『春宵十話』 by  岡潔

春宵十話
岡潔
角川ソフィア文庫
昭和44年11月10日 初版発行
平成26年5月25日 改版初版発行
平成26年8月30日 改版再版発行

 

岡潔さんの本で、様々なところで引用されている。今更ながら、初心にかえって、読んでみた。今月の有志勉強会のテーマは「日本語」なのだ。だから、岡潔を再び手に取ってみた。

やっぱり、いいなぁ、と思う。
数学は数字ではない。数学に大事なのも情緒であり、日本語なのだ。

岡さんの言葉を借りると、
”数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つであって、知性の文字板に、欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである。” 

数学とは、芸術である。
うん。それがいい。

そして、

”数学の役目というのは、機械にできないことをやるということになります。それは、調和の精神を教えるということであります。”

と、数学を志す人への言葉として記している。機械が発達してくると、人がやることは機械にできないことであるべき。今の言葉におきかえれば、AIができることはAIにやらせて、人はAIにできないことをやるべき、ってことかな。

 

岡潔さんは、1901年大阪生まれ。京都帝都大学卒業。フランス留学を経て、帰国後、広島文理科大学、北大、奈良女子大で教鞭をとる。後年、多変数解析函数の分野における超難題、「三大問題」を解決し、数学者としてその名を世界に轟かせた。1960年に文化勲章を、1963年に本書で毎日出版文化賞を受賞。1978年没。多くの名随筆を残した。

多変数解析函数論が、何なのか、、、は、さておき、岡さんは数学者だ。だけど、思想家でもある。情緒、日本語の大切さを様々な著書の中で語られている。

本書が最初にまとめられたのが、1963年。毎日新聞に連載されたエッセイが本として出版されたのだ。岡さん、文化勲章を受賞し、さらに還暦をすぎてからのことだ。
だから、日本中の人がその言葉の重さを感じたのだろう。出版されるやたちまちベストセラーとなり、岡潔は一躍ブームの人になったそうだ。

私の生まれる前のことだから、まったく、しらない。
私が、岡潔に興味を持ったのは、ほんの一年前のことだ。

 

でも、本書を読んでいて、岡さんが奈良女子大で教えていたということを知り、高校三年生の時、担任の先生が、私に奈良女子大を受けろと言ったのは、数学の勉強を続けろってことだったのかな?と、ふと思った。彼は、数学の教師だった。そして、私が微分積分や幾何の授業でつかう解法がユニークだと言って面白がる人だった。私は数学が好きだった。でも、数学じゃぁ、食べていけない、、、と思ったから、生物化学、バイオテクノロジーの世界を進学先に選んだ。

高校生の時に、岡潔の本を読んでいたら、もしかしたら数学の道を選んでいたかもしれないなぁ、、なんて思った。
いや、高校生の時には、岡潔の言う、情緒とか日本語の大切さとか、わからなかったかなぁ、、、。

まぁ、いずれにしても、本書は岡潔の入門編だろう。脱サラして時間のある今だから、楽しく読めるのかもしれない。

 

こころに響いたことを覚書。

「発見の前に緊張と、それに続く一種のゆるみが必要ではないか」、という話。
アルキメデスは、「わかった」と叫んで裸で風呂を飛び出し、走って帰った。考えて、考えて、その緊張の後のお風呂でゆるんだときに、発見したのだ。
また、岡自身も、何か月も難問に立ち向かって張りつめていたあと、難問は解けないままに、昼間は子どもと遊び、夜はホタルをとっては放して、とのんびりと過ごしていたら、突然難問が解けてしまったという。
戦争中になかなか解けずにいた難問は、どうしてもうまくいかなかった。終戦の翌年に、宗教にはいり、なむあみだぶつととなえて木魚をたたく生活をしていたら、ふと解けてしまった、と。

緊張し続けていては見えないものが、ふと、ゆるんだ時にみえてくる。
ちょっと、わかる気がして、あぁ、、、こんな天才でもそうなんだ、、、とちょっと感動。

仕事も勉強もいいけど、休憩も大事だ。
だいたい、人間の緊張や集中はそんなに持続しない。
やすむって、大事。

 

岡潔は、戦後、人々が米国人に対してコロッと態度をかえていくことに戸惑い、仏教に救いを求めている。だから、木魚をたたく生活をしている。そして宗教については、
”宗教はある、ないの問題ではなく、いる、いらないの問題だと思う”といっている。
“戦争中を生き抜くためには理性だけで十分だったけれども、戦後を生き抜くためにはこれだけでは足りず、ぜひ宗教が必要だった。”と。

いる、いらないの問題。
自分の弱さを認めずにいると、「いらない」でいられるのかもしれない。。。
まあ、宗教については、いい、悪い、の問題でもないだろう。


夏目漱石の作品について。
”情操が深まれば境地が進む。これが東洋的文化で、漱石でも西田幾多郎先生でも、老年に至るほど境地がさえていた。だから漱石なら『明暗』が一番よくできているが、読んで面白いのは『それから』辺りで、『明暗』になると面白さを通り越している”、と。

漱石を読み直そう、、と思った。

 

教育について。
”人の子を育てるのは大自然なのであって、人はその手助けをするにすぎない。「人づくり」などというのは、思い上がりもはなはだしい。”

ほんと、そうだなぁ、、、と最近つくづく思う。
脱サラするときに、コンサルタントや講師業をしていくことを考えていたのだけれど、いやぁ、思い上がりだよな、と思うようになった。
伝えたいことを伝えるのは大切だと思うし、それが使命であっても悪くない。
だれかが、私の知識なりアイディアを必要としてくれているなら、100でも1000でも伝えたいと思う。
でも、自ら営業して売りさばくようなものではないな、、と、思うようになったのだ。
たんに、営業活動という仕事をしたくない逃げ口上かもしれないけど。

今は、おもったことを、こうして綴っていこうと思っている。 

 

岡さんは、文化勲章の授章式で、吉川英治さんにお会いしているのだそうだ。先日、何年振りかに吉川英治を読んだので、わぁ、こんなところにつながりが、、と、ちょっと感動。

 

短いエッセイがたくさん詰まった一冊。

ぱらぱらっとページを開いて、目についたところだけ読むのでも面白い。

 

今、コロナで色々なものの流れが止まったあとだから、余裕をもって読めるけれど、高度成長期にこの一冊を読んだら、もっと、インパクトがあったんだろうなぁ、と思う。

でも、今読んでも色あせていない。私自身が昭和育ちで、ふるい人間だからなのかなぁ、なんて。

 

 

やっぱり、読書は楽しい。