『美しき愚かものたちのタブロー』 by  原田マハ

美しき愚かものたちのタブロー
原田マハ
文藝春秋
2019年5月30日 第1刷発行

 

原田マハさんの美術史関連シリーズ、再び。今回の主役は、松方コレクションの立役者、松方幸次郎と共に日本へ西洋美術館を建てるために動き回った美術史家。現在の、国立西洋美術館は1959(昭和34)年、フランス政府から日本へ寄贈返還された「松方コレクション」を保存・公開するために設立されたもの。
その史実に基づいて、戦後、1951(昭和26)年、サンフランシスコ平和条約によってフランスの国有財産となってしまった松方コレクションを日本へ寄贈返還させるために美術史家が奔走する物語。

 

Amazonの紹介を引用すると、

”日本に美術館を創りたい。
ただ、その夢ひとつのために生涯を懸けた不世出の実業家・松方幸次郎。
戦時下のフランスで絵画コレクションを守り抜いた孤独な飛行機乗り・日置釭三郎。
そして、敗戦国・日本にアートとプライドを取り戻した男たち――。
奇跡が積み重なった、国立西洋美術館の誕生秘話
原田マハにしか書けない日本と西洋アートの巡りあいの物語!

日本人のほとんどが本物の西洋絵画を見たことのない時代に、ロンドンとパリで絵画を買い集めた松方は、実はそもそもは「審美眼」を持ち合わせない男だった。
絵画収集の道先案内人となった美術史家の卵・田代との出会い、クロード・モネとの親交、何よりゴッホルノアールといった近代美術の傑作の数々によって美に目覚めていく松方だが、戦争へと突き進む日本国内では経済が悪化、破産の憂き目に晒される。道半ばで帰国した松方に代わって、戦火が迫るフランスに単身残り、絵画の疎開を果たしたのは謎多き元軍人の日置だったが、日本の敗戦とともにコレクションはフランス政府に接収されてしまう。だが、講和に向けて多忙を極める首相・吉田茂の元に、コレクション返還の可能性につながる一報が入り――。

世界でも有数の「美術館好き」と言われる日本人の、アートへの探究心の礎を築いた男たち。美しい理想と不屈の信念で、無謀とも思える絵画の帰還を実現させた「愚かものたち」の冒険が胸に迫る。”

と。

 

感想。
面白かった。ちょっと、しんみり。

国立西洋美術館に出かける前に読むと、アイテムのありがたみが倍増するかも?!

松方さん、そして、収集した美術品を日本に持ち帰ることを実現させた人々、みんなに感謝しないとね、と思う。
今、私たちが日本国内で様々な西洋美術の本物を見ることができるのも、松方コレクションのような活動があったからだったのだ。
ありがたいことだなぁ、と、つくづく思う。

松方コレクションは、名前はしっていたけれど、そんなに詳しく調べたことは無かったし、国立西洋美術館だって、昔のお金持ちが集めた作品がきっかけだった、くらいにしか認識していなかった。

タブローって、何のことだかわからかった。絵画のことだった。

美術語用語辞典によると、


Tableau(仏)

木板、もしくは枠に張った布(キャンヴァス)に描かれた絵のこと。 壁画に対するイーゼルを指すフランス語。 語源はラテン語の「タブラ(tabula)」で、「木板」「書板」「文書」などを意味する。 特定の建築や礼拝的機能と結びつく壁画と異なり、場や目的に規定されない持ち運び可能なものをタブローと呼ぶ。

 

と。


登場人物の田代(美術史家)や日置(元川崎造船所の社員で戦時中もフランスでコレクションを守った)は、フィクションなんだろうとおもうのだが、松方コレクションの調査・研究に基づいたお話。戦前、戦中、戦後、国と国との関係もどんどん変わり、世界大恐慌もあり、松方の本来の造船業務の不振が重なったり。そんな環境の中でも、日本の若者たちへ本当の西洋美術を見せるためにと企画した「共楽美術館」のために頑張る人々。実際には、美術品を買いまくった松方は、美術館の完成をみることなく亡くなってしまう。田代が吉田茂の命でパリに飛んだ時には、松方が買い集めたタブローはフランス国のものとなっていて、フランス側は、返還ではなく寄贈なんだと言いはる。言葉のアヤだが、「寄贈返還」ということで、日本とフランスの交渉がすすむ。

 

以下、ちょっとネタバレあり。といっても、史実に基づいているので、ネタバレも何もあったモノではないのだが、、、。

 

お話は、時代ごとに場面が分かれている。
最初は、田代が吉田茂に、松方コレクションをフランスから取り返せ、と言われる場面。
それから、松方がどのようにコレクションを買い付けていったのか、そこに若かりし頃の田代は、どのように協力したのか。
戦争の混乱の中もコレクションをフランスで守り続けた日置の様子。日置のフランスでの結婚とコレクション維持の苦労話。戦争で日本からの送金も途絶え、極貧の暮らしの中で、フランス人の妻は病気で亡くなってしまう。それでも絵を守り続けた日置の苦労話。

絵画は、火事があればあっという間にただの灰になってしまう。
戦時中、それを守り続けるのは、本当に大変だったのだろう。
そして、いざ、日本へ移送しようとしたら、100%の関税といわれて、輸入をあきらめざるを得なかった経緯。

パリでの新作買い付けの日々では、ゴッホ、モネ、マティス、といった印象派の人々の作品との出会い。松方自身は、美術がわかるわけではなかったので、そこで指南役になっていたのが田代。

お話の結末は、ちゃんと松方コレクションで西洋美術館が出来たことがわかっているので、ある意味、安心しながら?読むことができる。 

原田さんならではの一冊だなぁと思う。

最後についている、参考文献と協力機関のリストも圧巻。

実際に、本当に多くの人、日本人だけではなくフランス人も含めて、たくさんの人が協力して実現した国立西洋美術館であり、本書であるのだ。

人が協力しあうと、不可能に見えたことも可能になる。

そういう勇気をもらえる一冊でもある。

 

平和って、大事。

2022年6月、ちょうど長かったリニューアル工事もおもったので、近いうちに国立西洋美術館にもいってこよう。

 

それにしても、パリのホテルや美術館での交渉の描写。

セーヌ川も、凱旋門も、あの時代から変わらずパリなんだ、、、と思いをはせてしまう。

あぁぁぁ、パリに行きたい!!

 

ということで、今月は、所用でパリに行ってきます。

美術館に行く時間はあまりないかもしれないけれど、、、。

せめて、モネの睡蓮にはあってこようと思う。

 

『美しき愚かものたちのタブロー』