『日本国史の源流  縄文精神とやまとごころ』 by  田中英道 

日本国史の源流
縄文精神とやまとごころ

田中英道 
育鵬社
2020年10月1日 初版第一刷発行


とある勉強会で、「とんでも本と言われているかもしれないけれど、面白いから是非」と紹介されていた本。面白そうなので、借りてみた。

 

著者の田中英道さんは、昭和17年(1942年)東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また日本独自の文化歴史の重要性を提唱し日本国史学会の代表を務める。

なかなか派手な表紙。大きな文字が踊っている。


帯には、
「日本国は、どのようにして作られたのか?
日本人は何をよりどころにしてきたのか?
 『縄文精神』と『やまとごころ』の二つのキーワードから日本国史の本質を読み解く」 
と。

「やまとごころ」と「やまとだましい」は違うのだ、、という話は、長谷川櫂さんの『和の思想 日本人の創造力』にもでてきたけれど、日本人とは?をかんがえるときに「やまとごころ」は一つのキーワードなのだろう。

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最初に、ドイツの哲学者カール・ヤスパースは、人間の思想というものができてきたのはプラトンアリストテレスブッダ孔子の時代であるので、日本人は思想形成に関わっていない、と言ったようなことをいっていたということが言及されている。でも、作者は、夏目漱石は日本人の文化では美術が一番優れている」といった言葉を引用し、日本人は美術によって形象美をつくり、そこに思想もあったのだ、と言っている。形象美は、縄文の土器にも見られる、ということだろうか。
そして、ヤスパースも日本人の思想をよく理解していなかったかもしれないけれど、広隆寺の「弥勒菩薩」に、「人間存在の最高に完成された姿の表徴」の美しさを見出していることから、日本人は文字にせずとも人間実存の最高の理念を「美」で語ることをしてきたのだ、、、と。思想を表現するのは、言葉だけでない。ということらしい。

 

目次

第一章 縄文精神とは何か
第二章 『祝詞』の「大倭日高見国」とは何か
第三章 「日高見国」から「大和国」へ
第四章 神道としての縄文土偶・土器
第五章 神道の基本となる皇祖霊信仰
第六章 人物埴輪からわかるユダヤ人の「やまとごころ」
第七章 これまで無視されてきた秦氏の活躍
第八章 聖徳太子と「やまとごころ」
第九章 「やまとごころ」文明開化
第十章 稗田阿礼が語った『古事記』の世界
第十一章 奈良仏教と「古典文化」
第十二章 日本のミケランジェロ・国中連公麻呂の登場
第十三章 歌の殉死「海行かば」の歌人大伴家持
第十四章 疫病に勝った「やまとごころ」


どの章も話がバラエティーに飛んでいるというのか、話題が豊富。でも「日本という国は何なのか?」という大きな命題に挑んでいる?ので、広く長ーーい視野で考えると、なんとなく共通の視点があるようで、面白い。

 

第一章では、縄文時代に焦点。やはり、日本の文化の原点、ということだろう。今、日本中で発見される縄文遺跡は、地球が氷河期から温暖化が進んだピークの約6000年まえのものが多いのだという。著者はそのころから日本には、「国家」があったのだという。名前は、「日高見国」で、後に日本神話のなかで高天原(たかまがはら)」と呼ばれるようになる、と。その時代から、日本には豊かな自然があり、土器をもちいた加熱調理もしていた縄文人四季の移ろい、日本独特の美しい自然の風景が、縄文人を心豊かにし、日本人のDNAに刻まれていったのだと。
たしかに「火焔型土器」や「土偶」は、ただ機能性を求めただけでなく「美」の追求があったのだろう。

 

三内丸山遺跡では、お墓が見つかっている。死者を埋葬したというのは、死ぬと「仏になる」という神道の思想に繋がっていったのだろう、と。死体は動かなくても、御霊はそれと共に生きているという信仰は、死者の霊を祀るということとなり、それを村全体で共同事業でやっていなのだから、社会、国家があったのだ、、と、考えられなくもない。

また、三内丸山遺跡でみつかった6本の大きな柱は、考古学者は「物見やぐら」と考えているけれど、著者は「聖なる建築」であって、祭壇であったのだろう、と。日本では神を「柱」と数える。この柱は神に関係していたのだろう、と。
ちょっと、突飛だけれど、そう考えるとそうかもしれない、、、と言う気がしてくる。
神のもとに集まった人々。亡くなった人を祀っていた人々。
それは、一つの村であり、国だった、、と。

 

国民国家」という言葉は、フランス革命以降、、などと言われるが、縄文時代はすでに「国民国家」だったのだ、と。
なるほど。
大陸から稲作がつたわったことで日本が形成されたわけではなく、縄文時代から日本は国として形作られていったのだ、と。


第五章では、死んだ人がなぜ神様なのか??神道と皇祖霊信仰の話。日本の歴史でならう「古墳」も死んだ人のためにつくられている。死んだ人を、ただの動かなくなった肉体、とおもったならば、お墓を作ろうとなんてしなかっただろう。
死者の御霊を大事にするようになったのは、「神武天皇が死ぬと神になる」と人々がしんじたから、だそうだ。そもそも、「神武」と言う名前は、神になると信じていたから付けられた名前なのだ、と。
また、日本の前方後円墳のような古墳は、日本独自の建造物で、中国にも朝鮮半島にもないのだそうだ。そうか、それは、びっくり。古墳は、山を模したものであり、そこにも日本人が自然に神をみいだす思想がみられる、と。自然霊信仰と祖霊信仰はつながってきたのだ、と。

 

松本清張の言葉が引用されていて、面白い。二見ヶ浦の「夫婦岩」や吉野の「妹尾山」のように、似たようなものが二つの並んでいるものをみると、「一組の自然に畏敬の念を払う日本の風土にある原初的な信仰対象になるのだろう」と。
確かに、二本並んだ杉を「夫婦杉」として拝んだりするのは、日本人っぽい。

 

ちなみに、仁徳天皇陵が有名であるために古墳は近畿地方に多いと思われているけれど、実は、古墳の数は、1位は千葉県12750基もあるのだそうだ。奈良の9617基、大坂の3424基よりずっと多い。数で言うと、関東の方が関西よりずっと多いのだそうだ。

 

著者は、三内丸山遺跡や関東の古墳の数を言及していて、どうやら日本の始まりは東日本が重要な役割をはたしてきたのだ、という思想っぽい。

また、古墳だけでなく、人物埴輪も、関西より関東で多く見つかっているという。でもって、高天原は関東にあった」と考えているらしい。

 

人物埴輪は、すごく鼻の高いものがあったり、帽子をかぶっているもの、耳元には鬢(美豆良みずら)がついていたりするものがある。美豆良は、日本神話にでてくる神とか聖徳太子の神の特徴になっている、耳のところでおさげにしているみたいなやつ。でも、みずらがあるからと言って、日本人なのか??
著者は、帽子、あごひげ、みずら、、というのはユダヤ人の姿なのだ、と。古代ユダヤ教徒の独特の髪型がみずらとそっくり。「ペイオト」といって、耳の前の毛を伸ばしてカールさせるのだそうだ。

古代、大陸からの人々はお隣の朝鮮半島や中国から来たのではなく、もっと西からやってきたのだ、、と。

 

ユダヤ人が埴輪になっていたのは、ユダヤ人が日本にやってきていたからだ、と。

古墳時代に?!?!

ちょっと、突飛な気もするけれど、そうであったとしてもおかしくないかも。。。ユダヤと日本の類似性は、結構たくさんの説がある。

 

と、ユダヤ人に関する続きはまた明日。