『和の思想 日本人の創造力』 by  長谷川櫂 (その2)

和の思想 日本人の創造力
長谷川櫂
岩波現代文庫
2022年7月15日 第1刷発行

 

昨日の続きを。。。

 

ちょっと、重いなぁ、と思った話題から。

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』の問題点、それは日本人を卑下したような表現も含まれているということ。
白人の中に交じって談笑している日本の女性は、すぐに見分けがつく、と書いている。
「皮膚の底に澱んでいる暗色」を消すことができないから、、、と。
それは、
「白紙に一点の薄墨のしみができたようで、、、」と。
日本人女性を、汚物であり、目障りとまで言っているのだ。。。

西洋化を成し遂げることは、白人になることであったとでもいうのか。。。。
著者は、「愚かな自尊心」と言っている。
ここに描かれている人種観は、ナチの人種観とおなじものである、、、と。
結構、考えさせられる。

そういう時代だったのか、、、、、、。いや、未だに、西洋コンプレックスはあると思う。


少なくとも、私にはあると思う。仕事で、アジアもヨーロッパも、北アメリカ、南アメリカ、、どこに行っても、、、「東洋人のちっこい女」であるというコンプレックスがなかったと言えば、、、ウソだ。そして、アジアにいるとそのコンプレックスが薄れるのは、、、悲しいかな、、事実だ。だって、白人に比べれば、見た目には似ている。
まぁ、やっぱり体の大きさが違う。。。ブラジルやアメリカなんて、体の大きさで圧倒されそうになる。。。とはいえ、仕事上でコンプレックスを感じたことはないけれど、なんというのか、間違いなく違う人種であり違う文化で育ってきた人たちであり、だからこそ全身全霊で仕事をした、、ともいえるかも。
コンプレックスで卑屈になるようなことはなかったけれど、必要以上に片意地はって頑張っていたかもしれない。。。振り返ってみると、思う。

時代の価値観なのかな。
谷崎も、ガングロが流行る時代が来るとは、まさか思っていなかっただろう、、、、。
そして、やはり、ガングロは長くは続かなかった、、、ね。
流行りといえばそれまで。


そして、「和」について。
「世間では似たもの同士が仲良くやっている状態を和と呼んでいます。逆に自分たちと少しでも違うところのある人が現れると、和を乱すものとしてイジメたりします。(中略)はたして、似たもの同士の和気藹々を和と呼んでいいかどうか。それは和ではなくただの馴れ合いに過ぎないのではないでしょうか」
と。
強く共感する。
馴れ合いを、仲良しと勘違いしている人は、会社によくいる気がする・・・。

先日、仕事仲間から、「○○さんは、外様だから」と言われたことがある、という話がでた。。。外から役員としてお仕事された方が、社内の人からそういわれたことがある、と。

「和をもって尊し」って、なんだろうねぇ、、、。


「間」の文化について。
「西洋画の場合、余白があれば未完成の作品とみなされる」
長谷川等伯の「松林図屏風」では、松をかいたのではなく、霞をかいたのではないか、、と。あぁぁ、、、それ!!、日本画にはよくある。空気、風、霞を描くために、木を描く。波を描く。。。
そして、セザンヌのサント・ヴィクトワールの絵と比べて、それは、輪郭こそ朦朧となっているけれど、全てが埋めつくされている、、と。
日本画と西洋画の違い。そう考えると、日本人が描いても、なんか白っぽくても、藤田藤嗣の作品はやっぱり洋画なのだ、なんて思った。

松林図屏風は、以下のリンクから。。。

emuseum.nich.go.jp

 

そして、話の間、人と人との間、行間を読む、、、「間」というのは、空白であり、でも空白はその周りがあって空白になる。。。

生け花も言及されている。そうなのだ。西洋のフラワーアレンジメントは、空間を埋め尽くす。日本の「華道」の基本は、「空間」を作り出す。天地人を基本として、空間を作るのが華道。

日本人の人と人との「間」の取り方は、西洋とは違う。であっても挨拶して頭を下げるくらいで、西洋のようにハグしたりしない。その「間」をとる習慣は、日本の蒸し暑い夏をいかに快適に過ごすか、という「夏」の過ごし方の工夫から来たのではないか、と。たしかに、べとべと汗かいているところでハグはしたくない・・。

冬より夏に、日本をみているところが面白い。でも、確かにそうかも。

 

歴史のミニ知識。
・9世紀前半の「三筆」空海(774~835)、嵯峨天皇(786~842)、橘逸勢(たちばなはなやり)(782~842)。

平安時代中期の「三跡」小野道風(894~967)、藤原佐里(944~998)、藤原行成(972~1028)

先日、歴史の勉強をしていて、「三筆」と「三跡」がでてきて、そんな人しらんわ、、とおもったのだけど、こんなところでさらっとでてくるとは、、、。

書の話の中ででてきた。

 

そして、得意の俳句の話の中では、
「古池や蛙飛こむ水の音」 (芭蕉

もう、誰もが聞いたことがある俳句だろう。

この句は、いままで、「古池に蛙が飛びこんで、水の音がした」と解釈されてきたけれど、著者は、そうではないと解説する。

この句は、
「蛙が水に飛びこむ音を聞いて、心の中に古池の面影が広がった」
と言う意味なのだそうだ。
ほほぉぉ!!なるほど。

蛙が水に飛び込んだのは、現実の世界
それに対して、古池は芭蕉の想像力が出現させた幻影、つまり心の世界の出来事。

この句の後の芭蕉の俳句は、多くが現実と幻影の世界を重ねているのだという。この句をつくったころから、心の世界を開いた句をつくるようになったのだ、と。 
なるほど!!

 

いやぁ、面白い。

 

桜の話では、日本で桜と言えばもともとは山桜だ、と言う話。そうなんだよね。先日、本居宣長の勉強会でも、話題になった。桜が満開、といわれるとソメイヨシノを思い浮かべてしまうけれど、かつての日本人が魅了されたのは、山桜なのだ。ソメイヨシノのように、花が満開になってから葉がでるのではなく、葉も花も同時に出るし、色合いも花びらも、、ずっと地味だ。

でも、それが、昔の桜だった。

桜の風景と言えば、山桜だったのだ、、、。

「サクラチル」も、満開が散るのではなく、もっと儚く、、地味に散ったのだ、、、。

 

「しきしまのやまとこことを人とはば朝日ににほふやまざくらかな」(本居宣長

 

大和心とは、闘いに挑む大和魂とは真逆のものだったのだ。本居宣長は戦争に散る命を賛美したことなどない。最近の宣長研究では、そういう意見の方が多い。

 

やまざくらは、果敢に散って行ったりしない。

地味に、、、静かに、、、ちっていく。

 

最後の章に、著者の「和」に対する想いの総括のような文章がある。

 

日本と言う島国は、昔から何もない空間に、さまざまな異質の外来文化を受け入れ、そこからこの国の夏にふさわしいものを選び出し、さらに人々の生活にあわせて作り変えてきたこと。この受容、選択、変容という一連の運動こそが和の創造力であること。

純日本風といっても、すべてはこうした創造力から生まれた産物であり、結果に過ぎないのだ、と。

 

「和風パスタ」とか、「和風デコレーション」とか、、、「和風」と言う言葉を何も考えずに使うことがあるけれど、「和の思想」の創造力と言う視点で考えると、なるほどなぁ、と思う。

 

和菓子が、江戸時代末期までに日本で完成されたお菓子、、、という定義はちょっとびっくりだったけれど、「時」で区切らないといけないくらい、曖昧なものでもあるのかもしれない。

100年後には、和菓子は、「昭和末期までに日本に完成されたお菓子」とかなっているかもしれない。。

 

不易流行

いつの時代も、時は前に向かって流れている。

 

今を大切にしよう。

「和」を大切にしよう。

 

なかなか、良い一冊だった。

日本を誇りたいと思う人に、お薦め。