「下載清風付与誰」
下載(あさい)の清風、誰にか付与せん。
碧巌録 第45則
全生庵、平井住職に教えていただいた言葉。
先日、全生庵での秋の坐禅会に参加してきた。コロナ前は、秋の坐禅会は三島の龍澤寺まで出向いていたのだけれど、今年もコロナのために三島へは行かずに、全生庵にて実施。
20分、2回の坐禅。
外は、虫の声。窓を解放した本堂へは、涼しい風がそよぐ。
お堂での秋の坐禅は気持ちいい。
暑くもない。寒くもない。最高の気候の中での坐禅会だった。
風が気持ちよかった。
当日は、日暮里駅には早くに到着していたのに、うっかりマックで読書に夢中になり、気が付いたら開始時間まで25分。「夕焼けだんだん」の横の坂を駆け下りて、ちょっと小走りで全生庵に到着。あぁ、、、出だしから心穏やかでない。。。
でも、マスクを外して、秋の夜の空気をいっぱい吸い込みながら坐っていたら、心が落ち着いてきた。。。
遅刻しそうになって動揺したこと、週末に懸案事項があること、、、などなど、、、ちっとも頭も心も空っぽにならず、、、2回の坐禅があっという間に終わってしまった。。。
あぁ、、、無になれなかったぁ、、、、と思っていたところに、今回の住職のお話。
「下載(あさい)の清風、誰にか付与せん。」
意味:
下載(あさい)とは、船が積み荷をすべて下ろしてしまうこと。荷物を下し終え、せいせいとした清風が吹き渡っている、この清風を感じることができるのはいったい誰であろうか。
住職のお話。
人は考える、 四六時中色々なことを考える。考えるからこそ新たな発見もあるわけだが、時に人は考える事によって現実以上の不安や悩みを想像し、自ら想像した実際にはありもしない不安や悩みに苦しめられることがある。
そんな時、静かに姿勢を整え呼吸を整えて坐ることによって、頭に上ったち血を下し、気を丹田に満たしめることによって、不安や悩みを解消することができる。そうすれば全身になんとなく心地よい清風を感じることができるであろう。
住職は、鐘や木魚の話をされた。
「鐘も木魚も、みんな空っぽでしょ。中は空っぽなんです。だから、いい音が鳴るんです。これが、中がつまっていたら、音は響かず、濁ったものになってしまう。」
人間の心も、色々詰まりすぎていると、いい音が響かなくなる。清風は吹き渡らなくなる。
だから、空っぽにしておくことは大切なんだよ。
って、そんなお話だった。
詰め込みすぎの人生は、清風を感じることを忘れてしまうかもしれない。
秋の心地よい風を感じながら、あぁ、、、清風を感じられる自分でありたい、、と思った。
虫の音につつまれ、そよぐ風にだかれる幸せ。。。
一休み、一休み。
詰め込みすぎず、たまには空っぽになろう。
空っぽになれば、またそこに満たすべきものが満たされていく。
何を満たすかを決めるのは、自分だ。
自分のために、たまには、空っぽになろう。