読んでいない本について堂々と語る方法
ピエール・バイヤール
大浦康介 訳
筑摩書房
2008年11月25日 初版第1刷発行
千葉雅也さんの『現代思想入門』に出ていて、面白そうだったので図書館で予約していた。意外と順番を待った気がする。
感想。
面白い!
あぁ、そうだそうだ、そうなんだ。。。。
本というのは、読めばいいというものではない。
たいていの本は、読んだところで忘れてしまうし、読みながらも文字だけが流れて頭に入っていないこともしばしばある。
千葉さんの本で出てきた文脈では、すべてのことが理解できていなくても、読み進めたほうがいい、というような話だったか??忘れてしまった。
Amazonの紹介文では、
”本は読んでなくてもコメントできる! フランス論壇の鬼才が心構えからテクニックまで、徹底伝授した世界的ベストセラー。現代必携の一冊!”
とある。
私にとっては、どうコメントするかということはわりとどうでもよくて、本を読むという行為について、あぁ、そうだった、と気づかされた一冊だった。
読んでいない本について語る必要があるという人は、限られた職種の人だろう。語る必要はなくとも、あぁ、こうすればいいのか、あぁ、あのひとはこうしていたのか、、、と言う気付きの本、ともいえる。
著者のピエール・バイヤールは、パリ第八大学教授、精神分析家。他にもたくさんの著書があるが、本書は2007年にフランスで刊行されてすぐに大反響を呼んだという。本書巻末の訳者あとがきによると、2008年の時点で15か国語に翻訳されていると。
世の中には、そんなに読んだことのない本について語らねばならない人がいるのか?!?!
本の内容は、目次をみれば一目瞭然。
目次
Ⅰ 未読の諸段階(「読んでいない」にも色々あって…)
1 ぜんぜん読んだことのない本
2 ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本
3 人から聞いたことがある本
4 読んだことはあるが忘れてしまった本
Ⅱ どんな状況でコメントするのか
1 大勢の人の前で
2 教師の面前で
3 作家を前にして
4 愛する人の前で
Ⅲ 心がまえ
1 気後れしない
2 自分の考えを押しつける
3 本をでっち上げる
4 自分自身について語る
いくつかの小説を取り上げて、その小説にでてくる「本を読まずに語る」人物が特に困ることもなく人生を全うしている?ところからも、本は読まずとも語れるのだ、と言っている。
ピエール自身が、大学の授業で生徒を前に読んだことのない本について語らねばならないことがあるが、それをこの本に書いてあるように実践しているのだ、という。
自虐と言うのか、ユーモアと言うのか。。
面白い。
内容に触れずとも、もっともらしい話はできる、、、、と。
最初に、ムージルの『特性のない男』という小説に出てくる、本を一切読まない図書館司書の話が出てくる。
図書館の蔵書全体を把握するには、それぞれを読んではだめなのだと。全体の見晴らしをもっておくことが司書の仕事なので、どれか数冊にだけ詳しくなったり、肩入れしたりするわけにはいかない。だから、意思をもって本を読まない、と言う司書。
面白い。
でも、ちょっとわかる。
そして、本書の中でくり返しかたられているのが、
「読書に没頭しすぎると、自分の個人的創造力が損なわれる」ということ。
だから、作家を職業とする人の中には、本を読まない人が意外と多い、、、と。
読書に没頭しすぎると、「書物内容のディテールに迷い込んで、自分を失う」ことがある、と。
「読書至上主義は、自己表現の自由や創造の自由の抑圧につながることがある」と。
面白い。
たしかに、そうそう。
そう、言えている。
そして、読んでいない本について語るときにこそ、自分の創造力が発揮され、あらたな解釈すら生まれえる、と。
まさに、創造主体の誕生。
「他人の言葉の重圧から解放され、自己のうちに独自のテクストを創出する力を見出す。そうすることで、人は、作家になれるのだ、」と。
本書の中に、『ハムレット』『第三の男』『吾輩は猫である』など、だれもがタイトルは知っているであろう話がでてくる。
さぁ、読んだことありますか???
読んだことがなくても、語れる気がしませんか???
なーんて。
実際、私は自分で読んだことがあるのかないのか、、、曖昧だ。
「吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生まれたかとんと検討がつかぬ、、、」
などと、サラサラと口述できるけれど、さて、肝心な内容は?といわれれば、書生のものがたり???
でも、
「『吾輩は猫』ね、夏目漱石の小説の中でも、結構面白いよね」なんて堂々と言おうものなら、誰もわたしが読んだことがないとは思わないだろう。。。決して内容について語らずとも。。。。
『ハムレット』、「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ、、」のセリフは知っていても、さぁ、肝心なストーリーは???オフィーリアって水におちて死んじゃうよね。でも、オフィーリアってだれだっけ??
『第三の男』、なんだかかっこいい男の話、、、と言ういい加減な覚え方。
どれも、読んだことはあっても忘れている。それでも語れる。。。
読書って、そこに書いてあることをただ頭に流し込むのではなく、どんな人が書いたのか、どんな流れの中で生まれたのか、、、周辺事情を理解しておくと、面白さが倍増する。
私は、時々、図書館で予約した本の順番が回ってきたとき、なぜ予約したのか忘れていることがある。読みながら思い出すこともあるし、まったく思い出せないまま、他の何とも関連付けられないままに終わる本もある。
本って、関係性が大事だよな、と思う。
実は、読んでもなぜ借りたのかを思い出せないような本は、その本自体が面白くなければ読まなくてよい本の気がしてきた。自分で関連性をみいだせないと、点と点のつながり、線を作ることができない。活用できない情報は、情報じゃない。。。。
サラリーマンをやめて、この2年、一日1冊くらいのペースで本を読んできた。手あたり次第と言っていいくらい。中には面白いものもあったし、あぁ、これは嫌いな本、と思う本もあったし、、、
まぁ、とりあえず、色々読んでみてわかったことが一つ。
「食ってみて嫌いなら、捨てる勇気をもつべし」、ということ。
つまらない本で時間がつぶれることほど、つまらないことは無い。
でも、食わず嫌いは、もったいない。
なので、まぁ、手にはしてみよう。
最初のころは読んだ本の相関図をマインドマップのように書いていたのだが、あまりに触手が広がりすぎて、収拾がつかなくなって、書かなくなってしまった。
今一度、マインドマップで頭の中を整理してみようかな、と言う気になる。
全体の見通しをもって読書日記を管理する、っていうのも大事だな、って思う。
ピエールによると、読んでいない本にもいろいろあるが、読んだ本にもいろいろあるという。
◎:とても良いと思った
〇:良いと思った
×:ダメだと思った
××:ぜんぜんダメだと思った
そうそう、そうなんだよね。
色々あって、だから楽しいんだけどね。
世の中、多くの読書法と銘打った本があるけれど、読まなくていい、というススメは珍しい。だから、面白いのだろう。
さても、本書についても、読まずして語れるか?
目次をみただけで、語れそうだね。
面白い。
やっぱり、読書は面白い。