禅の言葉:「両頭倶截断 一剣倚天寒」(りょうとうともにせつだんすれば、いっけんてんによってすさまじ)

今朝教えて頂いた禅の言葉


両頭倶截断 一剣倚天寒
(両頭ともにせつだんすれば 一剣天によってすさまじ)
 
 
楠木正成湊川足利尊氏の大軍を迎えようとしたとき、兵庫の禅院に来て、明極楚俊(みんきそしゅん:弘長2年(1262年) - 建武3年9月27日(1336年9月28日))、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、元から日本へ渡来した禅僧)和尚に尋ねた。

 

「生死交謝(せいしこうしゃ)の時(とき)如何(いかん)」
意味:人の生死の岐路に立った時はいかにしたらいいでしょうか

 

和尚が答えた。
両頭倶(とも)に截断すれば、一剣天に倚つて寒し(すさまじ)
意味:生死の二元論を断ち切れ。一本の剣だけを静かに天に向かって立たせよ

 

頭の中で考えるのではなく、全身全霊で、自らの直感で、もっとも正しいと思うことにつすき進め、と言う教え。

 

禅と日本文化』(鈴木大拙著)に記されているが、元々の出典は、圜悟克勤(えんご こくごん:1063年ー1135年、中国の宋代の禅僧)の語録である、『圜(えん)悟(ご)語(ご)録(ろく)』巻十八。


同じような言葉が、司馬遷史記』にもある。
断而敢行(だんじかんこう)、鬼神避之(きじんひし)」  
意味:断じて行えば 鬼神も之を避く


あれこれ考えないで、正しい直感に従うということ。
直感に従うには、直感を磨いておく必要がある。
直感を磨くのは難しいけれど、邪念を捨て去ることは出来るかもしれない。

坐禅は、そのための時間。
心の中のモヤモヤ、頭の中のおしゃべりを止める。
そのための時間。

 

今日の坐禅は、モヤモヤが駆け巡って、呼吸に集中できなかったくせに、あっという間に30分が終わってしまった。。。

 

人にとっての心の中のモヤモヤは、多くが人間関係に関する事ではないだろうか。自分を中心とした人間関係。自分が入っていけない人間関係。かってに被害妄想にはまってモヤモヤしたり。

今、日本人の心の中には、安倍元総理が銃殺されるという信じがたい事件のモヤモヤがはびこっているのだろう。ご家族、関係者の受けたショックは、私のような一般国民がうけるショックとは意味が違う。隣にいるはずのあなたが突然いなくなるショック。ともに歩んでいた人が、突然いなくなってしまうショック。言葉にできない。。。

 

特に、安倍さん支持者と言うわけではない私だって、動揺した。ウソだろ。そんなこと。あるわけないだろ。最初に速報が入ったとき、絶対、死んだりするもんか。。。そう思った。死んじゃいかん!!と思った。
でも、最悪の結果だった。

 

そんなことが、今の日本で起こるのか???
報道によれば、犯人は政治的信条による恨みがあったわけでもなく、勝手に一人で安倍さんに恨みの妄想をいだいていたようだ。

まさか、日本でこんなことが起こるのか?誰もがそう思っていると思う。警備が充分じゃなかったのではないかなんて、事件の後だから言えることだろう。言論の自由への挑戦だとか言っている人もいるが、おそらく犯人はそんな思いはない。単なる被害妄想による蛮行だ。

警備体制を見直すとか、政治家が自ら身を守る方法は、確かに強化すべきかもしれないけれど、今回の問題を警備の問題にしてはいけないと思う。

こんな蛮行にいたる人間を生み出さない社会をつくること。ゼロにはできないかもしれない。それでも、大事なのは、、、、ゆがんだ心を生み出さない社会なのではないだろうか。

 

人はそれぞれ心の中に鏡を持っている。
それは、時に曇ったり、歪んだりする。
それを、止めることはできない。
でも、自分の心の鏡は、曇ったり、歪んだりすることがあるのだと自覚することが大事なのだ。

これは、全生庵の平井住職の説法の中でも、特に私のこころに残っている言葉。

 

坐禅をしていても、無になれないときは、往々にして心の鏡が曇っているときだ。
でも、心の鏡には、手が届かない。

だから、呼吸で整えるしかない。

あれこれ考えず、呼吸に集中して、無になる。
そうすることでしか、直感も磨かれない。

つくづく、そんなことを思った、朝だった。

 

世の中は、毎日いろいろなことが起こっている。
それでも、自分にできるのは、まず、自分が自分とちゃんと向き合うことだ。

安倍さんの冥福をお祈りしながら、それでも私は今日も元気に生きていくのだ。

 

私には、私がやらなくてはいけないことがある。

私がやりたいことがある。

私ができることがある。

 

あれこれ考えずに、今は、やるべきことに集中しよう。

そうじゃないと、心がくだけそうだ。

悔しいのだ。こんなことが起きてしまったことが。

 

やりたいと思えることがあることに感謝し、上を向いて歩いていこう。