『世にも美しい日本語入門』  安野光雅 藤原正彦

世にも美しい日本語入門
安野光雅 藤原正彦
ちくまプリマー新書
 2006年1月10日 初版第1刷発行
2006年2月25日 初版第3刷発行

 

藤原さんの『日本人の真価』の中で出てきて、面白そうだったので図書館で借りてみた。

megureca.hatenablog.com

著者の安野光雅さんは、藤原さんの小学校時代の図画工作の先生。画家・絵本作家。日本人ならきっと一度ならずとも目にしたことがあると思う。 ほんわか、こころが和むような絵。画家でありながら、科学・数学・文学などに造詣が深く、森鴎外訳「即興詩人」を口語訳した「口語訳 即興詩人」なども書かれている。
数学者でありながら、エッセイストでもある藤原さんと、画家でありながら文学者である安野さんとの対談。面白くないわけがない。

そんなお二人が、「美しい日本語にふれることで、美しく繊細な情緒を育て、祖国への深い誇りや自信をえる」ということを語りあった一冊。

ところどころ、ぷぷぷ、と笑っちゃう、楽しく読める一冊。

 

目次
まえがき(藤原正彦
第一章 読書ゼミのこと
第二章 国語教育の見直しを
第三章 日本人特有のリズム
第四章 日本語はゆたかな言語
第五章 小学唱歌と童謡のこと
第六章 文語体の力
第七章 ユーモアと空想
あとがき(安野光雅

 

藤原さんは、数学者だけれどお茶の水大学では国語の授業もしていたのだそうだ。そして、大学1年生を相手に、「読書ゼミ」をやっていたのだと。
藤原さんの読書ゼミでは、岩波文庫を毎週1冊ずつ読む。受講の枠は20人で、一週間に岩波文庫を一冊読む根性と、その一冊を買うことのできる財力が受講条件。
おもしろい。いいなぁ。。。私が大学生だったら参加してみたかった。
課題本は、藤原さんが決める。そして、感想や批判をレポートにし、みんなでディスカッションをすることで、文章力の向上、論理的思考の訓練とする。でも、一番の目的は、読書がどれほど人生に重要なことなのかを感じてもらうことなのだと。
いやぁ、わかるなぁ。
今更ながら、若い時にもっともっと本を読んでおけばよかったなぁ、と思うもの。

課題本としたものがいくつか紹介されている。

新渡戸稲造:『武士道』
内村鑑三:『余は如何にして基督信者となりし乎』、『代表的日本人』
岡倉天心:『茶の本
鈴木大拙:『日本的霊性
山川菊枝:『武家の女性』
きけ わだつみのこえ
宮本常一:『忘れられた日本人』
などなど。

きけ わだつみのこえ』や『忘れられた日本人』は、なんとなく敬遠していたのだけれど、読んでみようかな、という気になった。『余は如何にして基督信者となりし乎』『武家の女性』も、読んだことがない、と思う。いつか読んでみよう。
ここに挙げた本の内容はいうまでもなく、日本人、日本文化、日本の道徳等に関することだ。古い本だけに、今風の自己啓発本とは違って?!、内容が濃い。説教臭いと思わずに、素直な気持ちで読んでみると良い本たちだと思う。『代表的日本人』なんて、昔はどんだけすごい日本人がいたんだ、、、って、感動できる。まぁ、一億中流社会とはちがって、そうでなければ生きていけない時代だったのだろうけれど。

きけ わだつみのこえ』は、安野さんが「不朽の名作」と言っている。書いたのはみんな学生。若い人に読み続けてほしい、と。

そして、読書ゼミであろうと、他の科目の講義であろうと、正しい答えや公式を教師がおしえるのではなく、学生や生徒が自分の力で見つけていく努力をすることが大事なんではないのか、と安野さんがおっしゃっている。

ほんと、詰め込み授業は面白くない。でも、自分の頭で考える授業は面白い。

藤原さんが高校の授業で見出した自分なりの回答事例が出てきて面白い。

国語の時間に、加賀千代女の
朝顔に釣瓶とられてもらひ水」という句の意味を問われた。
藤原さんは、
「滑車の円、釣瓶の直線、朝顔のラッパ状曲面のなす幾何学的美しさを詠んだもの」
と答えた。
「君が変わっていることだけはわかった」といって先生は次の生徒を指名した、、、と。
ぷぷぷ。
笑っ!

一応、教科書的な解釈でいうと、
「朝、水を汲もうと思ったら、朝顔の蔓が井戸の釣瓶に巻きついていた。水を汲むために蔓をちぎってしまうのは可哀想なので、隣の家に水をもらいにいった」ということらしい。

私には、さっぱりわからなかった。藤原さんの解釈に、おぉぉ!と思ってしまった。
私がむりやり解釈したのは、
朝顔のつるが釣瓶にからまってうまく水が汲めず、水が自分にかかっちゃったじゃないか。朝顔め、可愛い顔して、いじわるしやがって」ということかな??と。
だいぶ、違った・・・。
でも、自分で考えてみるのは楽しい。

 

国語教育の話で、興味深いことが。小学校では、画数の少ない数字の漢字から教えるけれど、実は子どもに画数なんて関係ないのだ、という。たとえば、「鳩」「鳥」「九」はセットにすれば、「鳩」という画数の多い漢字でも子どもは簡単に覚えられる、と。
類推することで覚える。
だから、簡単であれば覚えられるということではないのだ、と。

ちょっと、ハッとさせられる。
そう、関連付けることでしか記憶は定着しない
逆に言えば、関連付けさせることで記憶はどんどん広がる。
知識の連鎖。点と点がつながる快感。


第三章 日本人特有のリズムでは、日本人は、5・7・5にあるようなリズムが身体に染みついているという話。

フルイケヤ カワズトビコム ミズノオト。

確かにリズムだよなぁ。
藤原さんは、日本人は素数が好きだ、なんてことも言っていたこともある。

リズムに関して言うと、本書にでてきた話ではないのだが、人間はそもそもカテゴライズして、何かを記憶する癖があるから、リズムを付けるのだ、という話がある。脳科学のはなしだ。
電話番号を、080ー555-77XXと、暗唱すればおぼえられるけれど、08-05557ー7XXとすると、途端に覚えられなくなるとうい実験がある。リズムをめちゃくちゃにしていくつも電話番号を言われると、書きとることすらできなくなるのだ。
不思議なものだ。
体に染みついたリズム。
日本人なら、5・7・5や、5・7・5・7・7に何かしら安心感のようなものを感じてしまう。DNAかなぁ。

 

第五章では、小学校唱歌と童謡について。最近の音楽の教科書には、歌謡曲などもあるらしいけれど、やはり、童謡はよいものだ、、と。童謡こそ情緒をそだてる、と。

たしかに、
「か~ら~す~、なぜなくのぉ・・・」とか
「う~み~は、ひろい~な~・・・」とか、
里山を思い描いたり、海を思い描いたり、、、、なんてことないけど、だれがいつ歌っても何の害もないというのか、、、。

そして、誰もが知っているであろう『シャボン玉』の逸話が紹介されている。
野口雨情作詞の『シャボン玉』

シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた

シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
生まれてすぐに
こわれて消えた

風風吹くな
シャボン玉飛ばそう


きっと、みんな、歌えるでしょう。歌ってみてほしい。

これは、野口雨情が、長女をわずか7日で亡くした時につくったものだそうだ。
それを知って、もう一度、歌ってみてほしい。
涙がこぼれる・・・・。
そんなこと知らずに、歌っていた。
ただ、楽しく、シャボン玉をとばしながら歌ったことがあるのではないだろうか。
なんてこった。。。

でも、こうして、誰もが楽しく歌える歌になっているというのもすごい。。。。


小学校唱歌・童謡という話のなかで、壷井栄さん原作、木下恵介監督の映画『二十四の瞳』が取り上げられている。高峰秀子さん主演。この映画の中で木下監督は小学唱歌をたくさん入れようとおもったのだそうだ。そして、実際、沢山の歌が使われた。

なるほどねぇ。
知らなかったぁ、、、ということがたくさん。

二人の日本語愛があふれる。

和歌とか、古典とか、もっと読みたくなるような一冊。 

 

普段、口にしない言葉は、声に出して読んでみると、よくわからないながらになんだかわかるような気がする。

リズムなのかなぁ。

 

お二人のまじめでいながら楽しい対話。

日本語を見直したくなる一冊。

なかなか、よかった。