『徳川がつくった先進国日本』by  磯田道史

徳川がつくった先進国日本
磯田道史
文藝春秋
2017年1月10日第1刷


(本書は、2012年1月に NHK 出版より刊行された『 NHK さかのぼり日本史⑥ 江戸天下泰平の礎』を文庫化したものです。

 

図書館の歴史の棚で見つけたので、借りてみた。

 

著者の磯田道史さんは、1970年岡山県生まれ。2002年慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。現在、国際日本文化研究センター准教授。資料を読み込み、社会経済史的な知見を活かして、歴史上の人物の精神を体現する仕事を続けている。

 

なかなか、面白かった。
たしかに、始めのページから、歴史をさかのぼっていく。それが、その歴史はなぜ起きたのか、の「なぜなぜ分析」をしているようで、面白い。たしかに、歴史は、遡りながら時代の塊ごとに学んだ方がストーリーとして、理解しやすいかもしれない。

薄くて、さら~~っと読める文庫本。年表含めて156ページ。なかなか、読み物としても面白い。そして、あ、そうだったんだ、と言う学びもある。

 

本の裏表紙には、 
”江戸時代には、内乱、自然災害、侵略など数々の危機があった。にも関わらず、なぜ平和は保たれていたのか。そこには、血生臭い戦国の風潮から脱し、民を慈しみ、人権を尊重する国家へと転換していった為政者たちの姿があった。”徳川の平和”がもたらした大いなる遺産を四つの歴史的事件から時代を遡って解説する。”と。

目次
第1章 「鎖国」が守った繁栄 1806年(文化3年)
第2章 飢饉が生んだ大改革 1783年(天明3年)
第3章 宝永地震 成熟社会への転換 1707年(宝永4年)
第4章 島原の乱 「戦国」の終焉 1637年(寛永14年)

と、新しい出来事から順番に、話が展開している。

 

ストーリーとなる出来事を覚書。

 

第1章でのターニングポイントは、露寇事件
1792年 ロシアのラスクマン、根室に来航して通商を求める。長崎に行けという。
1804年 ロシアのレザノフ、長崎に来航して通商を求める。日本は、断る。
1806年 露寇事件が起こる。危機に目覚める日本。
1825年 異国船打払令で、締め出そうとする。

露寇事件は、第11代将軍 徳川家斉の時代に起きた。レザノフを国外退去としたことを根に持った?ロシアが、樺太南部の松前藩の施設を襲撃した事件。
幕府は、強いんだ!と見せつけるために、異国船打払令をだしているけれど、松前藩は冷静に、これ以上の海岸防衛策は国力を疲弊させるばかりだ、と訴えていた。松前奉行は、「民命」と言う言葉を用いて、人命尊重を訴えた。
そんなことがあったのだ。

 

第2章でのターニングポイントは、浅間山噴火・天明の飢饉
1772年 田沼意次、老中となる。
1783年 浅間山噴火・天明の大飢饉 (~87年まで続く)
1787年 江戸の打ちこわし、松平定信寛政の改革をした人)、老中首座となる。
1789年 幕領に郷蔵の建設を命じる。諸大名に囲籾令をだす。

浅間山の噴火によって、雲におおわれたことで、天候不順、低温が続き、大飢饉となる。そして、食べ物がなくなって、餓死者がでたことから、「蓄える」ということを考えるようになる。備蓄米の始まり。
享保の改革で第八代将軍・徳川吉宗が、幕府財政の引き締めを図っている。そのときには、すでに江戸や名古屋をはじめとする大都市が発達し、都市への人口集中が起きていた。倹約、引き締めをしたのち、田沼による農業中心経済から、商業・流通経済への移行が試みられていた。つまりは、重商主義への転換は、田沼の時代に起きていた。
このころの民は、たいして大事にされていなかった。米をつくるための道具?のような存在。だから、民がどんなに苦しくても領主はたいして気にもしなかった。
それが、飢饉の後は、民が死んじゃうほどくるしめると、年貢も入らないということに気が付いた領主たち、幕府は、民を大切にせよ、、、と言い始める
飢饉が、「人を大切にする」という考えをもたらした

人は、ピンチにならないと、ダメらしい。

 

第3章のターニングポイントは、宝永の地震津波、富士山噴火
1707年 宝永の地震津波、富士山噴火。
1716年 徳川吉宗(第8代将軍・享保の改革)将軍となる。
1717年 大岡忠相江戸町奉行に登用。
1722年 上米制、新田開発を奨励する。
1742年 公事方御定書の完成。

暴れん坊将軍』の八代将軍吉宗享保の時代も、改革のきっかけは天災。宝永地震は江戸時代最大の自信で沿岸部での津波の被害も甚大だった。加えて、富士山噴火。
新田開発するだけでなく、生産性の向上にも目が向けられるようになっていた。それが学ぶこと、学問をすることの普及につながっていった
天災はあったものの、低成長時代にふさわしい安定した成熟社会へと転換がはかられていった。

 

第4章のターニングポイントは、島原の乱
1603年 徳川家康征夷大将軍となる。
1615年 大坂夏の陣武家諸法度、禁中並公家法度を制定
1635年 参勤交代の制度化
1736年 島原の乱起こる(~38年)
1641年 オランダ人を長崎・出島に移す。
1683年 徳川綱吉(第5代将軍・お犬様)第一条はじめ武家諸法度を改定
1687年 はじめに生類憐みの令発布

島原の乱は、抑圧された農民たちの怒りが爆発したもの。乱に加担した物の中にはキリシタンが多かったことから、キリスト教への取り締まりが強くなる。発端の島原の乱は、別に宗教弾圧への抗議の乱ではなく、あくまでも農民たちの苦しい年貢取り立てに対する怒りだった。でも、女子供含め、多くのキリシタンが籠城してしぶとく戦ったので、幕府はキリシタンはヤバい、、、と思った。よって、島原の乱の後に本格的鎖国になっていく、という流れ。

 

どの話も、あれ?教科書でならったのとは、ちょっと違うかも、でも、こっちの方が本当っぽい、、、っていうものが含まれている。

「民を大切にする」って、民が死んじゃったら役に立たん、、、って気が付いたところから始まっているっていうのが、ちょっと怖い。そして、人口が増えてお米がもっと必要になるから新田開発、生産性向上へ取り組み、それに必要な技術、伝えるための文字を学ぶ、、、という学業が広がっていく。文化も生まれる。

人口が増えることで、様々な学問、文化が花開く。。。

増えすぎた後には、低成長、、、。

そう、歴史は繰り返す。

 

まぁ、こういう解釈もあるんだなぁ、という視点で読んだとしても、なかなか、面白い。

人間、やっぱり危機にならないと、本気で改革に取り組まないんだなぁ、、、と言う気がする。
それは、今の時代も同じかも。

 

ピンチをチャンスに!って、江戸時代も令和の時代も、変わらないのね、きっと。

なかなか、面白く読める歴史書


薄くて、さらっと読めるので、お茶タイムにお薦め。