大阪ことば学
尾上圭介
岩波現代文庫
2010年6月16日第1刷発行
*本書は1999年3月創元社より単行本として、2004年講談社より講談社文庫として刊行された。
とある勉強会の課題図書だったので、買ってみた。
表紙の裏には
”客のややこしい注文には「惜しいなぁ、昨日まであってん」と切り返す。動物園の檻の前の立て札には「かみます」とだけ書いてある。距離を取らずにさっぱりと、聞いて退屈せんように、なんなと工夫して話すのでなければ、ものを言う甲斐がない。誤解されがちな言葉の意味と背後にある感覚を、鋭く軽快に語る大阪文化論。”
著者の尾上圭介さんは、1947年大阪市淀川区生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。学生時代は落語研究会に所属。専門は日本語学、特に文法論。日本笑い学会理事。
はじめに、金田一春彦さんの「大阪商人の秘けつがわかる『ことば帳』」という序文が付いている。これは、単なる文法の本ではなく、生きた大坂の言葉の本である、と。著者の尾上さんは、金田一さんの東大の教え子なのだそうだ。
感想。
じつに、楽しい。愉快だ。おおさか弁、愛すべし。。。
関西の人にとっては、大阪、京都、神戸、、、赤穂、、、どこにいってもそれぞれの言葉は違うのだろうけれど、やはり関東人にとって、代表的関西弁といえば、大阪弁だろう。なんせ、大阪のおばちゃんパワーは、、、、言葉にはできないすごさがある。吉本新喜劇の影響もあるかな。
文法論や、発話論のような真面目な解説もあるし、ほんまかいな!と突っ込みたくなるような、笑いもある。ほんと、なかなか面白い。
そもそも、課題図書として薦めてくださったのが、元官僚で東大の教科書も書かれているような方だったので、どんな難しい本かと思ったら、、、楽しく読める一冊だった。
目次
第一章 なんなと言わな、おもしろない
第二章 せっかくものを言うてくれてるのやから
第三章 ネンが足らんは念が足らん
第四章 言うて、言うてや、言うてんか
第五章 理づめで動くが理くつ言いはきらい
第六章 よう言わんわ
第七章 ぼちぼち行こか
第八章 待ってられへんがな
第九章 大阪弁は非能率的か
第十章 大阪弁は非理論的か
第十一章 笑い思考と饒舌の背後にあるもの①
第十二章 笑い思考と饒舌の背後にあるもの②
最初に、平成7年1月、阪神大震災での被災者の言葉が紹介されている。恐ろしい経験をした後、そのことを電話口で一生懸命話してくれたのだが、文字にしてみるとどこかにユーモアがある、と。暗い話を暗くしてもしかたがないではないか、、と言う感覚が、この地域の人々にはあるのではないか、と。
「なんや急に体がほり出されて、まっ暗な中で一体なにがどないしたんかいな思て、ゆっくりみたら、二階で寝てたはずが一階で寝てまんねん。はぁ、一階がのうなったんですわ。」
と、そんなエピソードから、なんとなく本書は面白そうな予感。
セアカゴケグモとかいう毒グモが発生しているというニュースの中、街頭インタビューでは、
「毒グモがいたら、どうしますか?」との問いに、
「そら、たたき殺すわ」と応える年配の主婦。
そんな、殺すにきまっている。そんな当たり前のしょうもないこと、聞いてくれるな、と言う思いが、「そら、たたき殺すわ」という一言になった、、、と。「きゃ~~こわ~~い」とか「どうしよう」とか、面白くもない答えさせんといて、、、って感じ。
たしかに、同じ質問を都内でしても、「こわいですねぇ。。」というつまらない答えしか帰返ってこないかもしれない。。。
また、
「いてる、いてる」
「聞いた、聞いた」
「あった、あった」
など、大阪弁は、二度繰り返すことが多いのは、一回ではあいそがないという気持ちが働くのだろう、、と。
「今日は暑いなぁ」
「暑いねぇ」
より、
「今日は暑いなぁ」
「暑い、暑い」
の方が、あいそがある感じ、、わかる気がする。
簡単な言葉でも二回くりかえすことで、なんとなくあいそを感じる。
「ごめんください」
「はい」
より、
「ごめんください」
「はい、はい」
言いようによっては、あいそと言うより、おざなりな感じもしなくもないけど。
高いトーンで、「はい、はい」と言われるとなにか親し気な感じがしなくもない。
第五章の理屈言いはきらい、の話の中では、大阪の人はシンプルに要点をいってもらうのが好きだと。
どこの動物園でも、トラなどのオリの前には
「危険ですから手や顔を近づけないでください」等と書いてある。
これが、関西に来ると、
「かみます」
となる、と。
そりゃ、かまれるんだったら、近づかないわ、、、、。
電車の扉にはられた「戸袋にご注意ください」も、関西に行くと
「指づめ注意!」となる、、と。
駅のホームには、「のりば」と書いてあると。
乗るところなんだから、のりば、、、でも、関東ではあまりみかけない文字かも。
「よう言わんわ」という言葉は、大阪の知人が結構よく使うのだけれど、なんとなく「よくそんなこといえるねぇ」とか「ばかいっちゃぁいけないよ」とか、そんなニュアンスなのかと思っていたら、これは、
「当事者離れ」という技なのだと。
二人の会話で、なにか見当違いなことがあったり、そんなのむしがよすぎる、、、みたいなときに、相手を責めたり非難するのではなく、第三者的な立場になって発するのが「よう言わんわ」だと。
ほほぉ、、何かわかる気がする。
「よう言わんわ」ということばによって、自分の能力不足を引き取って、「何も言えない」とギブアップしてみせ、「当事者離れ」をおこして見せる。天真爛漫な相手の要求におたおたしている自分自身を第三者の位置に飛躍させてしまう。
「あつかましいやっちゃな」
「おいおい、ええ加減にせいよ」
「そんなあほな」
ではなく、
「よう言わんわ」が、当事者離れになって、かどがたたない、、、って感じだろうか。
なんか、わかるからおかしい。
言葉のテンポの良さがあるのも大阪弁。
なんせ、大阪の人はイラチで敏捷でダイナミックに動くのがすきなのだ、と。
まぁ、あくまでも一般論であって、全員が全員、、ということではないのだろうと思うものの、たしかに、うんうん、なるほど、、、と言うことがいっぱい。
関東育ちの私が読んでいると、どれもがなるほどそうなのかぁ!!と感心しきりなのだが、これをこてこての大阪人が読むとどうなんだろう??なんて、思いつつ、楽しく読んだ。
言葉に関する話は面白い。
日本は、日本語と言う言葉を話す人がほとんどだけれど、日本人同士でも理解できていない方言はたくさんある。それでも、一応、なんとなく通じる。
直接、YES,NOと言わなくても通じる会話もある。
人間の言葉によるコミュニケーションというのは、すごい能力だ。
相手の言わんとすることを読み取る能力。
面白いなぁ。
言葉とリズム。
早口で話すのは、思考のスピードアップも必要だ。
まくしたてるような大阪弁も、思考スピードの速さを語っている。
関西人が、ボケと突っ込みがうまいのは、思考スピードも速いということなんだろう。それは、子供のころから「おもろいこと」をいわなきゃ、という環境で育ってきたということもあるのかもしれない。
実は、日英の通訳をしていても、言葉が聞こえても思考スピードと発話スピードがついていかないと、同時通訳はできない。活舌よく、スピードをもって話すというのは通訳にとって必須のスキルなのだ。逐次通訳であっても、英語と同じスピードで日本語を話せば倍の時間がかかってしまう。聞きやすく、早口で話す技術、実はとても重要であり、トレーニングのいることなのだ。
大阪弁の人が、大阪弁で日英の通訳をしたら、テンポよくなるのではないだろうか、、なんて思ってしまった。
言葉は、文化だ。
面白い。
ちなみに、帯にあった
「惜しいなぁ、昨日まであってん」
というのは、梅田の地下街の店で、好みのお財布を事細かに説明してくる客に対して、店主が返したというセリフ。
「黒のカーフの札入れで、マチが無くて、、、、の手触りのええの、ないやろか」
「惜しいなぁ、昨日まであってん」
ほんとは、最初からそんな財布はなかったのかもしれないけれど、無下に「ちょっとおまへんな」でおさめないあたりが大阪文化なのだと。
おもろいなぁ。