『親鸞』(一)(二)(三)by  吉川英治

親鸞(一)(二)(三)
吉川英治
吉川英治歴史時代文庫 11,12,13
講談社
(一)1990年8月11日 第1刷発行
   2017年5月15日 第46刷発行
(二)1990年8月11日 第1刷発行
   2018年3月7日 第41刷発行
(三)1990年9月11日 第1刷発行
   2013年1月10日 第35刷発行

 

図書館の文庫本の棚で見つけた。親鸞五木寛之さんの『親鸞』も気になっていたのだが、やっぱり、歴史小説の元祖、吉川英治さんの文庫本を読むのが先だろう、、と思って、借りてみた。

吉川英治歴史時代文庫は、やはり、私にとっては歴史小説のバイブルのようなものだ。『宮本武蔵』、『三国志』、、、若い時に随分とお世話になった。まだまだ、読んでいない作品もたくさんあるけれど。

久しぶりに、歴史小説を手にした。

 

感想。
面白い。。。やはり、吉川英治の作品、好きだ。

そして、親鸞がどうしてそんなにすごい人のなのか、ちょっと、腹落ちした気がする。

読んでよかった。

 

親鸞(一)には、序に著者が本書を書くに至った経緯、親鸞への想い、などが綴られている。歎異抄にふけっていた青年のころから、自分の思索に親鸞の姿があったのだという。死ぬまで愚痴鈍根の断ち切れない人間としての親鸞が好きだったのだと。また、自身の作家生活と親鸞とは忘れえないものがあるとも。吉川英治の初めての小説が親鸞だったのだそうだ。新聞に連載し、製本して出版しようとしていた矢先に関東大震災で、処女作は焼けてしまった、、、。中年(30代?)になって、二度目の親鸞を書いた。そのときに、50代になったらもう一度書き直したい、、といいながら書いていなかった。ということで、本書は、再度加筆校訂をして再出版ということなのだそうだ。

時代が時代なだけに、伝記の史料は限られていたようだ。著者の言葉を引用すると、
親鸞の出現は、その時代にあっては、実に宗教の世界ばかりでなく、思想の上にも庶民生活にも劇的な変革を呼び起こした先駆者の炬火そのものだった
 久しいあいだの貴族宗教の弊や門閥教団の害を彼は打ち破った。。。
その親鸞においてすら、伝記の資料となると、偶像の瑶珞(ようらく)や粉飾とひとしく、あまりに常套的な奇蹟や伝説が織りまぜられていて、これの科学的な分解と小説的調整は、決して容易なことではない。”。

 

歴史小説は、どこまでが史実なのかわからないことがあったとしても、時代の流れ、そのときの社会の様子などが、ストーリーとしてうまく組み込まれていれば、歴史として楽しみながら学ぶ事ができる。そういう点で、吉川英治歴史時代文庫は、すばらしい。

それにしても、親鸞(一)(二)(三)、読み応えがあったのと、読んでいて面白かった。

あえて、ストーリーは覚書にしないけれど、読んでよかった。

 

以前、「善人なおもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」ってどうい意味なのか、、と、ブログに書いたことがあるけれど、念仏さえ唱えていれば救われるという親鸞の考えは、私の思想とは合わない、、、とかいた。
でも、ちょっと、違っていたかも。

megureca.hatenablog.com

そうか、、悪人って、、、そういうことか。。。と、ちょっと目からうろこだったのだ。

 

本書の中には、何人もの悪人が出てくる。まさに、親鸞を貶めようとするひとだったり、市井の人々から物を盗む、娘を盗む、盗人集団だったり。そして、その人たちが、親鸞を憎めば憎むほど、親鸞のウソ偽りのない生き方に、まいってしまう・・・。

そう、弟子入りしてしまうのだ。。。

 

物語の概要は、本の紹介に任せよう。裏表紙の紹介から、

(一)
義経が牛若といって鞍馬にあった頃、同じ源氏の血をうけて十八公麿(まつまろ)(親鸞)は生れた。平家全盛の世、落ちぶれ藤家(とうけ)の倖として育った彼は、平家一門のだだっ子寿童丸の思うままの乱暴をうけた。彼は親鸞に生涯つきまとう悪鬼である。9歳で得度を許された親繋の最初の法名は範宴。師の慈円僧正が新座主となる叡山へのぼった範宴を待っていたのは、俗界以上の汚濁であった。

(二)
大盗天城四郎の魔手から玉日姫を救い出したのは、範宴である。その日から範宴はもの想う人となった。甘ずっぱい春の香りは、払えども払えども、範宴を包む。禁断の珠を抱いて、範宴はみずからおののく。京の夜を煩悩に迷い狂う範宴!追い討つように、山伏弁円は彼に戦いを挑む。信仰の迷いに疲れた範宴は、このとき法然を知る。奇(く)しき法然との出合い。親鸞の大転機であった。

(三)
美しい玉日の代りに善信(親鸞)が得たものは、宗門を挙げての非難、迫害であった。それは、法然、滋円、親族にも及ぶ糾弾であった。遠流も辞せず!善信の不退転の決意は揺るぐことなく、未曽有の法難に耐えぬく。――発表当時、菊池寛は、「親鸞の信仰は時代を抜きにしては語れない。この時代の中に親鸞を捉えるという大手腕は、この著者をおいては考えられない」と絶讃した。


物語は、親鸞が生まれる前の社会の様子から始まる。平氏 vs 源氏で、殺伐としている時代背景が描かれる。そんな時代に生まれた親鸞。源氏の血がながれていることから、平氏に疎まれ、戦乱に巻き込まれることを恐れた養父は、十八公麿(まつまろ:のちの親鸞)を慈円のもとで弟子としてもらうことを望む。それよりも前から儒学者のもとへ学びにいっていた十八公麿は、9歳という幼さで、家族の元をはなれ、出家することを自ら望んだ。

そして、初めて慈円のもとを訪れ、中務省から得度御印可を待っているとき、夜も更けておそくなったので、
「明日か、明後日、まいらば、十八公麿をとものうてござれ。それまでには、官のこと、一切、御印可をいただいておくが」と慈円に言われ、
「ではそう願いましょうか」と養父、範綱が答えたとき、9歳の十八公麿が童歌のようにうたったのが、

「あすありと
おもうこころの
あだざくら
夜半にあらしの
ふかぬものかは・・・」

と。

先日、世語としてブログに書いた、親鸞の詩。

megureca.hatenablog.com

 

9歳の親鸞の詩。
やっぱり、普通じゃない。。。

親鸞は、最初は、慈円のもとで修行し、慈円とともに比叡山へ登る。20年ほど修行を続けたのちに、まだ、様々な煩悩とたたかっていた親鸞は、法然上人のもとへ新たな心で修行を開始する。

念仏をとなえれば浄土へいけるという浄土宗は、人々の心を掴む。一方で、従来の宗教から強い批判を受ける。そして、法然親鸞も、流罪になる。

十八公麿は、修行を摘んでいく過程で、名前を変えていく。昔はそういうものだったのだろう。成長とともに、名前を変えていく。

十八麻呂
範宴
綽空
善信
愚禿親鸞
・・・親鸞

親鸞は、流罪になって越後(新潟)で生活をすることになるのだが、それを「地方の人々にも教えを伝えられる良い機会がえられた」という。

スケールの違う人だ。

 

物語の中で親鸞は2回結婚している。
僧侶が結婚するなんて、当時は性欲は煩悩の一つで妻帯するなどというのは常識外れだった。

しかし、一般の人々と同じように、煩悩もあるのが僧侶であり、だからこそ修行に励むのだという親鸞のまっすぐな想いは、法然にも伝わり、妻帯することを許される。しかし、一度目の結婚の相手、玉日は、一人の子をもうけたものの、親鸞が越後に流罪にされている間に、病から亡くなってしまう。

流罪が解かれたのち、妻子のもとへと京への路をいそいでいた親鸞の元に、その訃報は届けられ、京へむかっていた親鸞は、京へ向かうことをやめてしまう。

そして、地方での布教をしてくなか、ふたたび、人々と同じよに暮らすためにも、妻帯するべきと考えて、結婚する。その相手が、恵信尼なのだろう。

物語には、十八公麿の時代から親鸞を支え続けた世話役の性善坊をはじめ、沢山の親鸞支持者が登場する。また、敵も登場する。幼少のころから十八公麿を目の敵にしていた平家の寿堂丸。平家も落ちぶれていく中、かれも仏門にはいるのだが、どこまでもひにくれていて、いつまでも十八公麿をライバル視して、相手をやっつけることばかりを考えている。親鸞を殺すためならなんでもする、、まさに「悪人」代表のように描かれている。

 

物語の最後には、この寿堂丸ですら、とうとう親鸞の言葉に心を打たれる。親鸞をこらしめようと親鸞の元を襲いにきた寿堂丸、改め弁円。

「うぬっ、ここへ出て失せたが最後!」手に刀を振るわせて、押し入る。

すると、

”ーサラと簾を片手で上へかかげて、親鸞はそこから半身をみせた。そして、朱泥で描いた魔人のような弁円の顔をじろと眺め、その眦に、ニコリと長い笑み皺を刻むと、

「オオ」となんのためらいもなく、懐かしい人にでもせっするようにいって、つかつかと竹縁の端まで踏み出してきたのであった。

「誰かと思うたら」

手をさし伸ばさないばかりの親鸞の様子。。。”

憎悪に満ちていたはずの弁円は、だんだんと力が抜けていく自分をどうしようもなかった。。。。そして、親鸞が自分を懐かしんでくれることに、恨みの心は消えていく。

ついには、「あぁっ、おれは過っていた・・・」と泣き崩れる。。

そして、親鸞は幼き頃からの友をもてなすように弁円にかたりかけ、弁円は親鸞に弟子入りすることをお願いし始める。

「いやいや、お言葉が違う。若年のころはいざ知らず、近頃に至って、親鸞が密かに思うに、この愚禿が人に何を教えてか、弟子をもつなどといわれるより、それゆえに親鸞は一人の弟子も持たぬものと思いとります。身のそばにいる人々は、みな如来の御弟子、本願の同行」

と、弟子にするなどということではなく、ともに学ぼうと語り掛ける。

こうして、弁円をも虜にしてしまった親鸞

でも、物語を読んでいると、あぁ、こういう人はきっといたのだろう、、と言う気がしてくる。

親鸞の言葉を伝えたくて、『歎異抄』を描いた唯円の気持ちがわかる気がしてきた。

 

いつも読書マインドマップにつかっているスケッチブックに、人物相関図をかいていたら、いっぱいいっぱいになった。。。

 

読み応えがある3冊。

けっして、難しいことはない。

淡々と、親鸞の生きざまが語られている。

さすが、吉川英治だなぁ、、、と思う。

 

歎異抄』にこころうごかされたことがあるのなら、『親鸞』を読んでみることをお勧めする。

本当に、面白い本だった。

久しぶりに、あぁ、読んでよかったぁ!!!と、思わず、ニンマリするくらい、面白かった。

 

親鸞、かっこいいなぁ。

まっすぐに、謙虚に生きる。

煩悩もある、悪事もする。それが悪人であり、凡人であり。

そういう人が救われるのが、親鸞の教えってことか。

 

「善人なおもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」

その意味が、ようやく腹落ちした気がする。

 

そして何より、

「この愚禿が人に何を教えてか」の言葉に強く共感する。

 

世の中には教師であったり講師であったり、人に何かを教えることを生業としている人がいるわけだけど、本当は人に教えることで自分が学び続けるのが教師であり講師なんだろうな、と思う。

 

私が誰かに何かを伝えるのであれば、そうありたい、と思った。

誰かになんかを教えるなんておこがましい。

教えることで、自分が学ばせてもらう機会なんだと思う。

 

う~~ん。親鸞。面白かった。

これは、またいつか読み返す気がする。