん曰く、衝撃的であった!と。
なにが、衝撃的であったかというと、憲法によれば、眞子さんは「国民の総意に基づく、日本国民統合の象徴」である天皇につらなる皇族だったのに、「みんないい人」を否定した、というのだ。

二人でならんで、お互いに「いい人」だと讃え合う形式は、まさに、NHK的な「いい人でいっぱい」だったのだが、だんだんと眞子さんの発言が「みんないい人」を壊していった、と。

眞子さんは、しきりに「感謝」を繰り返していたが、その対象はある一部の人に限られていて「みんな」ではなかった、国民をいい人と良くない人にへだててて発言していた、というのだ。

眞子さんの発言を振り返ってみよう。
「私達の結婚心配し応援してくださった方々」、「私と一緒に仕事をしてくださった方々」、「私に温かい気持ちを向けてくださった全ての方々」、「厳しい状況の中でも圭さんを信じ続けて下さった方々」
と、自分たちの味方についている人だけに感謝しているようだった、というのだ。

なるほど。
たしかに。

 

そして
「私たちのことを思い静かに心配してくださった方々や事実に基づかない情報に惑わされず、私と 圭さんを変わらずに応援してくださった方々に感謝しております」と。

たしかに、感謝の対象を限定している。
つまりは、事実にも基づかない情報に惑わされた人には感謝しない、、、と、一部の国民をはっきりと除外した、というのが髙橋さんのみたて。

なるほど。
たしかに。

 

そして、
「間違った情報がなぜか間違いのない事実であるかのように取り上げられ、謂れのない物語となって広がっていくことに恐怖心を覚えると共に、辛く、悲しい思いをいたしました」と 一部の人を糾弾した、と。

 

髙橋さん曰く、眞子さんは「いい人」と「よい人」の区別がついていない、と。悪意を糾弾しているが、世の中に悪意があるのは当たり前で、悪意や善意を胸に「和」を尊び、「みんないい人」という約束事になっているのが日本なのではないのか、と。
それを、破る人がいても、自分は破ってはいけない。
そして、「事実に基づかない情報」「間違いのない事実」などといっているが、事実も人によってそれぞれで、ただ一つの真実があるなんていうのは、独善である、と。

なるほど。
たしかに。

 

そういう、受け止め方もあったのね、と、思わずうんうん、と思ってしまった。
べつに、眞子さんの発言を責めるつもりもないし、私は、圭さんが本当はどういう人なのかもどうでもいいことなのだが、二人の会見に、なにかどうしょうもない幼さを感じたのは、そういうことだったのか、という気がして、なんだか、すっきりした。

 


菅元総理の話は、「なぜ、彼の話を聞くと、こんなにイライラするのでしょう」という国民の声が多かった、ということから。

たしかに、就任当時、菅さんの発言はなんともはがゆいというか、もうちょっとはっきりしゃべったら、というか、、、イライラする感じがあった。活舌の問題ではないなにかが。
速攻で、「話のプロ」の指導が入ったそうだ。まぁ、政治家というのはその立場になるとまずスピーチのトレーニングをするのだそうだが、特に菅さんの場合、かなりの矯正があったようだ。

そして、みんなのイライラの原因を髙橋は、説明してくれている。
菅さんの話は、「を」が多い。
菅さんのはなしは、耳障りなくらいに、助詞(てにをは)の「を」が多いのだと。

発言は、
えー、先ほど、新型コロナ対策本部を、開き、緊急事態宣言を、決定いたしました」
官邸HP掲載は、「えー」が削除され、「決定をいたしました」が「決定いたしました」に修正されているそうだ。

TVで会見を聞いていると、「を」が耳につくのだろう。
「を」が重なると歯切れが悪く、決定した主体がぼんやりするのだと。

「決定いたしました」なら、決定が動詞としてつかわれているので、菅さんが決定したように聞こえるけれど、
「決定をいたしました」と言われると、決定が名詞としてつかわれることになり、主語が曖昧になるのだ、と。

ほかにも、
「いよいよ今日から、緊急、事態が宣言、されます」
とか。


言葉が、ぷつぷつ途切れて、ブランクが多いことと、「を」が多いこと。
それを真似ると、菅さんスピーチの物まねができそうだ。
ま、することもないけど、、、。


とまぁ、言葉の端々を気にして聞いていると、色々な気づきがあるものだ。


通訳の勉強をしていると「日本語を助詞で止めてはいけない」と、しばしば指導される。助詞で止まるというのは、耳障りが悪い日本語なのだそうだ。


「私がぁ、それをぉ、見た時にぃ・・・」みたいに、助詞を伸ばすのはもってのほかだけれど、伸ばさなくても、訳していると、ついつい次の言葉を探しに行っている間に助詞が大きな声になってしまうことがある。
もっと、素人っぽくて、やってはいけない通訳、と言われる。

私が助詞で止まってしまうのは、あきらかに、訳語を頭の中で探しているとき、、、。

まだまだ、修行が足りない・・・。

美しい日本語の訓練には、NHKアナウンサーの日本語のシャドーイングがよいという。実際、やってみると、意外と発話トレーニングになる。

 

眞子さんはさすがに、喋りは滑らかで美しい。
菅さんは、言葉を慎重に選びすぎて、「を」の間に、次に何を言おうか考えているのかな?

 

ま、『道徳教室』でのいい人の話から、日本語の発話にまで話がおよんだかけれど、これが、読書のだいご味。

気になるところは、自分の思考に脱線するのもたまにはいい。

 

読書は楽しい。