『アダム・スミス共感の経済学』 by  ジェシー・ノーマン

アダム・スミス共感の経済学
ジェシー・ノーマン
村井章子訳
早川書房
2022年2月20日 初版印刷
原書:What he thought, and why it matters(2018)

 

日経新聞の書評欄に出ていて面白そうだったので図書館で借りてみた。新聞に出ていたのは2022年5月18日、読書欄の「この一冊」。慶応大学教授、藤田康範さんの書評だった。タイトルは「歪曲された偉人 全貌に迫る」。

 

先日、とある勉強会で、松元崇さんが「アダム・スミスの見えざる手の本当の意味は誤解されている」と言ったことをいわれて、アダム・スミスがちょっと気になっていた。そのタイミングで、書評でみつけたものだから、読んでみようと思った。

 

著者のジェシー・ノーマンは、1962年生まれ。イギリス保守党の国会議員で2019年に財務担当補佐官を務める。オックスフォード大学で古典を学びユニバーシティ・カレッジ・ロンドン( UCL) で哲学の博士号と博士号を取得。政界に入る前は共産主義の東欧教育プロジェクトを運営し、バークレイズ銀行で管理職を務めた。

 

訳者の村井さんは、カーネマンの『ファスト&スロー』や『NOISE』の翻訳もされている。読みやすい訳の方だと思う。

 

表紙の裏の紹介文には、

”神話を葬り、スミスの「人間の科学」に迫る決定版評伝! 《フィナンシャル・タイムズ》紙 2018年ベスト・ブック

「利己主義の擁護者」?「金持ち贔屓」?「自由放任の信奉者であり政府や国家の介入にはすべて反対」??
――「近代経済学の父」として知られ、引用回数でも他を圧倒するなど、世界で最も偉大な経済学者として知られるアダム・スミス。にもかかわらず、「スミスの人柄も思想も、あまりにも理解されていない」のが現状だと著者はいう。
本書は、イギリスの現役国会議員であり財務担当補佐官を務めた経歴を持つジェシー・ノーマンによるアダム・スミスの本格的評伝であり思想解説書である。スミスの思想の成り立ちをその生涯からひもとくとともに、「市場原理主義者」「不平等と利己主義の擁護者」といった〝神話〟をそぎ落とし、経済学はもちろん政治学倫理学社会学、心理学にまで広がる思想的影響を俯瞰。スミスを理解するキーワードの一つである「共感」に代表される、その「人間の科学」への洞察を足がかりに、格差拡大やグローバル化など様々な課題に直面する現代へのヒントを提示する。”

とある。

最後には、堀内勉さん(『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』著者)の解説もついている。

 

感想。
面白かった。星4つ。良書。
これは、私にとっては、アダム・スミスを知るという面白さと、彼の生きていた時代の歴史を復習するという面白さ、そして、現代社会を考える、という3つの面白さがある。

古典的経済学の復習にもなるし、現代の資本主義・グローバリゼーション・ナショナリズム保守主義等々の問題を自分の頭で考える材料としてのインプットにもなる。結構、良い本だと思う。大変、示唆に富む。押しつけがましくない。批判的すぎない。
読んでいて、嫌な気持ちにならない。好きなタイプの本だ。

 

読みながら、アダム・スミスが生きていたら、話をしてみたかったな、と思った。
彼は、経済学者じゃないのだ。哲学者なのだ。人間科学者であり、道徳の先生のようなひとだったのだ。まさに、私にとっては、目からうろこ、、、、だった。

 

目次
序章
第一部 生涯
第一章 カーコディの少年  1723~1746
第二章 人生でもっとも有益で幸福で誇らしい時期 1746~1759
第三章 実り多き幕間 1760~1773
第四章 あなたはただ一人でこの分野に君臨することになるでしょう 1773~1776
第五章 最後まで働き続けて 1776~1790

第二部 思想
第六章 評判、事実、神話
第七章 アダム・スミスの経済学
第八章 アダム・スミスと市場

第三部 影響
第九章 資本主義に対する不満
第十章 商業社会の道徳のあり方

終章 スミスの今日的意義

 

第一部は、アダム・スミスの生涯について。1723年に生まれて、1790年に67歳で亡くなっている。父親は生まれる前に亡くなってしまい、母マーガレットに女手一人で育てられた。身体が弱いけれど、思いやりのある賢い子だったらしい。故郷はスコットランド。ロンドンではなく、スコットランドのカーコディで生まれ育ち、グラスコーの大学に行っている。オックスフォード大学にも通っているのだが、その際にはスコットランドにくらべてオックスフォードがいかに怠慢であるか、、、を語っている。著者によれば、スミスの人生のおける道草のような時間だった、と。オックスフォードに通ったことによるスミスの最大の収穫は、美しいイギリス英語を身に着けたことだった。スコットランド訛りではなく、都会の美しい言葉。後に、大学の教授として活躍するにも、美しい英語はスミスの武器になっていたようだ。

 

そして、スミスは、もともと哲学者だった。修辞学を担当し、古典から現代の文学の講義を行った。デービッド・ヒュームとは生涯を通じて親しい友人であった。ヒュームとは、思想がすべて一致していたわけではないが、建設的対話のできる、数少ない友人だったようだ。教え子にも恵まれている。というか、スミス自身の人柄が、良い人を惹きつけたのだろうという気がする。

スミスは、生涯結婚もしていないし、子供も作らなかった。自身の書いた論文や手紙などは、自分が死ぬ前に燃やすように指示し、あまり資料は残っていないそうだ。著書として残っているのは、道徳感情論』『国富論の二つだけ。とはいえ、どちらの本も生涯をかけて何度も改訂版を出している。とことん、自分の思想と向き合った哲学者だったのだ。

 

第二部、第三部で、スミスの思想が後の人にどのように解釈されていったか、スミスの思想は、今の時代にどう生かすことができるのか、ということが語られている。スミスは、人々が認識しているようなつもりで「見えざる手」とは言っていない。「見えざる手」と著書の中で言及したのは3つしかないし、それぞれ文脈も意味も異なる。後の人々が自分に都合よくスミスの言葉を解釈して使いまわしているに過ぎないのだと。。。

 

ほほぉぉ。。。
そうだったのか。

松元さんが言っていたのも、そういうことだった。

 

アダム・スミスは、1723年生まれであり、彼が道徳感情論』『国富論を書いたのは、世の中に「資本主義」という言葉が生まれるよりずっと前だった。
スミスが、一時だけフランスに滞在していた時期があるのだが、それはフランスがフランス革命に突入する少し前のことであり、かつ1761年の「カラス事件」(プロテスタントの父親による息子殺害冤罪事件)の直後のこと。それこそ、魔女狩りに近いようなことが行われていた時代だ。イギリスとしては、植民地であるアメリカが自分たちの権利を主張し始め、戦争になりそうな気配の時代。


そんな時代背景の中で、スミスが大事にしたのは、「文化の重要性」であり、社会は「人間同士のやり取り」「明文化されていない了解」で成り立っていく、と言う解釈だった。ルールにしなくても了解しあえる社会共感の社会、ということだ。そういう文脈で「見えざる手」と言ったときには、相互に思いやりをもって相手を考える共感に基づく、自然な変化であって、強者が弱者を食っていく、ということではない。。。
市場は、もちろん人々の儲けに対する計算によるところはあるが、同時に人間の感情が動かすもので、数学で割り切れるものではない、というのがスミスの考えだったようだ。

まさに、経済は人々の「期待」で動く、ってことだ。 

 

資本主義と言う言葉がない時代に、資本主義の弱点についてすでに語っているのがスミスだった。だから、経済学の父と言われるのだろう。でも、本当は経済学というより元祖・行動経済学、と言っていいかもしれない。

 

アダム・スミスのこと、全然知らなかった。

経済学をちゃんと学んだことのある人なら、きっと、なお楽しめる本なのだと思う。

 

本書の中にも、「レッセフェール」と言う言葉が出てきた。自由放任。これまでも経済学の本の中に出てきたのかもしれないけれど、私のアンテナに触れたのは先日の『グローバリズムと言う妄想』の中でだった。

 

megureca.hatenablog.com

 

他にも、経済学の基本用語もたくさん出てくる。日本語として、「かまびすしい」と言う言葉も出てきた。「かまびすしい」って、やかましい、とか言う意味だけど、あまり日常に使う言葉ではない気がする。村井さんならではの訳かな。原書は何と書いてあったのか、気にある。

 

他にも、まだまだ、覚書しておきたいことがあるのだが、長くなってしまったので、この辺で。。。機会があれば続きを残しておこうと思う。

 

本当に、面白い本だと思う。

経済や社会に興味があるのなら、お薦めの一冊。

 

読書は楽しい。

 

アダム・スミス共感の経済学』