広告で目に入って、気になった。藤原さんの本だから、面白そうだと思って図書館で検索したら蔵書になっていたので借りてみた。
わりとすぐに借りられた。
藤原さんは、著書『国家の品格』で有名だけど、本業は数学者。1943年満州新京生まれ。新田次郎・藤原てい夫婦(ともに作家)の次男。東京大学理学部数学科卒業、同大学院修士課程修了。理学博士(東京大学)。コロラド大学助教授、お茶の水女子大学理学部教授を歴任。78年『若き数学者のアメリカ』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。
藤原さんの文章は、読んでいて面白い。さすが?!作家夫婦の子どもだ。
出だしから、いい感じ。
まえがき
”本書は、日本を代表する月刊誌(と思いたい)『文藝春秋』で毎月めざましい絶賛と喝采を博している(と思いたい)巻頭エッセイ3年分、それに同誌に掲載されたいくつかの論説を加えたものである。
ただし絶賛の声や喝采の叫びは未だ私の耳に入っていない。日本人は慎み深いし、外国人は気の毒に私の珠玉の作品を読めないからだ。。。”
とはじまる。
ぷぷぷ。。。
奥様には、
「あなたは非常識というより無常識だから、通常の固定概念にとらわれないという利点があるわね」と励まされているらしい。奥様との掛け合いもおもしろい。そう、藤原さんは、『常識は凡人のもの』という著者でもある。
目次
まえがき
第一章 ニッポン再生
第二章 「英語教育」が国を滅ぼす
第三章 論理と情緒
第四章 隣国との付き合い方
第五章 日韓断絶 問われるべき「国家の品格」
第六章 コロナ後の世界
第七章 「日本人の品格」だけが日本を守る
第八章 家族の肖像
第九章 父・新田次郎と母・藤原てい
おわりに ウクライナそして父の手拭い
様々な話題を、テーマごとにまとめて章にしたのだろう。掲載された時期は、あれこれ前後する。でも、全体になんとなくまとまっているから、編集者っていうのもすごいもんだ。
時々、和歌や古典文学が引用されていて、全体に藤原さんの「日本語愛」があふれている。
新田次郎さんがお父さんだったんだ。知っていたような、知らなかったような、、、。藤原ていというお母さんのことも、よく知らなかった。
なぜ、数学者になろうと思ったかと奥さんに聞かれた時のエピソードが面白い。
「あなたはどうやって数学者になる決心をしたの?」
「小学校5年生の時に郷里信州の隣村出身の小平邦彦先生が数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を取った時だ。アサヒグラフに家族の写真が載っていてかっこよかったから、迷わず数学者になろうと決心した。しかもその後その決心は1度も揺らがなかった。」
「どうしてそんなに簡単に決められるの?」
「人生、思い込みだ。あとは突っ走るだけ。自分の能力を疑わないことだ。」
人生、楽観性が大事だと。
第二章の”「英語教育」が国を滅ぼす”は、うんうん、と激しく共感した。英語だけでなく、教育全般についてのエッセイがまとめられている。
大学入学共通テストに英語民間試験の導入が検討されていたのが撤回された話を皮切りに、公平とは何なのか、という話に。受験でも、就職でも、昇進でも、機会の公平性は大事だと思うけれど、実際、世の中に絶対の公平なんて、、、なかなか難しいもんだ。
公平な試験の結果、東大生の親の所得が全大学中で最も高い、という不公平な現実が生まれている、と。
そして、小学校での英語教育については、「誰がどう教えようが本質的にダメだ」と。
私もどちらかといえば、小学校での英語教育は反対。それより、日本語で考える訓練をした方がいいのではないかと思う。ま、文科省の学習指導要領がどうなっているのか詳しくはしらないけど。
藤原さん曰く、
1.時間の無駄。
英語の学習をするために国語や算数が減らされてしまう。英語は、英語を使う可能性のある職業につきたい希望を持った人が中学校で全力勉強すればよい。
2.日本人としての自覚の妨げになる。
幼い頃から英語を学び米英人に教えらえるということは、 単なる語学を超え、米英的発想、態度、文化を無垢な心に刻印されるということでもある。子どもたちが日本の文化、伝統、情緒、道徳のよさに触れる機会を現象させ、日本人としてのアイデンティティー形成の妨げとなる。
と。
そして、「グローバル人財育成」は、愚民化政策と言って過言でない、と。。。
痛いが、その通りかもしれない。実際、日本人がグローバルにどれだけ活躍できているのか。。。
日本人の弱さ、強靭さのあらわれであった「もののあわれ」を失ってまで、「グローバル」をめざす必要があるのか?めざすべき人はめざせばいいし、でも、国民全員がグローバル人財になる必要なんて、これっぽっちもない。
やっぱり、とにかく英語をやろうって、政治家の白人コンプレックスかなぁ、、、なんて思う。
英語は、必要な人が、必要な程度に応じて身につければいいのではないだろうか。通訳を目指す私が言うのもなんだが、ポケトークでも、自動翻訳機でも、今はデジタルサポートも沢山あるのだから。
第六章 コロナ後の世界の話では、コロナで外出できなくなったのを機会に、もっと読書文化が復活すればいいのにということを言われている(2020年5月)。いや、まさに。私は脱サラしたのが2020年6月だったこともあって、時間ができたので2020年以降、本を読む数が圧倒的に増えた。それまでも、まぁまぁ、読んでいたと思うけれど、倍増以上だと思う。
そして、やっぱり、読書程安上がりな娯楽はないし、勉強もないと思う。
そして、休む時間ができると、思考の休みの時間もできる。
緩んだ時に、発見に至る。まさに、岡潔さんの言っているのとも一緒だ。
藤原さんは、ニュートンの話を引用している。
”ニュートンはケンブリッジ大学がペスト代流行で休校となった1年半の間に、故郷で思索を重ね、微分積分と万有引力を発見した。誰もがニュートンになれるわけではないが、外出を控える間に読書文化が復活すれば「禍を転じて福と為す」となる。”
ヤマザキマリさんの『たちどまって考える』でも同じようなことを言われていて、 私はそれから安部公房とか、これまで手にしていなかった本を読む機会が増えた。
時間ができるのは、良いことだ。
ちなみに、藤原さんの奥様は、コロナ前は友達とのおしゃべり、コンサート、映画などなど、忙しく出歩かれていたけれど、コロナの暗さ何するものと心機一転して、吉川英治『新・平家物語』(全16巻)を読破されたらしい。
達成感あるだろうなぁ、、、。
そして、コロナに限らず、3・11でも、メディアは競って不安をあおるから、視聴率があがるのだ、と。コロナの恐ろしさ、ワクチン副作用の恐ろしさ、放射能の恐ろしさ、、人間の「怖いもの見たさ」の習性が、それをみることを拒ませない。ちょっとわかる。世の中、本当はちょっとした良いこともたくさんおきているのだけれど、そんなことはなかなか報道されない。
でも、人間は「救われたい生物」であることは、数々の格言が示している、と。
シェークスピア:「生きるべきか死ぬべきか。それが問題だ」「恋と溜息は涙でできている。」
ゲーテ:「人生はふたつのものから成っている。したいけどできない、できるけどしたくない。」
ショーペンハウエル:「人生は、苦痛と退屈の間を振り子のように揺れ動く」
夏目漱石:「人間は生きてい苦しむための動物かもしれない」
芥川龍之介:「人生は地獄より地獄的である」
林芙美子:「花の命はみじかくて、苦しきことのみ多かりき」
などなど・・・。
ちなみに、藤原さんご自身の高校時代の格言は、「詩は音楽、俳句は絵画」。アメリカ時代は、「女性のIQとバストの大きさは反比例する」!!!
おいおい!!だけど、笑っちゃう。こう書いておきながら、
”バストの小さい女性はそれに目を輝かせた。大きい女性の前では決して口にしなかった。”って。
ほんと、笑っちゃう。
と、こんな楽観的な藤原さんが、こころをうたれた京都のお寺で出会った言葉が紹介されている。
「これまでに起きた、楽しいこと、嬉しいこと、嫌なこと、悲しいこと、つらいこと、それら全てはあなたを作ったものであり、あなたの一部であり、あなたの宝物なのです」
そして、近所のお寺の掲示板にあったという、もっとシンプルな言葉。
「これからが、これまでを決める」
藤原さんは、この言葉を目にして、何気なく通り過ぎ、10メートルほどしてから「あっ」と声をだして掲示板に戻ったという。
「これまでが、これからを決める」のではなく、「これからが、これまでを決める」。
あぁ、そうだ。そういうことなんだ。
原因があって結果があるのではなく、これからによってこれまでの解釈ができる。
なるほどなぁ。。。
全体に、ちょっとすっとぼけた様な軽快なエッセイだけれど、時々、ずんっと心に響く言葉がある。
面白い人だ。
全てに共感しないとしても、読んでいて愉快な気持ちになれる。
ふざけたエッセイでありそうでいて、さまざまな引用に学ぶことも大きい。さすが、新書だな、って気がした。
結構、お薦めの一冊。
やっぱり、読書は楽しい。