真夜中の太陽
米原万里
中公文庫
2004年8月25日初版発行
図書館の文庫本の棚で見つけた本。久しぶりに米原万里の文字が、目に飛び込んできた。読んだことがないような気がしたので、借りてみた。
裏の説明には、
”21世紀は20世紀の続きなのか? 政界における多数派シンドローム。企業の膨張至上主義、崩壊する安全神話、続発する警察の不祥事・・・。日本の行き詰まった状況をウィットとユーモアあふれる語り口で浮き彫りにする、痛快エッセイ。”
米原さんが病気のために亡くなったのが、2006年なので、それより前に発行された文庫本。おさめられたエッセイは、1999年~2001年くらいのものが多い。まさに、ミレニアムの境目。バブル崩壊、政治の混乱、経済低迷の時代。万里さんのインテリジェンス満載のエッセイ。多くは、雑誌『ミセス』や『婦人公論』などに掲載されていたもの。
米原さんは、お父さんが 国際共産主義運動の活動家としてチェコに渡ったことから、小学生のころにプラハに住み、後にロシア語の同時通訳者となられた。だからこその、頭脳と社会感覚。思想的には、万人の幸福をめざしていて、政治家、メディアへの批判が痛烈で面白い。
いやはや、、、そうなんだよ、、。たしかに、日本のメディアは、何故それを指摘できないのかね、、、というエッセイが満載。
やっぱり、好きだぁ!!米原万里さん。
思想的には、だいぶ強烈なので、思わず「中央公論社」ってどういう思想なんだっけ?と調べてしまった。。。ま、色々な歴史があったようだ。
一応、目次があって、関連しそうなエッセイがそれぞれ集められている。
目次
プロローグ 摩天楼の小咄
21世紀は20世紀の続きなのか
世紀末在庫整理
真夜中の太陽
みえすいたトリック
エピローグ ちゃんと洗濯しようよ!
あとがき
痛快なコメントは、ははぁ、、、おっしゃる通りです、という感じで、コメントされた政治か、企業、メディアは、ばつが悪いだろうな、と思う。これだけ自由なエッセイ、結構貴重だと思う。
グローバルスタンダードだといって、あらゆるものが商品化される経済へのコメント。保険は、人の不安を食い物にしている、、、と。確かに、生命保険があるから保険金目的殺人事件なんてものまでできてしまった。火災保険は、天災では支払われないので、ほとんどの人には意味をなさないという事実。天災で支払ったら、保険会社がつぶれちゃうから、、、って。弱肉強食のためのしくみなのか??と。
オリンピックのルールが変更され、日本人に不利になるケースがままある。スキージャンプの板のルール改訂、水着のルール、、、などなど。で、欧米強者に都合よいルール改訂は、選挙ルールが与党有利に改訂されるのと同じだ、と。小選挙区制の問題を指摘。
自由というもの矛盾について。競争において自由を求めるのは常に強者であり、自由競争をあおった挙句に、中小企業倒産が多発するのは、どう考えても政治的判断ミスでないのか、と。やっぱり、バブル崩壊後の大企業への公的資金投入は、どうも腹落ちしない人は大勢いただろう。
”リストラという名の首切りや、残った従業員の過密労働を強行してまで生き残った企業群の業績が上昇して、いくら国民経済の指標が良くなっても、圧倒的多数の国民は幸せにはなれない”
むむむ。全体指標がよくなっても、格差拡大が並行して起きてしまえば、万人の幸福は遠くなる。
いやぁ。。むずかしい。
「復讐あるいは警告」というエッセイの中では、食中毒のはなしから、食中毒防止のためと言って食品を廃棄していることへの批判。雪印の食中毒問題の犠牲になったのは、ウシなのではないか、とも。ファストフード店の大量廃棄は、今は改善されているかもしれないけれど、たしかに、かつては酷かった。
せっかく、動物から命を頂戴して食物としているのに、その食物を廃棄するということは、動物の命を廃棄しているということと同義。
あぁ、そうか。そういう視点で考えたことがなかった。
卵なんて、鶏なるまえに人間がかすめ取ってたべちゃうんだから、と。。たしかに、、大きな命だ。しかもそれを無駄にしていることがある。。。
やっぱり、食品ロスをなくそう。
そして、米原さんは、
「中毒問題は今後も数限りなく我々を襲ってくるだろう。これは命を削られる生き物たちの復讐であり、人間に対する警告でもある。」と。
医療ミスのニュースが続き、肺炎で入院した友人が「肺炎で死ぬより、医療ミスの方がコワイ」と言っているのを聞いて、忙しそうな看護師さんを見ていたらホントに怖くなったという。で、米原さんが、飼い猫の予防接種に行ったときに心配になって「今、注入したカプセルはなんですか?」などと、珍しく獣医に聞くものだから、「今日は突然好奇心旺盛になっちゃって、どういう風の吹き回し?」と聞かれてしまった。
正直に、「今、医療ミスが流行っているから心配で、、、」と答えると、先生は笑って、
「はははは、米原さん医療ミスっていうのは、こういう風に一人の人間が治療の最初から最後まで受け持つ場合は、ほとんど起こらないものなのよ」と。
そして、米原さんは、ひらめいた。そうか!医療ミスが起こるメカニズムは、誤訳のそれにソックリではないか!!と。
つまり、人が変わるところでミスが起きる。
米原さんの解説を引用しよう。
”同時通訳は、原発言とほぼを同時に訳出していく。多くのセンテンスは、最後まで聞き取れずに聞いた端から意味を捉えて行かなくてはならない。当然重要な単語やフレーズを聞き間違ったり、聞き落としたりすること、しばしばである。
たとえば、今の発言者は、その前の発言者の提案に対して、acceptable(受け入れられる)と言ったのか、inacceptable(受け入れがたい)と言ったのか、よく聞き間違える。
でも前の発言者の提案の中に、人種差別的な傾向があり、今の発言者の皮膚の色が黒かったとしたらinacceptable(受け入れがたい)といったに違いないのである。
つまり、発言者や発言全体発言の前後関係から切り離された単語やフレーズは聞き間違って誤訳する可能性が高い。しかし逆に、発言全体と脈略を把握していればいるほど誤訳は回避されやすいのだ。”
あぁぁ、わかる~~~!!!
接頭語、in- や un- で、意味が逆になる言葉。話者が交代した時こそ大事なのだけれど、間違いやすい。can'tも、notがついているのかついていないのか、聞き間違いやすい。
全体の流れと、わずかなスペース、音調で聞き分けなさい、といわれるのだけれど、私にはまだまだ至難の業・・・。
また、日本人にありがちな、「受け入れがたいとは、いいがたい」みたいな、二重否定は同時通訳のスピードでやっていると、頭がこんがらがる。頼むから、シンプルにいってほしい、、、。政治家や偉い人ほど回りくどい言い方をする。日本語で聞いていると聞き流してしまうけれど、それを訳そうとすると、なんてわかりにくい表現なんだ、と思う。
相手を混乱させて、煙に巻こうって魂胆か、、、などと、うがってみてしまう。。。
しかし、米原さんでも誤訳なんてあったんだろうか?きっと、すぐにうまく流れを修正できる人だったんだろうな。そうでなければ政治の通訳はできない。
「オートマチズム」というタイトルのエッセイで、思考停止からオートマチズムに陥っているとしか思えない景気対策を一撃。せっせとゼネコンと銀行に税金をつぎ込むというバブル破綻のあとと同じことしかできていない、、、と。 オートマチズムね。官僚、大企業にありがちかもしれない。もちろんそうでない優秀な人も沢山いるのだけれど。オートマチズムを是正するのは大変だ。この固定化された行動様式をサッカーのパス回しからゴールまでの行動と一緒だと揶揄し、神ジーコの言葉を引用している。
”叩き込むのは非の打ち所のない正しい形でなくてはいけない。間違った型を習得すると修正するのに、身につけた時の10倍のエネルギーを労するからね”
うまいこと、言ったもんだ。
ほんと、そうだ。
正しい型を身に着けるって大事。正しいと思い込んだ型ほど厄介なものはない。
本とタイトルは、子供の時にお父さんからきいた話で、太陽は真夜中でも地球の反対側を照らして、いつでも地球を見守っているんだよ、という話で闇夜が怖くなくなったというエピソードから。
万里さん、あなたこそ、太陽の人だった。つくづく、もっと活躍してほしかったと思う。
でも、たくさんの作品のこしてくれて、ありがとう!
本にするって、すごいことだ、