『一汁一菜でよいと至るまで』by  土井善晴

一汁一菜でよいと至るまで
土井善晴
新潮新書
2022年5月20日発行

 

YouTube養老孟司さんが土井善晴さんとの対談をしていて、この本の話をしていた。私は料理が趣味なので、土井さんが出演されていたNHK「今日の料理」 は、若い頃は毎月テキストも買っていたし、毎日楽しみに見ていた。言ってみれば土井さんのファンだった。お父様、土井勝さんの時代も含めて。


そんな、土井さんの本。最近、忙しかったり、暑かったりして、まともな料理をしていないことを反省し、やっぱり、大好きな料理を見直そう、と思って買ってみた。

 

カバー表紙には、
”料理に失敗なんて、ない。
「一汁一菜でよい」という、家庭料理の斬新なスタイル。
そこに至るまでの修行、出会い、発見、迷い・・・・。
全ては人を幸せにする料理につながっていく。”

 

カバー表紙の裏には、
”料理に失敗なんて、ない。   レストランで食べるものと家で食べるものと区別し、家庭では簡素なものを食べればよい、という「一汁一菜」のスタイルを築いた料理研究家土井善晴。フランス料理・日本料理の頂点で修行を積んだ後、父と同じ家庭料理研究の道を歩む人生、テレビでおなじみの笑顔に込められた「人を幸せにする」料理への思い、ベストセラー『一汁一菜でよいという提案』に至るまでの道のりを綴る。”

 

裏表紙の宣伝には、
具沢山の味噌汁はおかずの一品を兼ねます。余裕があれば、食べたいものや食べさせたいものを、その都度調べて作ればいい。一汁一菜お料理の入り口にして、一つ一つのおかずを作ってみて10種ほどでも出来るようになれば、それで幸せに一生やっていけます。それだけで健康に健やかに自足できるのです 。”

 

感想。
読んでよかった!
あぁ、、やっぱり、料理って好きだ。
料理って大事だ。
外で食べる料理と、家で食べる料理を区別するって、大事だ!!!
あぁ、料理したい!!料理したい!!
やっぱり、土井さんが好きだ。
やっぱり、日本料理が好きだ。家庭料理が好きだ。
うん、買って読んでよかった。
「食」って、本当に大事だ。
私たちの身体は、私たちが食べたものでしかできない。

 

ほんと、やはり衣食住というけれど、「食」はとてもとても大事だと思う。
人生、あと何回、食事できるか。。。
年を取るとよくそういうことをいう。
あるいは、高齢の親と一緒に食事できるのはあと何回あるのか。

 

健康オタクのように、食に神経質になる必要はない。でも、身体が美味しいと思うものを適量食べるって、なにより幸せなことだ。

 

目次
第1部 料理は一生のもの   父土井勝の名の陰で
第2部 料理って、こういうことなんだ   フランスでの料理修行
第3部 料理の「顔」と「目的」を見極める  「味吉兆」で学んだこと
第4部 家庭料理とは、無償の愛です  料理学校で教える立場に
料理をなめてはいけない 

 

今の若い人たちは、土井勝さんのことは、もう知らないかもしれない。NHK今日の料理と言えば、土井さん、ってくらい、私にとっては馴染みの人で、私が料理を好きになったきっかけの一人かもしれない。

その国民的人気者の家庭料理研究家土井勝さんの息子として育った善晴さん。小さいころからお父さんの仕事現場につれていってもらい、小さいころから料理に親しんで育ったのだという。

フランスに修行に行かれていたとは、知らなかった。


大学2年生の授業を終えた後、休学して、語学を学ぶ目的にスイス・ローザンヌに渡った。そこには、世界一と言われる「エコル・オテリエール・ローザンヌ」という、ホテル・観光マネジメント学校があったから。そこで、フランス語とフランス料理を学ぶ。生まれて初めての厨房での仕事もフランスだった。 

 

フランス料理の話のなかで、あ、そういえばそうか、、、と思ったのは、ヨーロッパでは自分の食べるものは自分で選ぶのが当たり前、日本のように「おまかせ」とすることはほぼないということ。 日本の懐石料理とは、料理全体に対する考え方が異なっているということ。なるほどなぁ、、、と思った。
たしかに、海外のレストランで、メニューにコースがでていることはほとんどない。前菜、魚料理、肉料理、など、それぞれのカテゴリーから料理を選ぶ。日本のフレンチでは、「プレ・フィクス」と言われるものがあったりするが、それすらない。
どんな小さな子供でも、外食すれば、自分で食べるものは自分で決める、って。たしかに、文化の違いかな、と思った。どっちがいいということではなくてね。

 

フランスから戻ってきてから日本で働いた先が、「味吉兆」。和食の高級店。お客様は、ほとんど接待などで使われる方々。家庭料理とは全く異なる。そして、父のあとついで、料理教室の講師も担当するようになる。

 

和食では、包丁で切ると言わないで、「包丁する」と言うそうだ。
「名詞+する」 で、動詞にしてしまう日本語。でも、初めて聞いた。「包丁する」。それには多様な意味が含まれていて、対象料理の味付け、かたさ、量感、箸でのつまみやすさなど、総合的に判断して切り方を決めるということだそうだ。いやぁ、深い。
確かに、フレンチとは違って、和食にナイフは出てこない。すでに、口に入れるサイズに切られているか、あるいは、箸でも切れるくらいの堅さに調理されている。またまた、日本料理の奥深さに感心してしまう。。。

また、日本料理は、の多様性も高い。良い料理に、良い器。良いものを見極める目は、本物を見ることでしか養えないという。なので、土井さんは、吉兆の創業者・湯木貞一にならって、美術館に行って美しい器を見極める目をやしなったのだそうだ。ちなみに、大坂の湯木美術館には、 湯木貞一のコレクションを見ることができるそうだ。

 

ちょうど、先日、フレンチのシェフであり、和食の料理人でもある知人から、昔の店で使っていたという器を譲っていただいた。倉庫の整理をして、もう使わないから欲しいものがあったら全部あげる、と言われて、ありがたく頂戴した。○○先生の作品、という焼き物は、一皿○○万円、という品だそうだ。私にはわからないけど、、、。中には金継ぎをしてあるものもあったのだけど、美しい。。。いただいたその器に、湯むきしたトマトを載せたら、なんだかとっても立派な料理みたいになった。器って大事だ。

 

お父さんの話が、たびたび出てくる。土井勝さんは、家庭料理のイメージがつよいのだけれど、料理人など専門家を対象とした『基礎日本料理』という記録的大ベストセラーも出版されている。
なんと、私、持っていた。。。。
多分、大学生の時に買ったと思う。当時、土井さんの本と言う認識があったかどうかは、もう覚えていないけれど、今でも自宅にある。魚の下ろし方、基本の野菜の切り方、そして、料理そのものの手順が白黒写真ではあるけれど、写真とともに掲載されている。とても、勉強になる一冊。

 

土井さんは、早稲田大学「食の文化研究会」の主宰もされている。「人間はなぜ料理をするのか」「食事とは何か」「料理とは何か」「美味しいとは何か」を通じて「人とは何か」という大きなテーマを考える。 時には、料理人、食の技術者のみならず、哲学者、美学の人々をゲストにお招きして、お話をきくのだそうだ。
これまでのゲストの中には、ゴリラ研究者であり元京都大学総長の山極寿一さんの名前も!あら、こんなところで、先日読んだばかりの山極先生のお名前に出会うとは。
点と点とがつながって、面白い。

megureca.hatenablog.com

 

最後の「料理をなめてはいけない」では、料理を「する」という行為には、食べる人にとっての栄養摂取、楽しみ、コミュニケーション、ということ以上の意味があるのだ、ということをおっしゃっている。食べることで、視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚、、と様々な感覚からの刺激を受ける。経験となる。経験と知性が結びついて、感性が生まれる。違いが判るということが「感性」があるということ。小さな変化にも気づける感性が磨かれる。
小さな変化には、地球そのものの変化も含まれる。

料理をするということは、地球を考えること、と。

なるほどなぁ、、、と思った。


家では、外で食べるような豪勢な食事を作る必要はない。でも作って食べることは大事だと。

”一人暮らしでも、自分でお料理して食べてください。そうすれば、いつの間にか、自分を大切にすることができます。”
と。

なるほどなぁ。。。


料理好きの私が、適当な外食で食事を済ますときは、ちょっと、忙しさに心がすさんでいるときだ。。。
やっぱり、料理しよう。
きばった料理はいらない。
一汁一菜でいい。

あぁ、お料理したい、と、思う一冊だった。

 

自分を大切にしたいと思っている人に、お薦め。
卵かけご飯だっていい。
自分でつくって、食べよう。

 

私たちの身体は、私たちの食べたものでしか作られない。

10年後の自分のためにも、食事を大事にしよう。

 

 

『一汁一菜でよいと至るまで』by  土井善晴