『95歳・私の証 あるがまま行く』 by  日野原重明

『95歳・私の証 あるがまま行く』

日野原重明

朝日文庫

2010年6月30日 第1刷発行

*本書は、2007年3月に朝日新聞社より刊行された『95才からの勇気ある生き方』の一部を再編集・加筆したものです。

 


図書館の棚で見つけた本。2017年、105歳で亡くなられた日野原先生。ご存じ、聖路加国際病院名誉院長。2005年には、文化勲章を受賞されている。

 

 

エッセイ集のような感じなので、時間つぶしによさそう、とおもって借りてみた。パラパラとめくって、さー-っと読める。表紙にはカッパドキアの岩を背景にラクダに乗っている日野原先生の写真。これは一体何歳の時なんだろう???お元気そう。

 


本の裏に書いてある紹介文には、

万里の長城を歩き、アテネの聖地で不思議な力を感じ、オーストラリアでは植樹祭に参加。国内では平和音楽祭を開催したり、全国各地で小学生に命の大切さを説く授業をしたりと、北へ南へ疲れも知らず駆け回る、いよいよ元気な95歳。その元気の秘訣がいっぱい詰まったエッセイ集、第3弾。”

 


 感想。

うん、元気をもらえます。ありがとうございました!

って感じ。

日野原先生は、1911年、山口県生まれ。明治44年生まれで、終戦を迎えたのが30代なのだから、戦前の思想で育った方だ。

確かに、男女差などについては、古風な考え方だな、と思う点もなくはないけれど、命を大切にするという考え方は、何時の時代にあっても共通で、普遍だ。

時間つぶしではなく、良い本を読んだな、って感じ。

まぁ、日野原先生の本なんだから、素敵な本に決まっている!という先入観でよんだ、、、ということもあるけれど、うん、良いと思う。

全てに、共感するかどうかはともかく、やはり、年上の方の言葉には、耳を傾けるべきなんだな、って気になる。

 


各エッセイは、3から4ページぐらい。話題がどんどんと展開する感じ。テンポがいい。

 


聖路加病院なのだから、そうか、、と思うのだけれど、お父様は、教会の牧師をされていたらしい。プロテスタントのお父様だった、ということだ。先生ご自身が、洗礼をうけられていたのかはわからないけれど、プロテスタントの思想が根本にあったのだな、と思うと合点がいくことがある。

 

 

印象に残ったものから、いくつか覚書。

 


土用の丑の日に食する

先生は、鰻が大好きで、お気に入りのお店にいくために、埼玉まで遠征することもあったと。鰻は、栄養価が高く、少量で高カロリーを得られる。100 g のうなぎから340キロカロリーを摂取できてビタミン類や DHA コラーゲンも豊富、と。

土用の丑の日にうなぎを食べる習慣は由来に諸説あるけれど有名なのは平賀源内が広めたという説。そして万葉集から鰻にまつわる歌を紹介されている。

「石麻呂にわれ物申す夏痩せに良しといふ物を鰻取り食せ」 (大伴家持

意訳すると

「石麻呂さんに申しますよ。夏痩せに良いそうですから、うなぎをとって食べてくださいな」

と。

夏痩せはしていないけど、鰻が食べたくなった。

 


・病院で祝うクリスマス

聖路加病院では、クリスマスイブの午後コンサート、礼拝、聖歌隊の歌、と音楽にあふれたクリスマスなのだそうだ。礼拝に出てこられない患者さんのために、聖歌隊が病室をまわる「キャロリング」も行われる。

今でこそ、12月になれば街中がクリスマス色に染まる日本だけれど、信者以外の人々にクリスマスが普及したのは、明治時代になってからだそうだ。

社会事業家の原胤明が、洗礼を受けてから、その受洗への感謝の気持ちとしてお祝い会を開催したのが始まり、と。彼は、裃を付け、大小の刀をさし、ちょんまげのカツラを被った、殿様風のサンタクロースに扮したのだとか。ちょっと、笑っちゃった。

 


・絵本が育む親子のきずな

子供向けの本に感心が強いという日野原先生が、最近読んだというお薦めの2冊。

『おへんじください』(偕成社

『まるごとたべたい』(偕成社

「くろくん」「とらくん」というネコが主役の絵本だそうだ。

二匹の友情のものがたり。ちょっと、読んでみたくなった。

 


・東京駅の今昔物語

東京駅は1914年12月20日に開業建築学の大御所、辰野金吾博士(1854~1919)が設計。当時は、中央停車場とよばれていて、東海道線の起点の新橋駅と東北の玄関口の上野駅を結びつける駅という意味だったそうだ。

1905年、日露戦争に勝利し、大国ロシアを破ったという自負が芽生えた日本は、国の玄関口とし諸外国に見劣りしない立派な駅にしたいという要望が高まった。そして、できたのがあの赤レンガの建物。今でも美しい。

美しい。そうか、でも、そういう時代の中でつくられたのか。。。。

深いなぁ。。。と思った。

 


地球的視野の復興計画

2005年に書かれたエッセイ。1995年の阪神・淡路大震災から10年の時のエッセイ。2004年の新潟県中越地震スマトラ沖大地震、についても言及されている。

先生は

21世紀は大災害に対して、地球上の国々が一つに集結して備えをなす世紀だということを認識したいものです。”

と。

天災は、備えるもの。

戦争のような人災は、備えるものではなく、抑止するべきもの。

武力ではない抑止力とはなんなのか、、、と、ふと思う。

 


開戦日を風化させるな

先生は、8月15日の終戦記念日だけでなく、1941年12月8日という真珠湾攻撃の日を忘れてはいけない、とおっしゃっている。 

日本は、事前の通告もなく、一方的に真珠湾に停泊中のアメリカ軍艦を攻撃し、撃沈させた。子どもでも分かる、卑怯で、武士道に反した行動。日本がそうした卑怯なことをした日を忘れてはいけない、と。満州事変、南京攻略、捕虜兵の生体実験。。。

日本軍の残虐行為は、一般国民にはまったく知らされていなかった。戦況は良いニュースばかりが流された。。。

不幸な戦争が始まった12月8日を忘れてはいけない、と。

終戦の日原爆の日、、、そもそもその不幸を自ら始めたのは、12月8日。それを忘れてはいけない。

本当に、そう思う。

でも、私は、これまであまり気にしたことがなかった。

12月8日、見つめ直そう、と思った。

 


平和を守る「勇気」とは

先生は、「戦う勇気よりも平和を守る勇気が必要」だと。ほんとに。

このエッセイの中で、ご自身の「よど号事件」の経験が語られている。なんと、先生は、あの日本赤軍による「よど号ハイジャック事件」の飛行機に乗っていたのだそうだ。富士山上で、「この飛行機をハイジャックする。北朝鮮へ向かう」と犯人の若者たちに宣言されたときはショックだった、と。

犯人の一人が、金日成の伝記、伊藤静雄の詩集などの読み物があることを告げ、読みたい人を募った。最後にカラマーゾフの兄弟の書名が告げられた時、先生は縛られた手を挙げた。文庫本が膝におかれた。先生は、「これがあれば何日拘束されてもやることがある」とおもい、早速読み始めたのだそうだ。。。

すごい、心臓だ。。。。そして、こうした危機的状況においても、度胸や勇気を失わずにいたのは、ウィリアム・オスラー博士の『平静の心』(医学書院)の本のおかげだった、と。

勇気とは、平静の心、ということなのかもしれない。

 


本当に、さまざま話題が取り上げられていて、最後まで飽きずにあっという間に読める一冊。

 


やっぱり、随筆とかエッセイとか、好きだなぁ、と思った。  

 

先生の言葉は、一つ一つにその重みを感じる。

それでいて、ユーモアも交え、ほんとうに飽きずに読める一冊。

 

読書は、楽しい。