『或る女』 by 有島武郎

或る女
有島武郎
新潮文庫
平成7年5月15日発行
平成30年3月5日16刷

 

先日読んだ、佐藤優さんと富岡幸一郎さんの『危機の日本史 近代日本150年を読み解く』の大正篇で取り上げられていた作品。

megureca.hatenablog.com

有島武郎って、多分読んだことないと思ったので、図書館で借りて読んでみた。

 

裏の紹介文には、
”美貌で才気溢れる早月葉子は、従軍記者として名をはせた詩人・木部と恋愛結婚するが、2ヶ月で離婚。その後、婚約者木村の待つアメリカへと渡る船の中で、事務長・倉知のたくましい魅力の虜となり、そのまま帰国してしまう。個性を抑圧する社会道徳に反抗し、不羈(ふき)奔放に生き通そうとして、むなしく破れた一人の女性の激情と運命を描きつくしたリアリズム文学の最高傑作の一つ”
と。 

 

元々は、1919年、大正8年に刊行された本。小説は1911年から1913年にかけて雑誌「白樺」に連載され、補筆の上1919年に刊行されたそうだ。
 物語の時間設定は、1901年(明治34年)9月初旬から翌年の8月。秋冬春夏の一年間に全てのことが起こるように設定されている。

新潮文庫で、解説を入れて740ページ。かなり分厚い一冊。主人公の早月葉子(さつきようこ)をめぐる、男の物語、とでもいおうか。読み応えたっぷり。結構、時間をかけてじっくり読んでしまった。もう、やめようやめよう、、、と思いながら、結局、一気読み。

 

感想
なるほど、そうなるか。。。女は悲しい生きものやね、、、。
明治の時代背景の話とは思えない。今の時代を早月葉子が生きていたら、もう少し生きやすかったか、、、と思わなくもないけれど、当時としては、2年間雑誌に連載されていたというのだから、話の展開に、読者はドキドキしながら次号を待っていたのだろうと思う。

佐藤さんらの本の中では、自由奔放に生きる先駆けのような女性像内村鑑三がモデルと言われているキリスト教者(内田)の存在感について、語られていた。
なるほど、確かに、キリスト教の思想がチラホラとみられる。葉子の母は、一時は、キリスト教夫人同盟の副会長をしていた。
葉子自身はキリスト教者として生きているわけではないのだけれど、婚約者はキリスト教の信仰によって、あくまでも葉子を信じて守ろうとする。内田は、親の反対を押し切って駆け落ちに近いような最初の結婚に走り2週間で破綻して実家に出戻った葉子に対して、2度と話し合う機会を持とうとしない。子供のころは、娘にしてもいいというくらい可愛がってくれていたのに。そこに、佐藤さんらは、父権や指導すべき立場にある者の支配欲のようなものを見出していた。

三者の解説をきいていから、小説を読むのも悪くないな、、、、なんて思いながら読んだ。だって、最後のシーンだって、分かっていて読んだにも拘わらず、愉しめたのだから。

しかし、女性の心情を、よくもここまでズバズバと男性の有島武郎がかけたものだなぁ、と思う。やっぱり、身近に葉子のような自由奔放の女性がいたのだろう、、と、思わずにはいられない。

葉子は、最初から最後まで、とんでもない女だ。私だったら、絶対友達になりたくないタイプ?!。男は誰でも自分に惚れると思っている。実際、それくらい、美しいので、ちょっと、羨ましく思う。女としてのジェラシーを感じるってやつか?
でも、いるよな、こういうタイプ、、、、とも思う。
ちょっと会っただけの男でも、男が葉子のことを美しいとおもって心奪われるのを分かっている。そして、それをもてあそぶ。ちやほやされることに、全力をかけるタイプ、、、、。

それでいて、自分の愛は真摯だと信じている。葉子は、物語の最初で、すでにバツイチの女として登場する。駆け落ち同然で結婚した相手は、一緒に住んでみたらだらしがないし、金もない、ただの夢見がちなぷー太郎と気づいて、とっとと実家に帰ってしまう。。。その元夫がどんどん落ちぶれていくのをみて、つくづく別れてよかった、自分は男を見る目があった、、と納得する葉子。
別れた男の不幸を望む女には、なりたくないもんだ、、、。

そして、葉子は、既に他界した両親が認めた相手である木村と言う男の待つアメリカに渡航する準備のために、木村の年下の学友である古藤という男と船の手配に横浜に赴いているシーンから始まる。


以下、ネタバレあり。

 

早月葉子(25歳)は、婚約者木村の元へいく準備のために古藤を伴っているにもかかわらず、古藤を誘惑する。古藤は、頑固者として描かれているので、物語の最後まで、葉子に対してはつねに厳しい姿勢ですごす。

葉子は、最初の夫、木部との間に一人娘を生んでいたが、実家に戻ってから産んだ子なので、木部には知らせず、私生児として乳母に育ててもらっていた。葉子が出戻ってから両親ともに他界してしまっていたので、葉子とその妹たち、愛子と貞世(13歳)は、叔母夫婦とくらしていた。しかし、葉子が出戻りであることもあって、親戚はみな葉子たちを良く思っていない。葉子は、愛子と貞世が親戚たちに辛くあたられることを予期していたので、古藤に妹たちの世話を託して、アメリカに立つ。

アメリカに向かう船(絵島丸)では、キリスト教夫人同盟の会長であった五十川女史に旅中の葉子の世話を頼まれたという、田川夫妻と一緒になる。田川夫人は、葉子をとんでもない女と思っているので、最初から居心地の悪い思いをさせられる葉子だった。
でも、そんなことではへこたれない。自分の見方をしてくれる男を見つけるのが得意な葉子。最初は、岡と言う若い乗客の男。そして、絵島丸の責任者である倉地三吉。

葉子は、船がアメリカにつく前に、倉地に惚れ込み、木村の元へ行くのは間違いだと思うようになる。そして、葉子は下腹部の痛みや異常なまでの肩こりに悩まされるようになっていた。そして、アメリカについたものの、停留している船から降りようともせず、船にやってきた婚約者・木村に、体調がすぐれないから日本に帰る、と言い張る。木村にしてみれば、待ち焦がれた新妻がやっとアメリカについたというのに。それでも木村は葉子の言葉を信じ、葉子の健康を祈って、そのまま日本へ帰す。

倉地は、絵島丸の所有会社、日本郵船会社のお偉いさんで、妻も子供もあった。それでも、日本に戻ると、葉子のために家を買い与え、毎日一緒に寝泊りするようになる。
そして、その家に、葉子は二人の妹たちも呼び寄せ、木村さんはアメリカで頑張っているけれど暮らしも苦しいので、倉地のおじさまに助けていただくのだと言ってきかせる。倉地は、葉子との件を許しがたい不倫だと新聞に書き立てられ、会社を辞めざるを得なくなっていた。新聞にリークしたのは、田川夫人だった。倉地は水先案内人の組合を作るのだと言って仕事をはじめたものの、難航し、実際には日本の軍事機密をアメリカに売り渡すような危ない商売に手を染めはじめていた。

倉地からもお金を受け取る一方で、葉子は、いまだに木村からの仕送りも受け取っていた。なけなしの金を、せっせと葉子に送り続ける木村。古藤は、葉子に「倉地と一緒になるなら木村にはもう一緒にはなれないといって、金を受け取るな」というが、葉子は一向に木村に正直に話すつもりもない。お金を受け取り続ける。。。とんでもない女だ。

そして、倉地の仕事がいよいよ怪しくなってくると、倉地も葉子に罐っている余裕がなくなり、それを葉子は、倉地のこころが妻子のところに戻ったのだと思い込んで、極端な神経症になっていく。体調の不良も重なり、被害妄想が高まっていく。しまいには、妹の愛子が倉地を誘惑しているだとか、古藤も愛子ばかりに愛想がいいとか、精神的に病んでいく。

倉地との間も険悪になっていたある日、貞世が高熱を出して倒れてしまう。腸チフスと診断され、生死を彷徨うこととなる。
貞世の看病をしながらも、嫉妬の妄想にくるっている葉子は、ようやく平熱をとりもどした貞世にさえ、怒りをまき散らす。古藤や愛子がなんとか、狂った葉子を貞世から引き離すのだが、葉子の体調も最悪の状態となり、とうとう、葉子自身が子宮後屈症の手術をうけることになる。手術がうまくいかなければ、子宮穿孔から腹膜炎により死に至る可能性があるとわかっていた。

貞世の緊急入院で、一度は病院に顔を見せた倉地だったが、その後、連絡が途絶えた。警察に追われることになっていたのだが、葉子はそれを捨てられたのだと思い込む。

倉地にも捨てられた。もう、自分には頼るものがない。貞世も死んでしまうかもしれない。。。自分の命と引き換えにしてもいい、貞世が。。。

葉子は、自身の手術のために、貞世とは別の病院へ入院することになる。ようやく過去の自分を顧みて、それぞれに手紙をしたためる。謝罪のような手紙を。

しかし、手術当日の朝、書いたものは燃やしてしまう。もう、これで、自分の思いは誰にも届かないのだ、、、。

そして、手術から3日目、異常な腹痛で生死をさまよう葉子。
そして、そこで思い出されたのは、キリスト教者、内田の顔だった。古藤に頼んで、内田に来てもらおう、、、そう思いながら、苦痛に呻く葉子の姿、、、。


で、物語は終わる。


結局、葉子は、救われないのだろう。
たぶん、倉地も、救われない。


なんとも、救いようのない話だな、、、という感じ。
それでも、古藤、岡、木村、といった、正義と信念を貫き通した男たち、はっきり言えば素行のわるい姉ではあるけれど、最後まで姉を突き放さなかった妹たち、そんな人たちの存在が、この小説に救いがある、と思えるゆえんだろう。 

 

ただの不倫小説ではない。

やはり、明治、大正の女たちの生きざまを描いた小説なのだろう。

 

面白いことに、小説の中でたびたび英語がでてくる。有島武郎は3年間アメリカに留学をしていたというから、そのときに覚えた英語で、上手い日本語がでてこなかった言葉をそのまま英語で書いたのだろう。横文字が何か所も出てくる。

例えば、

insolent :無礼な、横柄な

diabolic:悪魔のような、魔性の

delirium:うわごと、猛烈な興奮

weird:不思議な、気味の悪い

 

形容詞ほど、小説において翻訳の難しいものはない。

思いがけず、英語の勉強にもなった。

 

色々、読んでみるもんだね。

 

確かに、最高傑作のひとつなのだと思う。

ちょっと、長いけど、飽きずに読める。

100年以上前の小説とは思えない、生き生きとした感じ。

すごいなぁ。

 

やっぱり、読書は楽しい。

 

或る女