『夜明け前 第一部 上』 by  島崎藤村

夜明け前 第一部 上
島崎藤村
新潮文庫
昭和29年12月25日 発行
平成24年6月20日 91刷改版

 

木曽路はすべて山の中である。」で始まる、かの有名な『夜明け前』。実は、どんな話なのか、良く知らなかった。

先日読んだ、『岡潔対談集』の司馬遼太郎との対談のなかででてきたので、読んでみようという気になった。

megureca.hatenablog.com


「平田門下の国学者は、一グループ働くのですが、島崎藤村『夜明け前』の主人公をみても想像できますように大した働きじゃありません」と、岡さん。
私には、国学者って、よくわからない。小林秀雄本居宣長も、まだ手を出したことがない。本居宣長を読まずして、平田篤胤門下の話を読むのは邪道かもしれないけれど、まぁ、小説なのだから、と思って図書館で借りてみた。

 

夜明け前は、島崎藤村が自分の父親をモデルにして明治維新の前後を描いた作品
第一部と第二部がある。そうとは知らず、第一部の上下をかりた。

(上)を読み終わったので、覚書。

 

文庫本の裏の紹介には、

”山の中にありながら時代の動きを確実に追跡する木曽路、馬籠宿。その本陣・問屋・庄屋をかねる家に生れ国学に心を傾ける青山半蔵は偶然、江戸に旅し、念願の平田篤胤没後の門人となる。黒船来襲以来門人として政治運動への参加を願う心と旧家の仕事にはさまれ悩む半蔵の目前で歴史は移りかわっていく。著者が父をモデルに明治維新に生きた一典型を描くとともに自己を凝視した大作。
用語、時代背景などについての詳細な注解を付す。”

 

島崎藤村については、

”筑摩県馬籠村(現在の岐阜県中津川市)に生れる。明治学院卒。1893(明治26)年、北村透谷らと「文学界」を創刊し、教職に就く傍ら詩を発表。1897年、処女詩集若菜集を刊行。1906年、7年の歳月をかけて完成させた最初の長編『破戒』自費出版するや、漱石らの激賞を受け自然主義文学の旗手として注目された。以降、自然主義文学の到達点『家』、告白文学の最高峰『新生』歴史小説の白眉『夜明け前』等、次々と発表した。1943(昭和18)年、脳溢血で逝去。享年72。”

 

よく考えてみると、私は、島崎藤村の作品を読んだことがない。詩集『若葉集』の「初恋:まだあげそめし前髪の・・・・」を知っているくらい。そして、読み始めてわかった。読み進まない、、、、。他の作品がどうなのかはわからないけれど、物語の軸と、状況の描写と、背景の描写と、、、、なかなか本題が進まない。という感じだった。
それでも、なんどか読むのをやめようかとおもいつつも、とりあえず、第一部(上)は、読了。なんとなく、読んだ方がよい気がしたのだ。

 

感想。
なるほど。
こういう、お話だったのだ。
江戸末期から明治にかけて生きた一人の青年、青山半蔵の話。なのだけど、なかなか半蔵が中心の話の展開にならない。なるほどね、確かに、歴史小説でもあり、一人の人の人生でもあり、重厚感があるというのは、よくわかる。
たしかに、読み継がれる本だ。
でも、結構、読むのはしんどいかも。。。江戸末期の歴史好きなら楽しめる。

 

以下、ちょっと、ネタバレあり。

物語は、半蔵の父親・青山吉右衛門が、50を過ぎているけれど、引退することなく馬籠の本陣で活躍している。今でいえば村長さんみたいな感じだろうか。周りの百姓たちは自分の子どもと思っているような立場。その跡継ぎとなるべき半蔵はまだ18歳。時代は、江戸の後期。天保の改革が回想で出てくるような時期。そこから物語は始まる。

天保の改革:1841年に老中の水野忠邦(みずのただくに)が行った改革。幕府の力を回復させるために、倹約令を出して世直しをめざした改革。

 

半蔵らが住む木曽の馬籠は、山の中なので、米がたくさんとれるわけでもなく困窮な村で木材が一つの財産。しかし、木の伐採も厳しく管理されていて、横柄な役人に農民は不満を持っている。参勤交代で木曽の本陣にとまる武士ですら、農民から金を巻き上げようとする始末。いったい、世の中はどうなっているのか。。。徳川将軍の噂はどんどん下がっていく。そんな時代。そんな時代だったからこそ、半蔵は木曽の山奥にいたのでは時代の動きがわからず、都にでてもっと学んでみたいとおもっているのだった。

師匠であった寛斎が大事にしていたのは、「金銀欲しがらずといふは、例の漢やうの虚偽にぞありける」という本居宣長の言葉。つまるところ、「誰だって金のほしくないものはない」。別に暴君として金を欲しがることを肯定しているのではなく、まっとうな商いで金を得ることは、別に悪いことではないし、お金なんて気にしないなんて言うのこそ、嘘つきだ、ということ。半蔵をはじめ、学友である香蔵らの若者たちは、それを実行的なもの、現実的なものとして受け止めていた。時代の変化にあわせて、自分たちの暮らしむきをよくするために何か活動したい、という感じだろうか。


江戸には、亜米利加(アメリカ)から”ペリイが四艘の軍艦を率いて日本にきた”と大騒ぎになっている。

*ペリー来日:1853年

 

半蔵が江戸に出かけて、世の中を身をもって感じたこと、学友と共に儒学者に学び、国学者本居宣長に影響を受け、平田篤胤一門になることに憧れていること、などが語られている。


また半蔵は23歳で、民という妻(17歳)をもらって、3人のこどもに恵まれる。長女・粂(くめ)、長男・宗太、次男・正己。

国学を学問として続けていきたい、世の中の変化を間近に体験するために京都にいってみたい、などという想いを抱きながらも、本陣を継ぐという持って生まれた運命には逆らえず、馬籠を守って生きていく。

 

(上)では、江戸時代の終わりの政治的混乱、自然災害などが描かれていて、小説全体の背景説明のような感じ。半蔵の恩師、宮川寛斎が江戸に出て、初めて肉を食べるシーンなども、時代の説明の一つだろう。当時、肉食する習慣がなかったなか、牛鍋というものが物珍しく、臭いから外で料理してお客にだされたことが少し面白おかしくかかれている。寛斎は、牛鍋で酒を楽しんでいる。

井伊直弼による安政の大獄、そしてのちに暗殺されたこと(桜田門の変)、安政の東南地震で馬籠も大きな被害を受けたこと、翌安政2年には、江戸も地震に見舞われている、
徐々に幕府の力が衰えてきて、公武合体をめざして和宮様が徳川家茂のもと嫁いでいったこと、などなど。。。

 

父・吉右衛門が中気を患って身体が思うようにいかなくなり、半蔵へ家督を継ぐ。そして、生麦事件勃発から幕府のイギリスへの対応の右往左往。水戸では廃仏毀釈が進んでいる。

攘夷なのか、開国なのか、尊王は??と、揺れ動く世間の中で、木曽の山奥にいることに悶々としつつ、真面目に馬籠の本陣の主として働く半蔵。そんな半蔵の姿が語られる。

 

ほぼ、歴史をよんでいる感じで、物語としてはどうなっていくのかわからず、こちらも悶々としながら読み進めた。

 

江戸の終わりころ、幕府の弱体化、フランス・イギリス・アメリカと海外からの交渉、人々が世の中が変わりつつあることに気が付きつつも、粛々と生きていた様子が伝わる。

 

うん、これは確かに歴史小説だ。かといって、半蔵からの視点で書かれているわけでもないので、歴史説明、、、というかんじか。

(上)では、最後の1割くらいになって、ようやく時代の変化にこれから半蔵たちはどうなっていくのか?という展開に。

 

さて、下ではどうなることか。。。 

せっかくなので、第一部は読んでみようと思う。