禅の言葉: 晴天白日一声の雷

今朝教えてもらった禅の言葉


晴天白日一声の雷 (せいてんはくじつ いっせいのらい)
               無門禅師の偈(え) (the Poem of Mumon)
 
「無門関」の著者である無門慧開禅師(1183~1260)が悟りを開いた(迷いが晴れた。人生がわかった。)ときの偈(え:Poem)。


だれでも、坐禅をしなくても毎日の生活の中で、小さな気づき、小さな悟りはあるもの。禅の悟りと言うのは、徹底したところ、徹底したモノ。


禅師は、昼食の時間を知らせる大きな太鼓の音を聴いて痛快に悟りを開いたという。徹底的に悟ったという。小さな気づきではなく、徹底的に悟った、そのときに、書いた詩。

 

青天白日一声の雷
大地の群生(ぐんじょう)眼(まなこ)豁開(かっかい)す
万象森羅斉(ひと)しく稽首(けいしゅ)す
須弥(しゅみ)誖(ぼっ)跳(ちょう)して三台に舞う

 

意味:

雲一つない晴れやかな境界(空)に、一つの大きな稲妻が閃いた 

ド・ドオーン!
この音で、宇宙に生きる一切のものの目が覚めた 
宇宙の森羅万象が、風を受けた草のようにスーとなびいて、拝(はい)をした
 神仙が、宇宙の舞台にして踊り出した
小さな自己宇宙的人格となって踊りあがった

 

この詩は、海外でも伝えられている。
 
Blue sky, broad daylight, and a peal of thunder!
All beings on earth has opened their eyes,
Everything under the sun has bowed at once,
Mount Sumer jumps up and dances.

 

今日のお話は、この意味を深く話されたのではなく、この詩を一緒に声を出して読んでみよう、ということだった。声を出して読んでみると、リズムの良いことがわかる。

なんだろうな?

 

お腹が空いてお昼を待っていたら、お昼を告げる音がなった。

それが、青空に突然光る、雷みたいだった。

そしたら、生きているものがみ~~~んな、おじぎした。

 

空腹がさとりを導いた??

満腹すぎると、脳の回転が遅れて眠くなるのが動物なら、空腹で頭が冴えるって、適度な空腹ならあるかもしれない??

と、そんなことは今日のお話にはなかったけど、ふと思った。

腹八分目が健康なわけ。

 

須弥とは、「須弥山 (しゅみせん) 」の略で、Goo辞書によれば、

「《(梵)Sumeruの音写。妙高山 (みょうこうせん) と訳す》古代インドの世界観が仏教に取り入れられたもので、世界の中心にそびえるという高山。この山を中心に七重に山が取り巻き、山と山との間に七つの海があり、いちばん外側の海を鉄囲山 (てっちせん) が囲む。この外海の四方に四大州が広がり、その南の州に人間が住むとする。頂上は帝釈天 (たいしゃくてん) の地で、四天王や諸天が階層を異にして住み、日月が周囲を回転するという。」

 

英語のMount Sumerが、わからなかったのだけれど、須弥をMount Sumerといっているようだ。神様を含めて、ってことかな。

 

小さな自己が宇宙的人格となって踊りあがった

という、解釈。

 

こういう詩は、あれこれ考えず、その音感を楽しもう。

声に出してみるって、大切。

素読だね。

 

般若心経だって、音だ。

ぎゃてーぎゃーてーはらそーぎゃーてー。

ぼじそわか。

意味はよくわからないけど、、、わからなくても音ではいってくる。

 

今日の話は、よくわからなかった。(いつもだけど)

でも、音がいい。

せいてんはくじつ いっせいのらい

 

なんか、晴れ渡りそうではないか。

梅雨空の土曜日だけど、気持ちは青空で行こう。

そんな気分。

 

よくわからないときは、よくわからなくてもいいこともある。

ただ、音で覚えておこう。

どこかで、出合うと、あぁ、これだって思える日がくるかもしれない。

 

須弥山。

新しい言葉を一つ覚えた。

それでいい。