『坊ちゃん』 by  夏目漱石

坊ちゃん
夏目漱石
岩波文庫
1929年7月5日 一刷
1989年5月16日 改版
2006年8月17日 107刷

 
夏休みの課題図書にでもなりそうな、『坊ちゃん』。改めて読んでみた。

 

表紙裏の説明には
漱石の作品中もっとも広く読まれている『坊ちゃん』。無鉄砲でやたら喧嘩早い坊ちゃんが赤シャツ・狸の一党を相手に繰り広げる痛快な物語は何度読んでも胸がすく。が痛快だとばかりも言ってられない。坊ちゃんは要するに敗退するのである。(改版)”
とある。

 

そうか、坊ちゃんが最後に四国を去っていくのは、敗退なのか。
いや、私はそうは読まなかった。やっぱり、坊ちゃんが坊ちゃんの道を行く、坊ちゃんにとっての正しい道なのだ。たとえ、もう、教師の職に就くことは無く、安月給になったとしても。最後は、清の「坊ちゃんの家に住む」という願いもかなえることができたし。

最後に平岡敏夫の解説がついているのだが、漱石の作品の中でも『坊ちゃん』は中学校の教科書に、『こころ』は高校の教科書に、多く載っているそうだ。そうか、そうだったけねぇ。なんせ、私にとっては、昔のこと過ぎて忘れている。

 

先日『こころ』を読み、そして『坊ちゃん』を読んだので、一番の感想は、同じ人が書いたとは思えない、ということだった。

megureca.hatenablog.com


『こころ』の救いようのない暗さ、、、『坊ちゃん』のどこまでもまっすぐな物語。『坊ちゃん』が人気なのがわかる。

 

文頭の
親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校にいる時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰をぬかしたことがある。”
は、それこそ、「この物語のタイトルはなんでしょう」と国語の教科書に出てきそうなくらい有名だ。

 

『坊ちゃん』は、「おれ」(=坊ちゃん)の語り、というスタイルの小説。

 

以下ネタバレあり。(と言うまでもなく、皆さんご存じだろうが、、、)

 

坊ちゃんは、両親、兄とはそりが合わず、早くに死んだ母の死は乱暴者のおまえのせいだと兄にいわれ、父親からもお前はだめだだめだ、、、と言われて育つ。そんな中、お手伝いの清(きよ)婆さんだけは、坊ちゃんのことを可愛がってくれた。父の死後、兄は自宅を売り払い、金の一部を坊ちゃんに渡すと自分は九州へ転勤していく。残された坊ちゃんは、もらったお金で3年間勉強をする。そして、卒業してから、四国での数学教師の仕事を引き受ける。清は、いい年なのでもう他に下女奉公にでることはなく、甥の家にやっかいになることとなり、坊ちゃんとは別れ別れに。四国に行く前に清に会いに行く坊ちゃん。坊ちゃんが東京を離れてしまうことを大変悲しむ清。でも、清には四国がどこなのかもよくわかっていない。。。

 

と、生い立ち、四国へいくことになったいきさつについての語りで物語は始まる。

 

文章の勢いが良いのは、坊ちゃんの語りが、「おれ」が主語であり、ぶっきらぼうに、短いからか。でも、小気味いい。

 

例えば、四国へ行く坊ちゃんを見送る清との別れの場面。

”車に乗り込んだおれの顔をじっとみて、「もう御別れになるかもしれません。随分御機嫌よう」と小さな声で言った。目に涙が一杯たまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。”


短い文だけれど、坊ちゃんのこころの動きが、ストレートに伝わってくる。

 

そして、四国で待っていたのが、校長の、教頭の赤シャツ、坊ちゃんと同じ数学の教師である山嵐たちだ。赤シャツに婚約者を奪われたうらなり、赤シャツの腰ぎんちゃくのような野だひこ。濃いキャラぞろい。

 

坊ちゃんの、田舎をバカにした物言い、口が悪いにもほどがある、と言うほどの暴言。
下宿先の婆さんの「・・・ぞやもし」という方言。
なんとも、リズム感があって、ぐんぐん読み進めるのだ。

 

坊ちゃんは、着任して早々、生徒たちのいたずらにあう。宿直の蒲団の中に生きたイナゴをいれられたり。しかし、坊ちゃんは動じない。怒るものは怒る。生徒だからといって遠慮しない。

 

そして、山嵐のことは、最初はいいやつだと思っていたのに、途中からヤナやつだとなったり、その心変わりがまたコロコロと早くておかしい。一応、坊ちゃんなりの正当な理由があって、いいやつになったり、ヤナやつになったりする。そして、お互いに意地をはり合ったり。

 

これは、古典的コメディーを読んでいるのか、と思うと、そんな気もしてくる。
ふふふ、、ぷぷぷ、と笑っちゃう感じ。


日常的に、様々な事件が起こる。小さな町なので、坊ちゃんが団子屋で団子を二皿食べたこと、温泉にいつも同じタオルをもっていくこと、なんでも生徒からいじりのネタにされる。あるいは、生徒のケンカに巻き込まれたり、警察沙汰になったり、、、。

そして、坊ちゃんはそのうちに赤シャツが卑怯者だという考えに至り、山嵐と赤シャツを懲らしめようということになる。赤シャツは、うらなりの婚約者だったマドンナを奪ったうえに、うらなりを遠方に転勤させようという卑怯者なのだ。

山嵐と坊ちゃんは、仲直りをした時に、一緒に赤シャツを懲らしめる計画を立てる。
で、結局は、、、正義は権力にはかなわず、二人とも学校を去ることになるのだ。。。
そう、結局、二人は学校を去る、ということが冒頭にあった”敗退”という事なのだろう。

 

でも、最後、ふたりは、せいせいして学校を去っていくのだ。
よし!これからも、がんばれ~~!!
と、応援したくなる。

きっと、坊ちゃんも山嵐も、どこへ行っても、まっすぐに、強く、信念をもって生きていくはずだ、と思えるから爽快なのだ。坊ちゃんは、結局、着任して1か月で学校をやめて東京に戻ることになる。


話の中で、坊ちゃんは、赤シャツがうらなりを遠くへ転勤させようという魂胆に気が付いて、うらなりがいなくなる分坊ちゃんの給料を上げると言う話を断るのだ、と下宿屋の婆さんに話をする。
そのくだりが、面白い。

「先生は給料がお上がりるのかなもし。」
「あげてやるっていうから、断ろうと思うんです。」
「なんで、お断りるのぞなもし。」
「なんでもお断りだ。御婆さん、あの赤シャツは馬鹿ですぜ。卑怯でさぁ。」
「卑怯でもあんた、月給をあげてくれたら、大人しくいただいておく方が得ぞなもし。若いうちはよく腹の立つものじゃが、年をとってから考えると、も少しの我慢じゃあったのに惜しいことをした。腹立てたためにこないな損をしたと悔やむのが当たり前じゃけれ、、、」

結局、坊ちゃんは、おれの月給が上がろうと下がろうとおれの月給だ、と婆さんにたんかを切るのだが、入らない金を余しておくのももったいないと思って、よろしいと承知した、、となる。

ちゃっかりしている。

 

坊ちゃんの口の悪さで言えば、赤シャツの悪口がすごい。
「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被りの、香具師の、モモンガーの、岡っ引きの、わんわん鳴けば犬も同様な奴とでもいうがいい」
落語みたいだ。。。

 

まぁ、楽しい話である。
もっともっと、赤シャツをぎゃふんと言わせてほしい、と言う気すらしてくる。


夏目漱石、やっぱり面白い。

 

解説によれば、『坊ちゃん』と『こころ』の間には8年の開きがあるのだが、人間の孤独の問題、利欲に満ちた現実社会と相いれない精神の問題、愛の問題、財産の問題、生と死の問題、等々、同じテーマが見えてくるという。

坊ちゃんは乱暴ものだけど、ずっと清のことを気にかけている優しさが見え隠れする。ぶっきらぼうながら、清に手紙を送ったりしている。

両親や兄との不仲には、孤独、財産の問題もある。

坊ちゃんは、松山の学校を辞任して東京に戻り、清との暮らしを始めるのだが、高齢の清はあっという間に死んでしまう。
兄とは、疎遠のままの坊ちゃんは、唯一恩返しをしたかった清をなくし、孤独の中で生きていくのだ。敗退とは言わないけれど、悲しい最後だ。東京に戻ってついた職は、教職ではなくて技手。給料は下がった。でも、下宿ではなく家をもって、短い間ながらも清と過ごすことができた。

 

『坊ちゃん』は中学校の教科書に載っているというが、中学生で読むのと、大人になって読むのでは随分と感想は変わるのだろうと思う。

 

坊ちゃん、がんばれよ、って思う。

 

下宿屋の婆さんの言う通り、自分の信念を曲げず、我を通したことで損をした、とあとから思うことは、ままあるだろう。

でも、なにが損なのか。。。

人生に、損も得もあったもんじゃない

何も起こらない人生よりは、波風たったっていいじゃないか。

起こさずに済んだ波風もあったね、、、なんて後から思うもの。

 

人生なんて思い通りにならないから面白い。

それくらい、大胆に思えたらメンタルも強くなれるかもね。

そして、起きた時にはクヨクヨ考えても、

後から考えればどぉって事ないことって、たくさんある。

坊ちゃんにとって、教師をやめるなんてどうってことのないことだったのだ。

東京に戻って、清を少しでも喜ばせることができた。それでよかったのだ。

ま、坊ちゃんはクヨクヨしたりしないけど。

 

起きていることはすべて正しい。

起きたことは変えられない。

変えられるのは、解釈だ。

そして、変えられるのは、未来だけだ。

 

『坊ちゃん』