『この世を生き切る醍醐味』by 樹木希林

この世を生き切る醍醐味 最後のロングインタビュー
樹木希林
聞き手:朝日新聞編集委員 石飛徳樹
朝日新書
2019年8月30日 第1刷発行

 

図書館で目に入ったので借りてみた。

樹木希林さんは、1943年東京生まれ。2019年3月17日に亡くなられた。
その半年前ほどの、インタビュー。 

表紙には、
樹木希林は、なぜあれほど平気に死んだのか。最後のロングインタビュー”
そして、娘の内田也哉子さんの言葉も。
”とても母らしいです。美談じゃなく、ダメなところも書いているから。”


表紙の裏には、
人生、上出来でございました」世を去る半年前、7時間に及ぶ最後のロングインタビューを全収録。
この浮世をぞんざいに生き切る覚悟。
あらゆる出会いや運命に感謝する心の持ちよう。
病や死すら面白がる透徹した視点。
樹木希林さんの言葉の一つ一つがお手本だ。
そして娘・内田也哉子さんが初めて語る最後の日々、内田家の流儀、未来に受け継ぐ「母の教え」とは。

 

裏表紙には、いくつか言葉の抜粋が。

「私は『闘病』というのをした記憶がないのよね」
「格好はバアさんなんだけど、気持ちは絶対に欲が深い」
「メインになってない分だけ打たれ強いわね」
「美しくない人が、どうして美しく写るんですか?」
「同居したら老々介護でしょ。できないもん」
「やっぱりいつまでも危ないっていう感じは残しておきたいなと」
「今日までの人生、上出来でございました」
生老病死をおもしろがるヒント満載! 

と。

 

樹木希林さんが、亡くなる半年前、インタビューする石飛さんらに見せたのは、全身ががんに侵されていることを示す、PET(陽電子放射断層撮影)の写真。初めて癌が見つかったのが平成16年。それから14年後の写真だった。その2年前にとった写真と比べると、明らかに、全身真っ黒、、、、。これで生きているのか?と思えるほどの写真。

そんな中での、最後になることも覚悟の上でのインタビューだったのだろう。
でも、悲壮感はかけらもない。

 

癌については、本書の最初の方で語られている。
病気をしたことで、喧嘩っ早く、なんでもずけずけ言ってた時のエネルギーが無くなってきた、と。それで、病気をしたことで、相手を追い込むことがなくなったんだから、よかったんじゃないかと。
癌について、養老孟子さんが「僕は、ぜったいに癌の検診はうけない」といっていた理由を語っている。
癌ていうのは、出来ても又消えていったりする。もう、みんな癌がいっぱいできているんです。年を取ってくれば、それが固まってくるんです。早期発見、早期発見なんて喜んでいるけれど、あんなのは放っときゃあね、無くなっている可能性もあるんですよ」と。
ま、それもありなんだよね。

そして、養老さんは、『バカの壁』がヒットしたときに、もうこれで食っていけるから、いやだった大学の先生はやめちゃった、って。笑える。

癌の話が、そんな世間話になっていく。
普通に、長年活躍してきた訳者さんがロングインタビューに答えている感じ。

最後には、娘の内田也哉子さんのインタービューも含まれる。そこでは、希林さんが亡くなる前の日には病院から自宅に帰っていて、也哉子さんや孫たちに見守られながら息をひきとったという話が。
あぁ、あっぱれな人だったなぁ、、、と、つくづく。

 

そもそも、希林さんが役者になったきっかけは、大学受験の前に骨折して、受験できなくなってしまったことだったそうだ。
2か月くらい外に出られず、大学受験もできず。一人で家にいると、取り残された感じで疎外感が辛くて、絶望感のようだったのだと。家にはお金があったので、お小遣いがないとか言うことは無いのだけれど、目標がないというのがつらかった、と。で、どこか他に学校はないかと探していた時に、新聞の広告に、劇団の研究生募集をみつけたのだそうだ。

目標がなくてつらい、、、って、重い言葉だと思った。
私も、目標なくいることが苦手だ。
私の場合、目標を達成したときもうれしいのだけれど、それよりも、「次はこれにチャレンジしよう!」と、目標を見つけた時にワクワクして、アドレナリンがでる。
「人生の目標」があるって幸せなことだ。
希林さんもそういう風に感じる人だったんだ、とおもったら、ちょっと嬉しくなった。

希林さんの独特の存在感。
他の役者さんには、ぜったいないもんなぁ、、、と思う。
是枝裕和監督の「万引き家族」(2018)のおばあちゃん。
河瀨直美監督の「あん」(2015)の元ハンセン病患者の主人公。

若いときはTVでも随分活躍されていたけれど、後半はもう映画しか出ない、と決めていたらしい。

 

希林さんと言えば、昭和世代の私にはなんといっても、
「フジカラーで写そ!」のCMだ。
岸本佳代子さんと樹木希林さんのCM。
まだ、フィルムカメラしかなかった時代、写真をとると、写真屋さんに行って現像してもらうのが当たり前。そんな時代は、フジカラーだけでなく、サクラ、コダックと様々なフィルム屋さんがあって、テレビCMで競っていた。
そんななか、希林さんの出演したCMは、最高に印象的で、おもしろかった。
晴れ着姿でフィルムを現像にだしにきた希林さんが、写真屋さんに扮した岸本さんに言われるセリフ。

「フジカラープリントでしたら、美しい人は、より美しく。そうでない人は、、、、、それなりに。」


この「そうでない人は、それなりに」というセリフを提案したのは、希林さんだったそうだ。
だって、「美しくない人が美しく写るわけないじゃない」と。

希林さんが、岸本さんに言われた言葉を、苦笑いのような顔で。
「そうでない人は、それなりに、、、」とつぶやく。

すっとぼけた感じが、めちゃくちゃ、うけた。
このCMのヒットで、富士フィルムは、ぐんと売り上げを伸ばしたそうだ。

 

芸名の由来の話があった。本名は、中谷啓子。
最初は「悠木千帆」という芸名だったそうだ。「テレビ朝日」の番組企画で、自分のモノを何か売る、というときに、売るものがないから「自分の芸名」を売っちゃったそうだ。
で、買う人がいたかというと、いなかった。でも、うっちゃったんだから、新しい芸名をといって、辞書を繰って音感の良いものを選んだのだと。
希林さんは、音が重なるのが好きだそうだ。
それで、「きききりん」樹木希林となった、と。
ちなみに、娘の「ややこ」も、あかちゃんの「やや」に夫・内田裕也の「也」をつかって、也哉子にしたそうだ。
音の重なり、気にしたことなかった。
たしかに、ちょっと可愛らしい感じがいいかも。

希林さんは、病気をしてから、死に至ったときには何ももっていけないのだから、何もかもが地球から借りているモノ、と思えるようになったという。
すると、物欲がスッとなくなってしまった、と。
癌になってからは、「いつかは死ぬ」ではなく、「いつでも死ぬ」になったのだと。

そして、インタビューの最後。
「こうやって、あなたにずっと私の話をしてきてね、何がわかったかというと、その都度その都度、いろんな人との出会いによって、つぶれてしまったり、持ち上ったり、影響を受けながら生きてきたってことよね。
いまなら自信をもってこう言えるわ。今日までの人生、上出来でございました。これにて、おしまいといたします。」

と。

あっぱれだな。

 

希林さん、好きだったなぁ、と思う。

映画『日日是好日』の希林さんが好きだった。

希林さんそのもののような気がした。

 

日日是好日

物欲はなく、でも、目標は持って。

希林さんが亡くなった後、追うように夫・内田裕也さんも亡くなった。

一緒に住んだ期間はほんの半年の夫婦だったけれど、最後まで夫婦だったお二人。

素敵。

 

このインタビュー、本当は本にする予定はなかったそうだ。

希林さんが、本にはしないでね、っていっていたから。

でも、石飛さんは、やっぱり、、、と思って本にされた。

也哉子さんも、協力してくれたし。

こうして、読者に届けてくれて、ありがとうございます。

 

活字にして本にするというのは、すごいことだ。

 

生死を語った本ではあるけれど、さら~っと読める。

何かの目標を達成した後、ふと空いた時間に読むと、また元気がでてくる、そんな感じの本。

梅雨の合間に、ちょうどよかった。

 

読書は楽しい。

 

『この世を生き切る醍醐味』