禅の言葉:衆水海に入りて一味なるが如し

衆水海に入りて一味なるが如し

 

フランスに遊びに行っていて、2週間ほどさぼっていた朝のZoom坐禅会に参加した。

今日のお話は、禅が世界に広がっているという話。以前にも同じ言葉を紹介いただいている。

 

megureca.hatenablog.com

 

日本の禅は、縄文時代から神道的な日本の霊性というものと仏教のエッセンスが習合してできてきたもの。
いまでは、そうして日本で続いてきた禅が、日本から各国に広がっている。

世界で受け入れられている考え方の一つが、今日の言葉。

 

衆水(しゅうすい)海に入りて一味なるが如し


親鸞の『教行信証』にある「正信偈(しょうしんげ)」という詩の一部で、全体は、


凡聖(ぼんしょう)、逆謗(ぎゃくほう)、ひとしく回入(えにゅう)すれば、衆水(しゅうすい)、海に入りて一味なるがごとし。  

 

凡聖:凡人、聖人
逆謗:悪人、極悪人、
どんな人でも、坐禅の呼吸で正常な状態に心をもっていくと、同じように静かな心になる。

海に流れる水には、それぞれ水源の違いがある。出発点や経過がどうであれ、海に入ってしまえば全て同じ水になるのと同じこと。


呼吸を整えることで、心が整う。
誰の心でも、整う。    


その思いが、日本から各国に広がり、世界各地で坐禅が行われている。
スティーブ・ジョブズが、通っていたことでも有名なロサンゼルス禅センターにも同じ言葉が飾ってある。
The Ocean does not refuse any kind of water.

 

同様に、在家禅の活動は、オランダ・クローニンゲン禅リバー、ポーランド等でも行われていて、時には、オンラインで一緒にやったりもするそうだ。

 

禅は、もともとはインドで釈迦から達磨さんへ伝わり、達磨さんから中国へ伝わり、日本へ伝わった。日本では、神道や仏教とうまく習合し、日本禅となり、いま各地にひろがっている禅の多くは、日本禅がもとになっているという。
日本禅の特徴は、お寺だけでなく、明治・大正時代になると在家禅として広がっていったということ。
良いものは、世界に広がる。

 

物もサービスも思想も、良いものは世界に広がる。

そういうものかもしれない。

 

思いがけず、「親鸞」によく出あう今日この頃。

『対決!日本史2』の中では、イエス・キリストを知っていたのかもしれない親鸞

megureca.hatenablog.com

 

親鸞と言えば、鎌倉時代浄土真宗南無阿弥陀仏。念仏を唱えればよいという親鸞の教えは、興福寺(藤原家)や延暦寺(天台宗)からの反発によって朝廷から弾圧をうけ、親鸞は、35歳の時に越後(新潟県)へ流罪になっている。それより前、親鸞恵信尼公と結婚もしている。流罪は5年で解放され、その後、1262年11月28日、親鸞は90年の生涯を終えたと言われている。当時の90歳、すごい長寿。聖徳太子の生まれ変わりじゃないかともいわれている親鸞

親鸞って、深堀してみると面白いかもしれない、、、、なんて思ってしまった。

 

そんな、親鸞の言葉を禅の教えと習合させ、仏教とは違う形で残していくのは、日本ならではの習合の力なのか。

 

良いものは良い。

誰の教えとか、何教の教えとか、細かいことはいいじゃないか。

良いものは良い、として習合していく力こそ、日本の底力かもしれない。

 

衆水海に入りて一味なるが如し

 

流れ込む前に、呼吸を整えて、心を整えよう。

 

そして、良いものは良いものとして、自分の生活に取り入れよう。