一冊でわかる室町時代
世界の中の日本の歴史
大石学 監修
河出書房新社
2022年4月20日
図書館で、「歴史」で「新しい順」の検索で出てきた本。
歴史の勉強に、読んでみた。
室町時代って、なんとなく、鎌倉時代と戦国時代に挟まれた地味な時代、、、って思いがちだけど、実は、1336年、足利尊氏が室町幕府を開いてから、1573年、織田信長が足利義昭を追放して幕府が滅亡するまで、237年間もつづいたのだ。でも、政治的には将軍不在の時期もあったり、南北朝と天皇が二人いる時代があったり、、、と、江戸時代と違って、人々の生活は平穏無事というよりは、常にいざこざの起きている時代だったともいえる。その分、様々な変化が起きた時代でもある。
表紙裏の「監修のことば」からの引用によれば、
”中央京都の幕府権力の隆盛期の北山文化、混乱期の東山文化、全国の大名が保護・育成した地方文化、武士・庶民の救済を目指す仏教、町人の経済力を基礎とする文化・芸術、武力社会への積極的関心としての歴史や文学、逆に厭戦・厭世的文化芸術など、全てこの時代のダイナミズムによって生み出されたのです。”
と。
タイトルに、世界の中の日本の歴史、とあるように、ところどころに「そのころ、世界では?」と、同時代に起きていた世界の動きがコラムのように追加されていて、なかなか面白い。日本史と世界史を別々に学校で教わる日本の教育だと、日本史と世界史が分離しがちだけれど、本書を読むと、ところどころで、そうかそうか、1543年種子島に鉄砲やってきたころ、カルヴァンが宗教改革を始めていたのか、とか、わかって面白い。
目次
第1章 室町幕府の成立
第2章 室町幕府の動揺
第3章 活性化する社会
第4章 室町時代の文化
第5章 室町幕府の滅亡
室町幕府は、後醍醐天皇による「建武の新政」の失敗から始まる、と言っていいだろう。色々と革新しようとしたけれど、周りがついてこなかった。そして、味方だった筈の足利尊氏にも反旗を翻される。
後に足利尊氏は、後醍醐の冥福を祈るために、天龍寺を建てる。お金をだした開基が尊氏で、初代住職についたのは、天龍寺の庭をつくった日本初の作庭家との言われる、夢窓疎石(むそう そせき)。天龍寺は、今では世界遺産のひとつであり、京都嵐山にある臨済宗の禅刹だ。
そして、南北朝時代へ。天皇が二人いるなんて、やっぱり、平穏な感じはしない。
1392年、三代将軍・足利義満の時代に、ついに南北朝の合一。
義満は、明との貿易にも力をいれる。この日明貿易は、海賊と区別するために勘合といわれる証書をもって貿易した。なので「勘合貿易」とも呼ばれる。
室町時代の混乱を示す一つの出来事は、将軍を「くじ引きで選んだ」という史実。「くじ引き将軍」とも言われる、足利義教(よしのり)、六代将軍。僧侶になっていた義満の子だったけれど、くじ引きで選ばれちゃったので、還俗。そして、自分の意に合わない勢力を手亭的に処分する「恐怖政治」を行った。
そりゃ、世もみだれる。。。
で、また、家督争いでは、家と家、武家と武家との争い。
そんな中、農民たちは農民たちになりに連帯して、権力に対抗。いわゆる一揆が多発。
国中、あちこちでなんだかんだと争いが起きていた。
最悪は、応仁・文明の乱。山名宗全を大将とする西軍と細川勝元を大将とする東軍の戦い。10年にわたる双方の消耗戦は、結局、どちらも深く傷ついただけで終わっていく。
あちこちで争いが絶えない中、宗教の対立も高まる。その分、宗教が色々と発達した時期ともいえるかもしれない。
室町時代は、惣村と呼ばれる村(集落)が発達し、農業技術が発達、生産力が向上した時代でもある。飢饉も起きて、生産性向上が望まれた分、農民が知恵を絞ったし、自ら動いたということだろう。
いつの時代も、ピンチで頑張ることで、革新がすすむ。
室町時代の文化も、時代の変化とともに変化していく。最初は、「戦」と「派手」とでしられる南北朝文化。軍記物や歴史書が多く生まれたのこの時代。『太平記』が書かれたのもこのころ。
『太平記』は、いつかは読んでみたいなぁ、、、と思っているのだが、、全40巻。。。やっぱり、老後の楽しみにとっておこう、、、。
三代将軍・義満の時代は、禅と僧侶の時代とも言われる北山文化。義満がつくった邸宅「北山殿」が。現在の鹿苑寺。つまり、金閣寺。派手なんてもんじゃない。
北山文化という名称は、この金閣寺の所在地にちなんでいる。
北山文化とは対照的に、「簡素」と「和」を求めたのが東山文化。八代将軍・足利義政の時代。義政は、どうやら政治にはあまり興味が無くて、文化に造詣が深かったことから北山文化に比べれば質素な東山文化が発展したということらしい。
ちなみに、東山文化の名前は、義政が東山に邸宅をつくったことから。その邸宅こそ、慈照寺銀閣寺。
どっちが、好き?
義満は、尊氏の天龍寺にならって、相国寺を作っている。義満は、禅宗の保護をすすめ、寺院の社格の整備にも取り組み、寺院の格付けをした。
寺社とかかわり深く発展したのが、「能楽師」。観阿弥・世阿弥が活躍したのが室町時代。観阿弥・世阿弥親子は、能の脚本にあたる「謡曲」を多く手掛け、世阿弥は、能楽書『風姿花伝』や『花鏡』なども執筆した。
文学と言えば、庶民の間では、『御伽草子』のようなものが流行った。一寸法師、浦島太郎など、元をたどれば室町時代なのだ。知らなかった。。。
夏の風物詩『盆踊り』が盛んになったのも室町時代。
大きな変化は、日本の外からも。外国人宣教師たちが日本にやってきた。ヨーロッパ人で最初に日本の様子を記録したのは宣教師のフランシスコ・ザビエルとされている 。宣教師の中でも特に日本通として知られたのがルイス・フロイス。
フロイスの人物評が引用されている。
信長を「短期で恐ろしいが戦に強く、家臣に慕われる優秀な人物」
秀吉を「女癖の悪さや意地汚さが目立ち・みんなに嫌われる醜悪な人物」
と。
笑える。
信長も秀吉も、私は会ったことは無いけれど、どんな人だったのか、、、想像しやすい。どう考えても、フロイスは、信長には好感をもち、秀吉は嫌悪したのだろう。
沢山の戦乱があった室町時代ではあったが、地方においても武力だけでなく学問も栄えた。日本最古の学校と言われる「足利学校」は、室町時代にできた。
宗教も変化の時代を迎える。
天台宗・真言宗など平安時代に栄えた宗派は後ろ盾だった朝廷や公家が没落、荘園も崩壊したことで次第に勢力が衰える。反対に鎌倉時代に盛んに信仰されたいわゆる鎌倉仏教(浄土宗・臨済宗・浄土真宗・日蓮宗・曹洞宗・時宗)の各宗派が室町時代も引き続き勢力を伸ばした。そして、各宗派も力をつけていくことで、争いにも発展してく。
室町時代、一言で言ってしまうと、戦乱のエネルギーが様々な変化をもたらした時代、ということのようだ。
やっぱり、変化はエネルギー。
人間って、たくましい。
その延長に、今があるのだ。
歴史って、今とのつながりで見てみると、面白い。
もっと、歴史を勉強したくなる。
歴史の認識は、新たな事実がわかることで、解釈が変わることがある。でも、起きたことは起きたこと。事実は事実。それをどう解釈するか、色々繋げて考えると楽しい。
新しい解釈も色々盛り込まれていて、なかなか楽しい一冊だった。
大人の学び直しに、お薦め。