『きけ、わだつみのこえ』  日本戦没学生記念会編

きけ、わだつみのこえ  ー日本戦没学生の手記ー
日本戦没学生記念会
岩波書店
ワイド版 岩波文庫 新版
1997年9月16日 第1刷発行
2009年11月5日 第7刷発行

 

安野光雄さんと藤原正彦さんの『世にも美しい日本語入門』で、安野さんが「不朽の名作」と言っていた本。

 

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もちろん、知っていた。戦没学生の手記。日本人なら、知らない人はいないだろう。。。でも、手に取って一冊丸ごと読んだことはなかった。
悲しいに決まっている。。。。そう思ってさけてきたのだけれど、やはり、読んでおくべき一冊だろうな、、、という気がして、図書館で借りた。

 

内表紙の説明には、 
新版 きけ わだつみのこえ
酷薄な状況の中で、最後まで鋭敏な魂と明晰な知性を失うまいと努め、祖国と愛する者の未来を憂いながら死んでいった学徒兵たち。1949年の刊行以来、無数の読者の心をとらえ続けてきた戦没学生たちの手記を、戦後50年を機に改めて原点に立ち返って見直し、新しい世代に読み継がれていく決定版として刊行する。”

 

目次
きけ わだつみのこえ』の読者へ
凡例
旧版序文

戦没学生の遺稿
Ⅰ 日中戦争
Ⅱ アジア・太平洋戦争中期
Ⅲ 敗戦
旧版 あとがき
新版刊行にあたって  日本戦没学生記念 (わだつみ会


本書の最初の版は、東京大学 [消費生活]協働組合出版部が刊行した『はるかなる山河に』(1949)というタイトルだった。それから、旧版が1982年にだされ、今回私が手にしたのは、新版(1997)のものである。

最後の、あとがきには、旧版あとがき、新版刊行にあたって、と、これまでどのようにして学生の手記が集められ、このような本になってきたのかが綴られている。

 

引用すると、
”この新判は、従来の初版の全てが底本としてきた初版本を抜本的に改定して、遺稿のもとのままの内容と姿を可能な限り復元したものである。新しい読者が、思いもかけなかったような新しい読み方をしてくれるかもしれない。旧諸版の読書には、元来の遺稿とはこういうものであったということを知っていただいて新たな発見をしてもらえるのではないか、そのような期待を込めてここに新版を刊行する。”

 

過去には、戦争を賛美するような遺稿を意図的に載せないようにするべきではないかといか、東大生だけの遺稿ではなくもっと広く遺稿を掲載するべきではないか、など、その時代に応じて、多くの議論がなされたとのこと。

それぞれの遺稿は、とても20代前半の若者のものとはおもえないほど、思慮深く、表現力に富み、学業を断念できないままに戦地に赴いた無念さ、いつか学業を再開できる日のためになんとか学びを続けたいという意思、、、。

 

感想。
すごい。。。
これは、ただの戦争の記録ではなくて、哲学、、、、のようだ。
文学者であったり、哲学者であったり、、、、今、50代の私にだってとてもではないが理解できそうにない本のはなしがでてきたり、、、。

ここに載せられた遺稿のなかで最も若い戦没学生は18歳。多くは20代。平均すると、死亡時の年齢が24歳。。。

自分たちが始めたわけでも、納得して同意したのでもない戦略戦争に駆り出された学徒兵たちが、死を前にしてなお学問への情熱を絶やさず、真理と真実を探求しようとしたこと、平和と自由への痛切な希望を抗背に託したこと、、、。”
それが、本書に示されている。。。

 

あとがきの中にも書かれているが、このような遺稿を残せた人は、ごく一部であったはずだ。旧版あとがきから、引用しよう。 

 

”この本を読むにあたって、知っておかれたほうがいいことをいくつか書きつける。ここに収められた手記や手紙や日記は、普通の条件のもとで書かれたものではない。戦争かということだけでなく、日本軍隊の徹底した私生活支配が手紙や日記にまで及んで、全て厳重な検閲のもとに置かれており、自由な表現は原則として行われていないということである。軍事上の機密を守るということよりも、心身から良心にまで立ち入っての拘束として、この制限が、全面的に行われていたのである。最後の出撃を前にしての家族あての別離の手紙までが、型通りの軍用主義用語で書かれるのがふつうで、真情の吐露は固く禁じられていた。ひそかに書いて外出の際にポストに入れたり、面会に来た友人にコッソリ持ち帰ってもらったりという例はあるが、それは全くの例外であった。本書に収めた手記のうち多少とも自由な文字が書かれているのは、まさにそういう例外的なもので家族や友人によって密かに保存されたものである。”


一つ一つの遺稿は、名前、生年月日、出身地、学歴、入営日、いつどこでどのように戦死したのかの説明があり、遺稿についてはわかるものは日付が書かれている。特攻の前日というものだけではない。入営してからの日々、戦地に向かってからの状況。戦病死、戦死、行方不明、、、、。
何日にもわたる日記の人もいれば、一文の人も。

両親へ、家族へ、恋人へ、残してきた妻と幼い子供へ、友人へ、師へ、、、。

 

あんなに学業に熱心だった自分が、一切の雑念をすてて、ひたすら戦いにのぞむものとして修行をつづけている、軍人になりきった、、とつづったモノ。これは、検閲があるからそうかいただけなのかもしれない。。。、

 

我々は決して犬猫にあらず、なぐられて動く動物にあらず。自分は自分を信ず。」とだけ綴られた日記。

 

「敵に勝たんとするもの、敵をよく知らねばならぬのではないか。今こそ英語をもっと普及して、一層敵国を国民に知らせねばならないときではないのか」、、、と、文部省の英語教育廃止に為政者への反感を感じる、とつづった手紙。アメリカでは、日本と戦争が起こって、もっと日本研究がさかんになっているはずだ、、、と。
これは、なんと鋭い指摘か、と思ったら、遺稿の中でも戦死時、33歳とのこと。中間管理職の苦しみ、、の世代だったのかもしれない。

 

はっきり言うが、おれは好きで死ぬんじゃない

 

恋人に、自分の母親が行きたいと言ってた善光寺に連れて行ってやってほしいとつづった手紙、そこには、汽車は前進方向をむいて座らせてやってくれ、あまり喋らぬほうがいい、すぐに頭が痛くなるから。お化粧の長いのもきらい。素顔でよろしい。神経痛あり。お茶は濃いのが好き。子どもは好き。ゼイタクは嫌い。。。と母の好みが延々とつづられている。。

 

東京の桜が散る頃を思い、

散れよ散れよ桜の花よ、俺が散るのにお前だけ咲くとはいったいどういうわけだ

とつづった、特攻隊員。


手記の中には、多くの本が登場する。戦地に赴いた学徒兵たちにとって、唯一戦況から意識を遠ざけることができるのが、本を読んだり、それについて思考を巡らす時間だったのかもしれない。島崎藤村夏目漱石尾崎士郎吉川英治、、、モンテーニュ、『葉隠』、西田幾太郎、、、。

思わず、涙がこぼれるものもあるけれど、多くは感心しきりで泣いている場合じゃない、、、という感じの遺稿。 

 

「わだつみ」とは、海をつかさどる神のこと。

好きで、海で神になったわけではなかったであろう学徒たちの声。

その声に静かに、耳を傾ける。

 

戦争はしてはならない。

ただ、それだけ。

どうして、そんなことがわからないのだろう。。。

 

彼等は、今の世の中をみたら、なんというのだろう。。。

 

為政者でない私ができることは何なのか、と思う。

でも、政治家だけの責任ではない。

私たちが選んでいるのだから。

 

自分にできることを、粛々とがんばろう・・・。