『悪の処世術』 by  佐藤優

悪の処世術
佐藤優
宝島社新書
2021年5月24日  第一刷発行

 

佐藤さんの著書を読んでいて、引用されていたのか、気が付いたきっかけはわすれてしまったけれど、読んでないな、、、と思ったので、図書館で借りてみた。
昨年、5月の本。

 

裏の説明によれば、
新型コロナウイルスの感染拡大を強権的に抑え込んだ中国の習近平。危機に対応するには、効率が悪く機能不全を起こしやすい民主主義よりも、独裁的な政治の方が素早く解決できるという事実を世界に示した。国民の強いリーダーへの渇望、そして国じゅうを不安の空気が覆う時、”悪い奴ら”が登場する。本書は、現代を代表する11人の「独裁者」について論じたものである。権力闘争、情報操作、謀略、裏交渉、監視・・・・かれらの処世術を知ることは、人間の本質を知ることでもある。”
と。

 

独裁者11人が、なぜ独裁者となりえたのか、なぜ、今も建国の父かのように慕われるのか、はたまた、なぜその独裁政権は崩壊したのか、、、と、佐藤さんの視点で解説されつつ、現代に繋がる人の本質をついてくるような一冊。

 

人間って、支配されたほうが楽だと思う瞬間があるもの、、、なんだよな、と思う。自由というのも、自分でつくった自由という柵の中にいることだ、というようなことを以前ヤマザキマリさんがいっていたけれど、何かに従う、思考放棄する、、、って、いう選択肢を選びたくなる時は、場合によってはあり得る。だから、独裁政権というものが長く続くこともある、、、。
コワイ、、、コワイ、、、、。

 

読みながらも、コワイ、コワイ、、と思いつつ、結構、面白く、興味深く読んでしまった。佐藤さんがどういう基準でこの11人を選んだのかはわからないけれど、読めば、いかにもすごい独裁者たち。中には、現行の政権もあるから、コワイ、コワイ。

 

目次
第1章 ウラジーミル・プーチン 「ロシアの皇帝」が貫く義理人情
第2章 習 近平 圧倒的な権力と恐怖支配
第3章 ドナルド・トランプ 「下品力」を武器に大衆を味方に
第4章 金正恩 先代とは異なる狡猾さと剛腕
第5章 パッシャール・アル・アサド ”したたかな独裁者”のリアリズム
第6章 エンベル・ボッジャ アルバニアに君臨した”史上最強”の独裁者
第7章 アドル・フヒトラー 誰も真似できない「ニヒリズム独裁」
第8章 毛沢東 「神話」を生み出すプラグマティズム
第9章 ヨシフ・スターリン 実直な職業革命家の「理想の世界」
第10章 カダフィー大佐 新しい国づくりと自滅の末路
第11章 金日成 愛を実現しようとした建国の父

 

11人のうち、多くの人は、だれもがよく知っている独裁者だろう。ロシア、中国、アメリカ、北朝鮮、シリア、アルバニア、ドイツ(旧ドイツ)、リビア。時代は色々だけど、地理的にはある場所に集中しているともいえる。大国あるいはその周辺国(北朝鮮)、中東。

ヒトラースターリン毛沢東といった時代の人々は、もう、過去の人、、、という感じがするけれど、プーチン習近平金正恩、となると現在進行形なのだから、コワイコワイ。

 

佐藤さんの言葉で印象的なのは、
”独裁者は単独では生まれない”
ということ。

粛清などの恐怖政治をやった政権であろうと、それを支えた側近たちがいることで成り立っている。

佐藤さんは、コロナ禍において、実際に、中国のように個人の権利を制限しやすい独裁体制の方が封じ込めにうまくいくということが明らかになって、「強い為政者(いせいしゃ)にコントロールしてもらった方が安心でいいのではないか」という空気が蔓延し始めているという。
そして、強い「規則」を持った指導者に導かれることを人々が自ら求め始めるのだと。

誰から頼まれたわけでもなく、自粛警察が蔓延する日本の状況は、かなりそれに近い、、、という。
確かに、マスクから鼻をだしていた受験生が一人いただけで、NHKから全国紙まで、一斉にニュースで扱うって、異常なセンシティブだ、と。
実は、私も、TOEIC受験中に、試験監督官にマスクがずり落ちて鼻がでていると、試験中に指摘されたことがあり、あほか!と思ったことがある。こっちが必死に受験している最中に、邪魔するな!!と、腹が立った記憶がある。まぁ、彼等は仕事だったのだろうけど、、、。

東京ナンバーの車で静岡に転勤していた知人は、”静岡県在住者です”と、張り紙をしていたという。そうでなければ、嫌がらせをうけるから。。。と。
日本も、そうとうヤバい。。。

 

コロナは一つの例であるけれど、他にも経済状況が悪化しているときとか、何かの危機がおこれば、強い指導者を求めるのは、人間の心理として普通なのだろう。

 

トランプに対して、「下品力」による大衆の心をわしづかみ!と言う表現が面白い。いくつかの実際の「下品発言」がでてくるのだが、とても選挙キャンペーンや政治の場にふさわしいとは思えないような発言がいくつもある。申し訳ないが、私も彼のことは上品とはいいがたい・・・。

 

私にとって、わりと新鮮だったのは、第5章 パッシャール・アル・アサドと、第6章 エンベル・ボッジャ。


アサド政権は、今なお続く独裁政権。ボッジャは、アルバニアの独裁者。


シリアのアサド政権については、ニュースで耳にすることもあるだろう。パッシャール・アル・アサドは、1965年生まれ。父親が、前大統領、ハーフィズ・アサド。父を継ぐはずだった兄が急死したため、政治とは無縁にイギリスで眼科医をしていたパッシャール・アル・アサドは、父親が亡くなったときに急遽大統領の後継者となるためにシリアに帰国。なので、シリアの偏った政治に浸っていた訳ではなく、進歩的教育をうけ、西側的価値観のなかで生きていた青年だった。それが、なぜ、、、、今のような独裁者に??

そもそも、シリアのアサド政権は、国全体を掌握しているわけではなく、第一次世界大戦後にフランスによる統治政策の戦略として、社会の底辺にいたアラウィ派を優遇したことに始まる。アラウィ派だったのが、アサドらだった、、、ということ。アラウィ派は、シリアのイスラム教徒の中でも少数派であり、スンナ派が人口の79%に対して、12%に過ぎないなのに、政権をにぎっている、という最初から歪んだ構造だったのだ。そして、アサド政権は、アラブ社会主義を標榜しつつも、実は伝統的な部族制度に乗っかって、自分たちの部族の地域のみを支配するという姿勢を貫いているのだ、と。
そして、もともとはロシアは地政学的思惑からアサド政権を支持していた。2015年、シリア領内の「イスラム国」勢力一掃のために空爆に踏み切る。アサド政権が崩壊されては困るから。シリアは、前大統領ハーフィズ・アサドの時代に、反対派が徹底的に弾圧されているので、今のアサド政権が打倒されても、代わりとなる政治勢力が存在しない。つまり、どんな酷い政権であろうと、とにかく、シリアが政治的混乱に陥ってもらっては困る、というのがロシアの立場。なぜなら、シリアには、ロシア帝国による支配を嫌って北コーカサス地方から移住したチェチェン人やチェルケス人の末裔が多く住んでいて、いまも北コーカサスと緊密な連絡を保っている。北コーカサスに、テロ組織の台頭が飛び火することはロシアにとって避けたいことなのだ。加えて、ロシアの兵器を買ってくれるシリアは、ロシアの軍産複合体にとって重要な顧客だ。

 

プーチンの章でも佐藤さんが言っているのだが、ロシアは、自分たちが撃った武器で、その国が無辜の市民を殺そうが、まったく無関心だということ。武器が売れればいい。どう使うかはその国の勝手、、、だと。

そして、アサド政権のパッシャール・アル・アサドは、西側諸国の思想を持っているにもかかわらず、国を離れたり独裁政治をやめようとしないのは、そんなことをしても今のシリアは混乱に陥るだけであることを理解しているから、、、と。悲しい運命の独裁者。。。

シリアって、そういう国だったのか、、、と、改めて勉強になった。

 

他にもいくつか佐藤さんの言葉を覚書。

 

エンベル・ホッジャの徹底したマルクス主義の勉強ぶりに対して、出世のためにちょっとだけマルクス主義をかじって、ソ連によって東欧諸国の共産党指導者に据えられた官僚に対して。

利己心によるうわべだけの教養は、短期的には多少役立つかもしれないが、すぐに化けの皮が剥がれ、長期的には全く役に立たない。これは今も昔も変わらない普遍的事実である。”


ヒトラーが言葉。
「この本は私の『聖書です』」とグラントに送っていた。
ヒトラーの優勢思想は、アメリカ人マディソン・グラントの著書『偉大な人種の消滅 ー ヨーロッパ史の人種的基礎』から来ている。でっちあげの優勢思想のルーツは、ドイツと言うよりはむしろアメリカにあったのだ、、、と。

 

ヒトラーニヒリズムについて、舛添要一の言葉を引用。
”私たちはある目標があると、それに向かって生き生きと前進していきますが、逆に人生の目的、生きる価値などがなくなったら、どうなるんでしょうか。自暴自棄になり、物を破損したり、他人に当たったり、まさに「やぶれかぶれ」といった状態に陥ります。それがニヒリズムなのです” 

今の日本にも、そんな「やぶれかぶれ」の人が少なからずいる。。。。と。


中国との付き合い方については、
”忍耐強く、各個撃破する政治力と外交力が日本には必要だ”と。
これは、どんなことも、一気に全部を成し遂げるのは難しく、ひとつづつ、課題を克服するしかない、、、ということなのだろう。

 

そして、やはり、本書で一番印象深いのが、
”独裁者は単独では生まれない”

知らないうちに、独裁者に加担してることは無いだろうか、、、なんて思う。
国の独裁者ではなくても、会社や組織の中の権力者に加担しているとか、、実は結構あるかもしれない、なんて思う。

 

本書のような本は、他人事として読むのではなく、身近なことと関連付けて考えながら読むと、とても深い。

毛沢東だって、良かれと思ってやった農業指導で、2000万人の人が餓死したとも言われている。

良かれと思ってやったことがうむ悲劇。人災と言われる悲劇は、現代にもたくさんある。

 

他人事じゃないな、、、と思う。

たまには、こういう本で、今を振り返ってみよう。。。

 

やっぱり、読書は楽しい。

 

『悪の処世術』