『雪国』by 川端康成

雪国

川端康成
新潮文庫
昭和22年7月16日 発行
平成18年5月30日 132刷改版
平成28年6月5日 152刷

 

言わずと知れた名作『雪国』。1968年ノーベル文学賞受賞者である、川端康成の作品。
この真夏に、『雪国』を読んでみた。
歴史の勉強をしていて、川端康成がでてきたので、ふと、読みたくなった。

川端康成は、1899年(明治32)年、大坂生まれ。東京帝国大学国文学科卒業。伊豆湯ヶ島に長期滞在していたことで知られている。湯ケ島温泉の旅館湯本館は、伊豆の踊子を執筆したときに滞在していた旅館として有名。

川端康成は、自分で本当に読んだというより、読んでいなくてもなんとなくお話を知っている作家の一人だろう。夏目漱石みたいに、、、。
以前、『女であること』を読んで、描写のうまい人だなぁ、、、と思った。さて『雪国』は?

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名作と言われる『雪国』。ノーベル文学賞の対象作品でもある。

 

”国境の長いトンネルを抜けると雪国であった”
を、誰もが耳にしたことがあるだろう。
きっと、国語の教科書にのっていた、、、、とか、、だと思う。
でも、読んだのは、初めてかもしれない。
そして、読んでみて思った。これは、中学生や高校生が読んでもよくわからないだろう、、、、と。20代でも、わからないかもしれない。いや、一生わからないかもしれない。
どう、名作なのか?
ちょっと読んだだけではよくわからない。

 

本の紹介文には、
”ほんとうに人を好きになれるのは、もう女だけなんですから。

雪に埋もれた温泉町で、芸者駒子と出会った島村―― ひとりの男の透徹した意識に映し出される女の美しさを、抒情豊かに描く名作。

親譲りの財産で、きままな生活を送る島村は、雪深い温泉町で芸者駒子と出会う。許婚者の療養費を作るため芸者になったという、駒子の一途な生き方に惹かれながらも、島村はゆきずりの愛以上のつながりを持とうとしない――。冷たいほどにすんだ島村の心の鏡に映される駒子の烈しい情熱を、哀しくも美しく描く。ノーベル賞作家の美質が、完全な開花を見せた不朽の名作。”

と。

 

以下、ネタバレを含む。(と言うまでもなく有名だが)

 

主な登場人物は、主人公の島村(妻子持ちの男)、駒子(芸者)、葉子(駒子より若い女)、そして駒子と葉子との間に存在する駒子の師匠の息子(病弱で死んでしまう)。

国境の長いトンネルを越えたのは、島村がのっていた汽車。駒子のところへ再び訪れるため。
要するに、女遊びをしに雪国に通ってくる島村。そして、その汽車の中で美しい若い娘、葉子に目を奪われ興味を持つ。その葉子が同行していたのは、どうみても死にそうな病人で、それは駒子が世話になっている三味線の師匠の息子だった。
駒子は、島村の泊まる宿へしばしばやってくる。芸者としての仕事の合間に、酔っぱらいながらも島村のところへやってくる。朝が来る前に帰っていく。そんなことを繰り返しているうちに、街の人には、二人の関係はよく知られたものになっていく。

 

表現しない文学。島村、駒子、葉子の心の動きが美しく表現されている、、、と言われる『雪国』。直接、島村と駒子が男女の関係であるという描写はない。二人の会話は、それを思わせる言葉がでてくる。酔っぱらってやってきた駒子が、次の場面では朝になっている。。


う~~~ん。。。。
分かりにくい文学。

でもね、なんか、もう一度読み直してもいいかな、、、って感じでもある。

 

最後、街の人々が映画を観に集まっていた場所で、火事がおきる。そのとき、島村と駒子は一緒にいて、島村は、もうこの温泉へは来ないかもしれないなぁ、と思いながらも、駒子と一緒にいた。二人は、遠くから火事の気配に気が付く。行ってみると、、、葉子が巻き込まれていた。。。二階から落ちた葉子は、すでに昇天しそうなうつろな顔だった。
葉子に駆け寄り、抱き上げようとする駒子。。。

その、火事の場面で物語は、終わる。

葉子は亡くなったのか、駒子はどうなるのか、島村は二度とこの雪国には来ないのか、、、、なにもわからないまま、物語は終わる。。。

う~~ん。。。

 

” ひとりの男の透徹した意識に映し出される女の美しさを、抒情豊かに描く名作”
と言うのだが、女の美しさというのが、ピンとこない。
駒子も葉子も、大和なでしことしては描かれていない。
とんだ、はねっかえりでもある。
駒子は、酔っぱらって男の元に通う芸者といえば、それまで。
葉子は、駒子に小間使いにされて駒子のいうことを聞いていても、いつかは見返してやる、、、とおもっている生意気な女の子、、ともとれる。
葉子は、美しい少女として描かれている。駒子は田舎娘っぽく描かれている。

う~~~ん。

よくわからなかった。


こんな暑い夏に読んだから、情景に感情移入できなかったのだろうか。。。
冬に読んだら、ちょっとは違う印象になるのかな?

 

名作と言われるものは、解説できないからいいのかもしれない。
なんでも白黒はっきりさせてしまうと、もののあわれもなくなっちゃう。
よくわからん、、、でも、なんか、いい、、、。
くらいでいいのかもしれない。

 

世の中、よくわからないままの方がよいこともある。。。
そんな気持ちになった一冊。

 

駒子のほんとの気持ちも、島村には一生わかるまい、、、と思う。

人間なんて、思い込みで生きている。

そう、島村みたいな男を好きになれないから、今一つ感情移入できないのかもしれない。

本作を名作と言うのは、島村みたいになってみたいと思う男の人かもしれない、、なんてね。

これもまた、思い込み。

 

一つ、この比較的短い作品であるのに、多くのことを語っているすごさは、時間の流れにもある気がする。実は、島村が駒子のところへ最初に通ってから、最後、もう来ないかもしれないと思うまでに、数年の月日が流れている。それをさらっとうまく表現しているあたり、コンパクトにまとめられた文章、それも名作と言われるゆえんかもしれない。

ま、これも、私の思い込み。

 

小説をどう読むかなんて、その人の自由だ。

だから、読書は楽しい。

 

ま、『雪国』を読むなら、冬がお薦めかも。