『食卓のない家』 (下) by  円地文子

食卓のない家 上下
円地文子
新潮社
昭和54年4月15日

 

前回の続き。

主な登場人物の詳細は、前回参照ってことで。

megureca.hatenablog.com

 

以下、ネタバレあり。

 

物語は、2月、小雨が降る中、鬼童子信之が旅先の那智の滝で香苗と出会うところから始まる。滝に行く前に立ち寄った「お告らせお婆」(霊媒師)でも見かけたこの若い女性と、滝でも出会い、香苗の方から信之に「また会いますね」と声をかけてきたのだった。旅行者として出会った二人は、いくつか言葉を交わして別れる。

すでに、長男・乙彦が過激派一連事件で逮捕された1年後の設定。鬼童子家族は、世間からの嫌がらせの逆風で、妻・由美子は精神崩壊で入院中、娘・珠江は婚約破棄によるショックで自暴自棄。それでも、未練の残る達也(珠江の元婚約者)と、時々こっそり会っていた。だいぶほとぼりが冷め、一見普通に生活しているのは、修(乙彦の弟)と信之だった。

 

由美子不在の中、由美子の実姉である喜和がなにかと鬼童子家の世話を焼いていたので、信之と喜和が二人でいる時間が増えていく。信之は、今でも妻の由美子を愛しているものの、病んでいる由美子といることが辛くもなっていた。その分、喜和にたよることが多くなり、次第に二人の仲は、男と女ではないが、以前よりも親密になっていく。

由美子は、誰にそれをきいたのか、勝手に二人の仲を邪推して、嫉妬に駆られていく。

 

珠江は、喜和の養女になることで鬼童子の姓をすてて、達也と結婚したいと喜和に相談する。達也もそのつもりなのだと。
達也は叔父の弱みをにぎることで、千原家の財産相続の約束まで取り付けて、珠江と結婚することになる。

もともと、乙彦の事件の時に、親に従い、珠江をあっさりあきらめた男だし、喜和も信之も、達也に対してはあまりいい印象はもっていなかった。口がうまくて世渡り上手なのは認めるが、二人の結婚がそううまくいくとはおもっていないものの、大人の二人がきめたことに大きく反対することもなかった。珠江と達也は、結局、喜和と川辺弁護士に相談したうえで既成事実として先に結婚届を提出し、それから信之へ結婚報告する、という形をとった。信之は、大人なんだから、それでいいだろう、と言って特に反対することもなく、あっさりお祝いをいう。
二人は、達也の栄転で、結婚と同時にアメリカへ飛んだ。

 

「由美子へは、珠江がアメリカに行ったということは今は言わない方がいい」、という主治医のアドバイスに従って、家族は珠江の渡米を由美子に隠していた。喜和や修がお見舞いに行っても、「珠江は友達と北海道に旅行に行っている」といってごまかしてきた。さすがに、数か月も見舞いにも来ない娘のことをおかしいと思い始めたころ、由美子は、病院でばったりであった珠江の同級生に、珠江の渡米を聞いてしまう。
家族は、私を仲間はずれにした、といって嘆く由美子。

姉と夫の中だって、怪しい。

珠江の件が、由美子の精神破綻に拍車をかける。

被害妄想にかられた由美子は、喜和のマンションから飛び降り自殺をしてしまう。

 


ようやく、乙彦の事件に関する世間の嫌がらせが落ち着いていたというのに、今度は由美子の自殺が週刊誌の格好のネタにされてしまう。愛憎のもつれから犯人の母自殺、と。まるで、喜和と信之が不倫をしているかのような書かれようだった。

ほっとけばいいという信之に対して、公務員としての立場もある喜和は、許せないと憤る。一度は週刊誌を訴えると息巻いていた喜和だが、川辺弁護士や信之に諭されて、だんまりを通すことに納得する。由美子の自殺の話題は、次第に忘れられていく。

 


喜和も、信之も、修も、珠江も、それぞれがそれぞれの道を粛々とあるいていた。信之は、会社で研究所の所長に就任した。様々な逆風もあったものの、会社の会長は信之を技術者としても一人の人間としても尊重し、推してくれたのだった。

香苗とは東京でも再開したことから、交流が続き、香苗は信之を男性として愛を感じるようになっていく。信之は、香苗に愛情は感じるものの、それを受け止めることはできない、といって香苗をつきはなす。やはり、娘の珠江とあまり年のかわらない若い女性ということが、男と女としての愛情を受け入れることを拒ませた。香苗は、兄に自分の絵を書いてもらい、それを信之におくる。素敵な絵だ、といってうけとる信之。そして、香苗は留学先へのインドへと旅立つ。


数年がたち、平穏を取り戻したかのように見えた鬼童子家に再び大波がやってきたのは、別の過激派によるバングラディッシュダッカで起きたハイジャック事件だった。百人以上の人質をとって立てこもった過激派の同志解放要求の中に、乙彦の名前があったのだった。日本政府は、人質救出のために、犯人の要求に応じることを決める。

 

乙彦はハイジャック犯の要求に乗って、日本を脱出することを選ぶ。自分の意思で、日本にとどまって、日本にて裁きをうけることも選択できた。でも、自由を求めバングラディッシュへ飛ぶことを選んだ。その先に、果たして自由があるのかは保障されないことを承知の上で。


結局、信之は、逮捕されてから解放されるまで、一度も乙彦に面会しなかった。だが、伝言役となっていた川辺弁護士や喜和の言葉を通じて、信之と乙彦はいつの間にか互いに意思を通しつづける強さを認め合い、同じ血が流れていること、血は逆らえないことにあらためて気づかされていく。

 

信之は、乙彦を憎んで絶縁したわけではなかった。一人の人間としての尊重でもあった。自分のことは自分で責任をとれ。そういうことだった。お前は、責任をとれるだけの人間だ、と。

珠江も、孤立しがちなアメリカでの生活の中で、自分のことは自分で責任をとれという父の教えをひしひしと感じるようになる。

 

乙彦らの解放の日、信之は修と二人で京浜島から乙彦らを乗せた飛行機を見送った。

もう、二度と会えないかもしれない、息子を、兄を、見送った。

予定通りに日本で裁判が始まれば極刑であったかもしれない。

そんな息子が、生きて、空を飛んでいくのを見送った。

 


物語の最後は、北海道で終わる。川辺が知り合いの弁護士に頼んで探してもらっていた浅野みよこが北海道の牧場で働いているのがみつかった、といって、川辺と信之は北海道まで出向いてみる。そこは、東京で起きているごった返しのような社会とは全く違う、自然に抱かれたどこまでも青空が広がるような壮大な大自然だった。

 


牧場主の話をひとしきり聞き、牧場内を散歩する信之。

外には、一人で遊んでいる男の子がいた。

「名前は?」

「朝野乙良(おとよし)」と元気に答える男の子。

広々とした牧場に生まれ育って、大自然の中で過ごしていた。

信之は、社会の混沌とは無縁にみえるこの大自然を、子育ての場として選んだみよこに感謝したい気持ちになった。

最後は、その男の子のお母さんと思しきひとが、信之と少年のところに近づいてくる場面で終わる。

 


誰の将来もわからないままで小説は終わる。

でも、それぞれに、それぞれの未来が待っているんだろうな、と思わせる結末。

 


人生、どんなどんでん返しがあるかもわからない。

乙彦だって、海外逃亡したところで、仲間のリンチで命を落とすかもしれない。

珠江の人生には、夫の会社が賄賂(リッキード事件を想定?)のあやしい雰囲気が陰り始めている。家族と離れてアメリカに行って、初めてが父親が貫き通したことの正しさに気が付いていた珠江。きっと、困難なことがあっても自分の足で立ち上がる強さをみにつけたのだから、乗り越えていくのだろう、と思わせる。

いったんは、香苗からの愛に傾きかけた信之だったけれど、一人、粛々と研究所を守っている。そして、北海道へむかう飛行機に乗る前、インド・ダージリンからの香苗の手紙を読んでいた。3年ぶりの香苗からの連絡だった。離れていても、思ってくれる人がいた。

由美子が死んだときも、乙彦を見送るときも、一番、しっかりして頼りになったのは、修だった。気が付けば、末っ子がしっかり者になっている。

 


みんなそれぞれ、自分の足で歩いている。

一緒にいなくても、やはりつながっている。

それが、家族なのだ。

喜和と信之だって、血がつながっていなくても、親類というつながりなのだ。

また、信之を取り巻く友人や香苗。

人は人と生きている、やはり社会的動物なのだ。

 


あとがきで、円地文子は、あさま山荘事件に触発されて書いたけれど、「構成は全部フィクション」と言っている。

社会VS家庭の問題を描きたかった、と。

 


「食卓のない家」というタイトルなので、崩壊してしまった家族の物語なのかと思ったけれど、そうではなかった。確かに、家族団らんの食卓は失ってしまったかもしれない。でも、人とのつながりは失われなかった。

家族として生きていきたい。でも、世間が許さない。それでも、強く生きる。信念をもって生きていれば、支えてくれる人は、必ずいる。そんなお話。

 


本当は、もっともっと登場人物もいるし、複雑な出来事が色々でてくる。

家族と個人、というテーマでもあると思う。

 


本文の中で、アンナ・カーレントの有名な言葉が引用されている。小説に出てきたのを見たのは、はじめてかな。

幸福な家庭は一様に幸福であるが、不幸な家庭は様々に不幸である

家庭を個人に置き換えても同じことが言えるかもしれない。

血縁という運命。

でも、個人でもある。

 


なかなか、読み応えのある上下巻。

おどろおどろしくもあるのだけれど、なにか、自分の足でたって歩いていける、って、勇気をもらえるような、そんな感じ。

自分の信念をもて。

そういわれている気がする。

 


じたばたしてもどうにもならないときもある。

まぁ、それが人生ってもんよ。

 


焦らない、あきらめない、人と比べない。 

結局はそれに尽きるかもしれない。

 

そして、

自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。

 

じたばたしてもどうにもならないときは、開き直って、今できることをがんばろう。

 

『食卓のない家』(下)