『鎌倉殿と北条一族 歴史は辺境から始まる』by  安部龍太郎

日本はこうしてつくられた2
鎌倉殿と北条一族 歴史は辺境から始まる
安部龍太郎
小学館
2022年7月4日 初版第1刷発行


*本書は、月刊誌『サライ』に連載されていた「半島をゆく」を底本に加筆修正したものです。取材には、著者の安部龍太郎氏、三重大学藤田達生教授、日本画家の北村さゆりさんが参加しています。

 

図書館の歴史の棚で見つけた本。借りてみた。 

カラーの写真が使われていて、様々な「半島」を訪れながら、そこにまつわる歴史に思いをはせる、、、って感じのお話。なかなか、面白い。それぞれの半島を、歴史家の目で追った感じ。写真は、旅の最中の阿部さんのショットだったり、各観光地で撮ったと思われる史跡の写真など。まさに、歴史と地理を一緒に学べる一冊。頭の整理にいいかも。

 

目次
第1章 源頼朝と北条氏と武士の都編 (三浦半島伊豆半島
第2章 日之本将軍と十三湊、そして津軽為信編 (津軽半島
第3章 知らざる北方史 謎の安藤一族編 (渡島半島
第4章 北条時政伊達政宗 奥州秘史編 (男鹿半島
第5章 「戊辰150年」と斗南藩苦難編 (下北半島
第6章 村上海賊と瀬戸内海編 (しまなみ海道

 

第1章 源頼朝と北条氏と武士の都編 (三浦半島伊豆半島)では、伊豆から鎌倉へ。わが国最初の武家政権誕生の物語。横浜育ちの私には、一番、身近な所の話であり、面白かった。

源頼朝鶴岡八幡宮の話。鶴岡八幡宮は鎌倉のど真ん中にあり、 源氏の氏神とされた。夷敵とされた蝦夷を征伐するために、鎌倉に拠点を構えたのだ。房総半島も、夷敵と戦うための征夷軍の式を高めるために、香取神宮鹿島神宮が祀られている。軍は、「いざ鎌倉」のために、供えていた。そのころの奥州は、朝廷からの様々な負担に不満が高まり、朝廷から独立しようとする志向が湧き上がっていた。それに対して、源氏は、朝廷に徹底的に従いつつ、関東を手に入れて、奥州を征伐しようと考えた。1185年に壇の浦の戦い平氏を滅ぼした源頼朝は、さらに奥州藤原氏を倒し、1192年に、征夷大将軍、となる。しかし、幕府を開いた後も、御家人たちの勢力争いや様々な内輪もめのような問題が起きて、源氏はたったの3代で滅ぼされてしまう。頼朝、頼家、実朝。実朝は、鶴岡八幡宮で公卿に暗殺されて、はい、源氏はおしまい、、、とあっけない終わり。阿部さんは、実は北条家は最初からそれをねらっていたのでは、、、と。有力御家人たちが激しい勢力争いを繰り返す中、頼朝の妻政子の実家である北条家が争乱を息抜き、執権となって幕府の実権を握った。


鎌倉と三浦の街をあるいた紀行文のような綴りがある。というか、本書はどの章も、実際にそこを訪れてのお話。実際に現地を歩きながらのコメントだ。鶴岡八幡宮由比ガ浜をつなぐ若宮大路(段葛)は、頼朝が大規模工事を着手したもの。段葛は、実はたんに神様が通るために一段高くしたわけではなく、隣を流れる滑川が氾濫したときに被害を食い止めるための堤防の役割も果たしていたのだと。へぇぇ、、。知らなかった。
鎌倉、三浦と一緒に、伊豆の話が出てくる。三嶋大社は、大山祇命(おおやまつみのみこと)を祀る神社で、頼朝が挙兵に際して源氏再興を祈願したことでも知られる。境内には、頼朝、政子の腰掛石などもあるそうだ。三島にいくと、時々おとずれる三嶋大社だけれど、頼朝にゆかりがあるとは、知らなかった。ただ、大きな木があて、木陰が気持ちい神社、、、くらいにしか、思っていなかった。。伊豆は、頼朝が流罪となって幽閉されていた土地でもある。
鎌倉、伊豆と、源氏時代に思いをはせていたかと思うと、三浦半島に戻ってきて、今度は、ぺリー来航の話に飛ぶ。横須賀は、今でも海上自衛隊の重要拠点。東京湾防衛の最前線となったのが三浦半島だったのだ。

日本全国、いろんな歴史の逸話がのこっているのだよなぁ、、、と感心してしまう。


と、どの章も、各地を訪れて、土地の人々に話をききつつ、時代をどんどんジャンプしながら話が続く。戦国時代から、縄文時代へ。と思ったら、明治維新、昭和初期。自由自在に歴史を飛び回っている感じ。


実際に土地を訪れて、その当時の権力者は何をどう考えていたのかを想像してみたり、史跡が建てられた本当の意味を想像してみたり。知的冒険とはこういうことなんだろうな、と思う。

 

ちなみに、第三章にでてくる渡島半島って、どこだ??って思ったら、北海道の南の半島、函館のある半島だった。よく函館山にのぼって夜景をみると、渡島半島を見渡しているかのように思いがちだけど、実は、函館のちっちゃいちっちゃい町を見ているに過ぎない。よく考えたら、当たり前なんだけど、形がちょっと、似ているのよね。
第三章は、北海道の話なので高田屋嘉兵衛の話が出てくる。松前で活躍していた日本人。かれは、一度、ロシアに人質に取られたことがある。そんな歴史の一幕が語られている。

 

第四章では、伊達政宗の話から、支倉常長の話に。最近、歴史の勉強をしていて「支倉常長」と言う名前がでてきたときに、だれだ??それ??と思ったのだけれど、伊達政宗の命令で海外に渡った人。有名なのは、洋服をきている肖像画。有色人種として唯一無二のローマ貴族、及びフランシスコ派カトリック教徒となった、ということで有名。安部さんは、政宗がなぜ、支倉らを使節団としておくったのか、ずっと疑問に思っているそうだ。阿部さんの仮説は、大坂城の豊臣家と協力して、徳川幕府を倒すため」だったのではないか、ということで小説にしているらしい。キリスト教徒を保護して、ローマ教皇からキリシタン王に任じてもらい、スペインの援助をもらって幕府を倒すことを考えていたのではないか、と。政宗は、幕府のキリシタンの取り締まりに、真っ向から反対していたのだそうだ。バチカンの機密文書館に保存されている、伊達政宗の訪欧使節団がローマ教皇パウルス5世に請願したすべての事柄に対する回答文書』と言うものに、そのような記載があるのだそうだ。へぇぇぇ、、、政宗の記録が、バチカンにあるとは、びっくり。

 

第五章では、戊辰戦争から会津、長州の話に。会津の人に言わせると、「長州のことをどう思っているかと聞かれれば、仲良くはするけれど仲直りはしないと応えるしかありません」と。ひゃ~~~!!でも、そういうところあるよな、、、って思うことがある。以前、会津出身のおじさんが、よく、「長州は、、、」とか「薩摩は、、、」と話していて、今どき何をいっているんだ?とおもったのだけれど、会津って、そういう人多いのかも。とある会議の席で、会津出身の人の発言に、「だから会津の人は、、、」と発言していた人もいた。。。私にはよくわからない世界だけど、、、、。


まぁ、話が色々と飛びかう一冊だったけれど、結構、面白い。渡島半島も、支倉常長も、全然別の本で出てきたときに、なんだろうな??くらいに思ったけれど、こうして、点と点がつながると、記憶に残るから面白い。

やっぱり、なんでも読んでみるって、楽しい。 

 

読書は楽しい。

いかようにも楽しめる。

一番安上がりな娯楽だ。

本に感謝。

 

『鎌倉殿と北条一族 歴史は辺境から始まる』