『危機の日本史 近代日本150年を読み解く』 by  佐藤優、富岡幸一郎

危機の日本史 近代日本150年を読み解く
佐藤優富岡幸一郎
講談社
2021年3月22日 第一刷発行

 

気になっていたのに、読んでいなかった本。図書館で見つけた。あれ?読んだっけ?と思ったけど、、、多分、読んでない、と思って、借りてみた。
多分、、、読んでいないと思う。読んでも忘れた本か?いや、多分、ほんとに読んでいない。

佐藤さんと富岡さんの『危機の正体』を読んで、この二人の対談は面白そうだな、と思って気になっていた本。

megureca.hatenablog.com

 

通常、図書館は10冊までしか予約できないので、多分、予約しようと思った時に冊数オーバーで予約できなくて、そのまま忘れていたのだと思う。

 

感想。
うん、なるほど。
考え方の整理になる。
218ページの本だけれど、情報量がすごい。
二人の頭の中を覗いているような感じ。
沢山の本が引用されているのだけれど、これらを全部読んで理解できていたら、もっと楽しく読めるのだろう‥と思う。

 

近代日本150年」を読み解くということで、明治時代からの今の日本について。ただ歴史をたどるのではなく、近代の日本に起きていた出来事が、今現在おきている社会の事柄を読み解くのに、どう解釈できるか、という感じの本。
近代史の復習になるし、今、現在を考える材料も提供してくれる。
多分、「今をどう生きるか」の材料にしてほしいと思って書かれた本なのだと思う。
ただの、歴史学習書ではない。

各時代の章末には、対談の中で言及された様々な書籍のリストもあるので、またまた読みたい本リストが増えてしまいそうだ。

 

目次
第1章 明治篇 近代国家形成のゆがみ
第2章 大正篇 モダニズムの光と闇
第3章 戦前篇 挫折した近代の超克
第4章 戦後篇 大量消費文化の終焉
第5章 現代篇 コロナがもたらす大転換

 

各時代ごとに、歴史の教科書に載っているような話がただ出てくるのではなく、実はその時代を背景とした「著書」が軸になっている。各章の最後に、○○を読み解く参考書、として著書のリストがある。

 

沢山の本がでてくるのだが、中でも私が気になるのが次にあげる本たち。
明治篇:『こころ』夏目漱石
大正篇:『或る女有島武郎、『貧乏物語』河上肇
戦前篇:『夜明け前』島崎藤村
戦後編:『邪宗門高橋和巳、『豊饒の海三島由紀夫
現代篇:『風の歌を聴け村上春樹、『ホモ・デウス』ユヴァル・ノア・ハラリ

 

確かに、小説と言うのはその時代背景の中で書かれているので、その時代の人々の生活、思想、世間の考え方などが垣間見える。

 

そして、本書の面白いのは、それぞれの物語の中にも宗教的な視点がある点が二人によって指摘されるところや、日本の家族制度に基づく人々の価値観への解説など。あぁ、そうか、そういう意味があるのか、と気づかされる。

まぁ、小説と言うのは好きに読めばいいわけで、お二人の解釈が私の理解と一致するとは限らないし、でも、やっぱり、自分以外の人のある本への見方を知れる、ということでもこの本は面白い。

出版された時には、すでにコロナの影響が世界中に広がり、閉塞感の中でこれまで見えていなかった色々な課題が浮き彫りになっているとき。生命そのものへの危機感、先行き不透明な仕事、、、、。

 

「危機」は、「リスク」でもあり、「クライシス」でもある。「リスク」は予測可能で対策が立てられるもの。一方で、「クライシス」は予見が難しく、対処を間違えれば命を落としたり国家の滅亡につながるようなこと。お二人とも、コロナ禍はリスク以上クライシス未満だという見立て。
だからこそ、まだ、対策の取りようはある。


近代150年の間にも起こってきた数々の大事件、キリスト教神学でいうところのカイロス」(時の転換点)を見返して、今を生きる私たちが直面している「カイロス」に重ね合わせて考えてみよう、という一冊。

そうか、時代をそう見るのか、、、と思わせてくれる。

そもそも、今の日本人は、天皇と年号が一致していると思っている。平成から令和への生前退位が例外、、と思っている。
でも、「カイロス」は年号が変わることではなく、実はその前後に起きている。
歴史を振り返るときに、年号で区切って考えると、流れを見誤ることがあるかもしれない。
昭和はこういう時代とか、平成はこういう時代、とか言えるわけではなく、敗戦、高度成長、バブル崩壊、震災、コロナ、と、、、カイロス」によって、歴史の節目がきているのだから、それを区切りとして物事を理解したほうがいい。そういうことかもしれない。

 

明治篇では、天皇と国体がキーワード。『こころ』のなかで先生は自殺してしまうわけだが、それは、天皇とか国体とか、そういう体制の歪みが生じていく中で、人々の心の中に蔓延していたなにかわからないけれど「寂しい」とか「孤独」とか、そういうものを描いているのではないか、と。
『こころ』の中で、明治天皇崩御がでてくる。そういう時代の話なのだ。

内村鑑三の不敬事件(1891年、教育勅語奉読式でクリスチャンである内村は出席したものの、最敬礼をしなかったとして教職を追われた事件)は、内村は別に敬礼しなかったわけではなくて、ペコっとちょっと頭を下げただけだったらしい。それを不敬だと大騒ぎする。そういう時代の不安定さがあったのだ、と。他のクリスチャンは、式に出なかったらしい。式に出ただけ、内村の方が素直であったのに、、、と。


大正篇では、大正は日本が外部の世界と現実的にクロスした時代であった、としている。大正のカイロスは、関東大震災。そしてその後の朝鮮人虐殺」関東大震災の前に、有島武郎は、情死している。その有島の作品、『或る女』が取り上げられている。
また、大正は、「韓国」に焦点が当てて語られる。現在直面している、日韓問題のもとは、戦時ではなく大正時代にさかのぼるのだ、と。

河上肇の『貧乏物語』では、大正の時代に誕生した成金とそれに対する貧乏の関係。大正5年に工場法が施行されて、製糸工場や紡績工場では多くの女性が働いていた。労働者を守る法律だったはずだけど、資本家がいいように使う。まるで、今の「女性活躍」と叫ぶ政治家みたいだ、、、と。実態がどうかはともかく、とにかく、法律だけはつくる、、、みたいな。それが始まったのが大正で、そして、成金が生まれた、と。ちょっと意地悪くわたしが解釈しているかもしれないけれど、そんな話。

或る女』は、美貌で才気がある葉子が離婚と結婚と、恋愛で男を振り回す。自由奔放に生きる新しい女を描いた作品。そしてそこに、内村鑑三をモデルにしたと思われる、キリスト者がでてくる。葉子が幼いころに、母に連れられてあった男だったが、その男は葉子の結婚を怒る。弟子が自分のフレームを外れることに対する嫉妬のようなものを描いたのではないか、と。葉子は、物語の最後、貧しい病院で病に伏せているのだが、そこでもそのキリスト者に会いたい思う。それがラストシーン。
会いたいのに会えないものへの希求、それは神の絶対性への希求ではないのか、と。 


戦前、戦後は、もちろん昭和の話。1926年から昭和年号になるのだが、時代の流れとしての昭和は、裕仁天皇が摂政を始めた1921年が始まりなのだろう、と。
この時代、言うまでもなくいちばんのカイロスは、敗戦。敗戦を20代で迎えた人には、本当に天と地がひっくり返る価値観の大転換。まるで神だった天皇が人になっちゃうし、敵国だった国に習え、となったのだ。それこそ、「近代の超克」という大きな課題が人々の目の前にあった。そして、それを小説という形で多くの人が作品につづった。あるいは、思想として文字にした。
資本論50年』宇野弘蔵、『生活の探求』島木健作、『無常といふこと』小林秀雄『夜明け前』島崎藤村、『英霊の聲』三島由紀夫、『邪宗門高橋和巳、『万延元年のフットボール大江健三郎、、、。
多くが、燃え尽き症候群のような、バーンアウトした人間が主人公の物語。

このころまで、小説と言うのは言論のための場だった。政治と文学、政治と思想の対立の時代があった。でも、村上春樹村上龍、そして田中康夫がでてきて、時代が変わった、というのがお二人の意見。
あぁ、、、そうか、何かわかる気がする。
重さが違うというのか、、、。

 

富岡さんは、
全体とディティールの結びつきは、すぐれた作家の大きな特徴です。大江健三郎の文体にはそれがある。
と言っている。
大江健三郎の場合、キリスト教的なものが全体の中にあるのだ、と。

昭和初期までの小説では、常に父権が際立つ。今では、核家族化が進み、女性活躍が謳われ、家族のありようも変わってきた。そんな変化があっても、全体が描かれている中に、デティールがあると、小説としての深みがあるのかもしれない

 

確かに、時代は変わったのだ。
全体、そのものも、かわったのだ。
ポツダム宣言を身近に経験した世代と、戦後世代、やはり、変わったのだ。
そして、その後の新左翼、大学紛争の時代を知っているかどうかの違い。
プラハの春」を同世代として経験した世代と、そうでない世代。

それでも、神という命題は、不変の全体かもしれない。 

 

サイエンスの発達も、人々の価値観に色々な影響を与えているだろう。人生100年時代が当たり前になってきたことも、大きい。働き方、生き方、常に変化していく。

 

コロナは、また、一つの大きな変化の波を加速させたのだろう。

 

時代の流れ、全体を俯瞰できるような、なかなか広く、深い、一冊だった。

こうしないさい、というマニュアル本ではない。

でも、頭の整理なる一冊。

 

社会にモンモンとしていることがあるときに読むと、すっきりするかもしれない。

結構、お薦め。

ただ、出てくる書籍について、ある程度の基礎知識がないと、理解しにくいパートもある。やっぱり、ここに出てくる古典は、ざっとでも読んでおくべきなのだろうな、と思った。

 

あぁ、読みたい本リストがまた増えた。

ま、それもまたうれしや。

 

読書は楽しい。

 

『危機の日本史 近代日本150年を読み解く』