『対決!日本史 戦国から鎖国編』 by 安部龍太郎、佐藤優

対決!日本史 戦国から鎖国
安部龍太郎佐藤優
株式会社潮出版社(USHIO)
 2020年6月20日初版発行

図書館をうろうろしてるときにみつけた本。『対決!日本史2 幕末から維新編』っと一緒に、借りてみた。

 

表表紙には、
”「史観」を磨け!
「教養」を身につけろ!
歴史に光あり。
信長、秀吉、家康から日本の未来像を示す”とある。

二人の対談になっていて。読みやすい。

 

安部竜太郎さんは、1955年福岡県生まれ。久留米工業高等専門学校機械工学科卒業。東京都大田区役所勤務、図書館司書として働きながら小説を執筆。1990年『血の日本史』で作家デビュー。機械に詳しい、歴史小説家、ということ。

佐藤さんは、1960年生まれ。元外務省国際情報局主任分析官。現在は、同志社大学神学部客員教授も務める。安部さんよりも年下だけれども、安部さんにしてみると、あの「知の巨人」との対談、ということで本対談の申し出に躊躇もあったとのことだけれど、面白そうだ!と言う気持ちが上回って、この対談が実現。 

本書でカバーしているのは、歴史の中でも戦国時代から徳川幕府の時代。歴史小説としてはもっとも華やかな?時代でもあるし、私にとっては、史実はよくわからないまま、イメージ先行の時代ともいえる。大河ドラマとか、水戸黄門などのTV時代劇とか。
私が日本史を学校で習ったのは昭和の時代で、今の教科書とは史実そのものの書かれ方も違っていたと思う。それもあって、認識を新たにする視点がいくつか。


佐藤さんが対談に加わっていることで、キリスト教の布教あるいは弾圧が日本の歴史にどのような影響を与えたのか、という視点があるところが面白い。

年号と出来事を覚えるだけの歴史ではなく、ストーリーとしての歴史。佐藤さんの宗教からの視点、安部さんの機会・技術からの視点、その組み合わせが面白い。

 

目次
第1章 乱世を生き延びるための時間
第2章 歴史から読み解く日韓関係
第3章 大航海時代重商主義の時代
第4章 天下統一への野望
第5章 織田信長「時代に呼ばれていた男」
第6章 豊臣秀吉の光と影
第7章 「バスク・トクガワーナ』の完成
第8章 現代に生きる徳川家康


最初は、お二人の歴史観について。それそれの若かりし頃の経験から、歴史に対するまなざしが語られる。
 秀吉の朝鮮出兵は失敗に終わった、ということが教科書に書かれていたが、負け戦で闘った武士に褒美が出せなかったからとならった気がするが、そんな単純なことではなかった。安部さんが韓国の取材で知ったのは、朝鮮人大虐殺と「耳塚」の事実だったという。耳塚とは、秀吉軍が殺した朝鮮人の耳や鼻をそいで秀吉のところへ持って帰り、耳や鼻が埋められたところ。京都市東山区に今でも残っている。それが耳塚。ひぇぇぇ~~~!!秀吉の朝鮮出兵は、否定的な歴史文献が多いけれど、そんなひどいことしたのか、、、と、、、、。

 

今の教科書にはどう書かれているのかはしらないけれど、日本人がやってきた残虐行為は、私の時代の教科書には書かれていなかった。そういう、時代だったんだな、と、改めて自分の歴史への理解の浅さを残念に思う。歴史解釈をするための授業と言うより、ただ、出来事を並べただけのような、、、。

 

歴史に限らず、世の中は表面的にみているだけでは、理解できない。。。深く知ると、そこまで知らなくてもよかった、という世界があるのも現実だけど。あらゆることは繋がっていて、複雑系なのだよな、と改めて思う。

 

佐藤さんは、日本の歴史の授業が、日本史と世界史に分かれていることからしておかしい、という。たしかに、、、、。学校のカリキュラムに疑問を感じたことがあまりなかったけれど、自国の歴史を世界と切り離して学ぶのは、自国に対する偏った理解になり勝ちかもしれない。教育こそが人を作り、国をつくる。。。知らず知らずに、国の思惑通りの自国への理解が刷り込まれていくのかもしれない、と思うと、本当に教育って、すごいパワーだ。

 

第2章は日韓関係についてだけれど、映画「沈黙」についてさまざまな視点で佐藤さんが語る。朝鮮半島と九州の関係、帝国主義植民地主義キリスト教の布教。。。

本書の中で佐藤さんが繰り返し述べているのが、日本がキリスト教を禁教としていなければ、西欧の植民地になっていたかもしれない、と言う話。フィリピンのようになっていたかもしれない、、と。

信長がある時点からイエズス会と袂を分かった理由も、イエズス会の目的がアジアの植民地化をすすめるのに日本も視野に入っていたことを見破ったから、という安部さんの見解が語られている。

佐藤さん曰く、『踏み絵』だって、踏んだって構わないのだ、と。プロテスタントの佐藤さんにそうあっさり言われると、あれ??そうなの???と、拍子抜けしなくもない。カトリックへの共感を示すのかと思いきや、、。
佐藤さん曰く、踏み絵を踏むことが自分の信仰に関わる、と考えること自体、日本で弾圧を受けていたカトリック教会の信者が、偶像崇拝にとらわれていた証だ、と。たしかに、プロテスタントは、偶像崇拝はしない。映画『沈黙』のなかで、ころんだ(改宗した)人間が悪のように描かれているが、本当の信仰とは、踏み絵をしようがしなかろうが、関係ない、ということなのだろう。

たしかに、、、。
命をかけて踏まないって、、、、殉教って、、、なんなんだろうか???


遠藤周作の『沈黙』は、映画化する監督によっては、かなり原作の主旨とはことなった主張になっているらしい。お二人は、マーティン・スコセッシ監督の作品には、主旨としてカトリックの植民地政策を正当化するかのような問題がある、という認識で合意している。2017年の作品で、宗教心がどっちつかずのどうしようもない男、「きちじろう」を窪塚洋介が演じている。私も見た記憶があるのだが、私には、そのような問題点はよくわからなかった。

本も映画も、どれだけ背景を理解しているかで、まったく違うものになっちゃうんだなぁ、と思う。

キリスト教に関しては、他にも天正少年使節ローマ教皇に謁見した深い意味、とかが興味深い。天正少年使節団は、実際に九州のキリシタン大名が少年をヨーロッパに送り、ローマ教皇が謁見に応じた。カトリック教会は、日本にも自分たちの教えを持っていける手ごたえをもち、日本統治を企んでいた、と。。。

 

原田マハさんの『風神雷神』では、そんな思惑はかけらも出てこないし、同じ天正少年使節についてであっても、ずいぶんと違う印象となるなぁ、と思う。もちろん、こっちはフィクションだけど。

megureca.hatenablog.com


そして、カトリック教会は、プロテスタンティズムの布教はしませんよ、と言う形で日本に入り込んでいった、と。

正直、カトリックプロテスタントの違いだって、私はよくわかっていなかった。信長の時代から、入り込んでいたキリスト教と言うのはカトリックであり、カトリック教会の布教組織は、十字軍と言う軍隊組織、、、。そんなつながりも理解していなかった。

 

第7章では、「パス久・トクガワーナ」について。たしかに、265年続いた平和な時代、よく考えればすごいことだ。それを明治維新でぐちゃぐちゃにしてしまった、、、ともいえる。明治維新については、次の『対決!日本史2』に詳しい。

 

信長、秀吉は、「中央集権体制」と「重商主義体制」を目指し、家康は、「中央集権から地方分権」「重商主義から農本主義」という大戦転換をなしとげた。そして、平和の時代に。。。。

 

体制が変わっていった、日本の歴史の大きな変換点であり、関ケ原の戦いはその国家戦略の選択の場だったのだ、と。

たんなる、権力闘争ではなかったのだ。

 

視点を変えてみると、いかにも今の時代にも起こり得そうなイデオロギーの闘い。そうか、そうだったのか、、、という感じが面白い。

 

歴史は覚えるもの、、、という認識を改める一冊。たまたま見つけた本だったけど、結構あたりだった。

 

読書は、楽しい。

 

『対決!日本史 戦国から鎖国編』